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日向編 6話

唐突に聞こえた悲鳴に即座に行動を起こす真壁。
それに続くように菜緒もトイレへと駆けた。

菜緒らが室内に入ると、ちょうど飛び掛かるように抱き着く帆夏とそれを受け止める未来虹が見えた。

「ど、どうしたの? ひらほー?」

未来虹の問に、震える腕でトイレの奥の方を指さす帆夏。

半開きになったドアが、ギィーーと音を立ててゆっくりと閉じかけていた。

その個室へと近づいていく真壁。

彼は慎重に身構えて、中を覗――
 

「ち、違います。う、上です!」

慌てたように帆夏が訂正した。

「――ッチ」

っと、半歩引いて上を見上げる真壁。

同時、したたり落ちてきた赤黒い液体を回避するようにさらに一歩下がる。

そうして開いた僅かな距離が、帆夏の示した”ソレ”を真壁の視界に収めた。

「……平尾……これは」

「は、はい?」

「――シミだ」

そこに見えるは黒い染み。
真新しいはずのトイレだったが、天井に染みた液体によって、ソレがまるで、

「まるで人狼だ」

「……ですね」

真壁の数歩後ろから同じように確認する菜緒。
天井に広がる染みが、薄暗さもあってか人狼に見えたのだった。

(それにしても下まで染みてくるって、上は一体どうなっとるんや……)

したくもない想像にぶるっと体が震るえた菜緒。
メンバー、もとい真壁と合流したことで随分と危機感が薄れていた。

いたのだが、この染みが……二階に広がっているであろう惨劇が、人狼の恐ろしさを再び蘇らせたのだった。


「すいません、早とちりしてしまって」

騒ぎを起こし、申し訳なさそうに頭を下げる帆夏。
気落ちしているであろう彼女を出来るだけフォローしようと菜緒は言葉を紡ぐ。

「まぁ、何事もなくて良かったよ。もし、ひらほ~に何かあったらと思ったら、めっちゃ悲しいやんか。悲鳴が聞こえた時はほんま心臓が止まるかと思ったもん」

「ぐすっ、小坂さ~ん」

またも涙目になりながら抱き着いてきた帆夏を優しく撫でてあげた。


「ふむ……ただ今の悲鳴で人狼を引き寄せてしまったかもしれない」

「確かに、急いだほうがいいかもしれませんね」

(……ん?)

この一連の騒動の間も一人動じない彼女が気になった。

「伊藤さん……大丈夫ですか?」

「え? あ? ごめん! 大丈夫……大丈夫よ」

ハッとするかのように顔を上げる伊藤。
菜緒たちの視線を感じたのか、

「しゅ、出発ですね。準備します」

そう言い残して、走るようにトイレから出て行った。

(伊藤さん、だいぶ無理しとるなぁ。やっぱり南城さんのこと……)

想像以上に二人は親密だったのかもしれない。

もしかしたらだ、後を追って自ら死を……なんてことが起こりえる状況にある。
これからはメンバーだけじゃなく、彼女の事も気にかけてあげなきゃいけないだろう。

小坂菜緒はそう思うのであった。

 




 
トイレの騒動から数分後。
人狼の襲撃を警戒していた真壁だったが、何事もなく旅館の出口に辿り着いた。

本来なら自動で開くはずだったガラス製のドアを強引にスライドさせる。

激しい戦闘の跡か、所々割れている箇所を指差して気を付けるように指示をだす。

そうして、道場での人狼遭遇から三時間近くを経て、ようやく旅館からの脱出を果たした。



(良かった。灯りは無事か)

危惧していた道中の街灯が破壊されているなんてこともなく――三本しかない懐中電灯のみで真っ暗な山道を進まなければならない、なんて事態は避けられた。

そんな真壁の懸念とは別の問題が生じる。

「真壁さん!」

後ろを歩く菜緒が呼び止めた。

「います――」

います。彼女がそう言うということは……

「人狼だな? どっちだ?」

「左です……まだ遠いですが、こちらに向かってきてます」

真壁が見据える先。
街灯も届かないほどの深い闇が広がる道沿いの林。

五感を研ぎ澄ませ、気配を探る。
草木の匂い、僅かに聞こえる虫の声、風の音。
夜も深まり凍えた冷気が首元を撫でる。
闇を見据える。かすかな揺らぎも見逃さないように――

数十秒ほど時間が経過したが、その気配未だつかめず。
それでも、何回も人狼を探知してきた菜緒の言葉を信じた。

彼女たちに待機するようにと指示をだし、林へと近づこうとした時。
真壁の鼻孔にそれが辿り着く。

血の臭いだ。

 
「!!」

林の中から二体の人狼が姿を現した。
灯りがその顔を照らす。威嚇するように唸る人狼。
鋭い牙から垂れている涎に、混じった赤色が、どこかの誰かが被害にあったのだろうと考えさせた。

(小坂の言うとおりだったな)

冴えている――と表現するのが正しいのかは分からないが、どうやら小坂菜緒は人狼を探知できるようだ。
疑っていた訳ではないが、三度、目の当たりにして確信に近い信頼を彼女に抱いたのだった。

そして、もう一つ。

此度の人狼との接敵。人狼側が少女たちに狙いを定め、真壁から視線を外したその瞬間に勝負は決した。

一瞬の内に距離を詰める真壁。

それに気づき、慌てたような反応をする人狼だったが、繰り出されたジャブを顔に受け、瞬く間に倒れ伏した。

足元に蹲るように倒れる人狼らを一瞥して、元の道へと踵を返す。

快勝。
それは本来なら喜ぶべきことなのだが、

(おかしい……)

と真壁は自らの拳を見つめる。
手ごたえがあった――いや、あり過ぎたのだ。
今回の戦闘だけじゃない。
ロビーでの戦闘も、道場で三体同時に相手をした時にも感じていた違和感。

例外は初戦、初めて人狼と相対した時のみ。

(最初の個体が特別だったというわけか? それにしては、体格からなにまでどいつもこいつも変らない)

元が人間だった人狼だが、変異後は身長から体格、毛の色まで全てが似通っていた。
違うのは、攻撃の通りやすさ。
一体目だけ異様に硬く感じたのだった。

「どうしました?」

不思議そうに真壁を見つめる菜緒に、なんでもないと首を振る。
人狼側ではない。
自分自身に何かが起きていると予感めいたものを感じた。

(考えてもしょうがないな。攻撃が効きにくいならまだしも、通りやすいのなら儲けものだ)

と、答えを放棄して進むことに。

「どうだ? まだいそうか?」

「いえ、いないと思います」

「そうか、ありがとう」

そういうやり取りを経て、再び行進を開始したのだった。

 




女は前方を歩く二人を見つめ、ほくそ笑む。

(やっぱり、この二人を選んで正解だった)

突如として、人狼に襲われるなんて事態にも冷静に対処し、勝利を収めた真壁宗一郎という男。

そして、自らの先輩である小坂菜緒。
頭の回転が早いと思ってはいたが、想像以上に勘も良く、鋭い視点の持ち主だったようだ。

(人狼に襲われたときは死ぬかもなんて思ったけど……存外に面白いことになってきた)

などと、この場に似つかわしくない考えに思わず口角が上がった。

(おっと、いけないけない)

それを手で覆うように抑えつける。
この暗さで良かった。
隠しきれない笑みを誰かに見られたら、精神を疑われていただろう。

ただ、そうだとしても――この女。
取り繕うことには慣れていた。

必死に仮面を被り、生きてきたのだ。
どんな状況にあろうと適応してみせる。それだけの自負と能力が女にはあった。



時として、唐突に始まった人狼ゲーム――女にとってはゲームに近いだろう――

賽は投げられた。

自分も手を加えてしまったのだ。

もう後戻りはできない。

これからどうなろうと後は流れに任せるのみ。

そうして、女は一団に紛れて進むのであった。



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