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17分


「最後まで行けば出口があるよ」
 
 そう桜が教えてくれた。


 ……


 幼い頃の俺はえらく弱虫だった。
 そんな俺を桜はいつも守ってくれていた。

 子供向けのお化け屋敷ですら怖くて泣いちゃうくらい気が弱い男の子。それが昔の俺だった。
 桜に手を引かれて、なんとか出口までたどり着いたときの事を今でもよく思い出す。

 情けないと思うと同時に『桜は強い子なんだな』って。この時の俺は勝手にそう思っていた。


 

 あれはいつの頃だったか。
 大きな犬に桜が襲われたときの事だ。
 俺は何の躊躇もなく桜の前に出て、彼女を守るように立ちはだかった。
『桜が危ない』そう思ったら自然と体が動いていた。

 泣き声を聞きつけて、大人たちが駆け寄って来たときには俺の足は血だらけだったらしい。膝には大きな噛み跡が残るほどの傷を負った。

 泣きじゃくる桜とそんな桜を必死に慰めていた俺。

 犬が怖かったとか、足が痛いとかそんなのはどうでもよくて――強くて守ってくれる存在だと思っていた桜が、”か弱い女の子”なんだと。初めて気がついて、

 こんなんじゃ駄目だ。強くなりたい。桜を守れるようになりたい――と思ったんだ。

 それからは体を鍛え、近くの空手道場に通い、心身ともに強くなった。というよりは、強くなろうと必死に毎日を過ごした。


 おかげで桜を守れるくらいには強くなれたと思う。

 

 

 高校に入学して三カ月ほどたったある日。
 桜の様子がおかしくて問い詰めたことがあった。
 言いづらそうにしていた桜を説得して、なんとか聞き出した。
 

「桜ね、いじめられてるみたいなの……」
 
 その言葉を聞いた瞬間、体中の血が沸騰した。

 湧き上がる感情に身を任せて、怒りのまま相手を殴りつけた。主犯格の女もそれを味方する男も関係なく殴り続けた。
 気付けば四人もの同級生を病院送りにしていた。両親や教師からは数時間にも及ぶ説教を受け、道場からは破門。

「どうしてこんな事をしたんだっ」と詰められても俺は黙ったままだった。あわや退学を告げられる寸前で桜が事情を話してくれたらしく、二週間の停学処分で事無きを得たのだった。


 そんな俺が復学した時には周囲の状況は一変していた。
 仲が良かった友達からは避けられて、クラスメイトからは腫れもの扱い。まるでいない人間かのように扱われた。

 それでも後悔はしていなかった。
 
 だけど……
 
「元はと言えば桜を庇ったからじゃん! ○○は悪くないのに!」
 
「いいんだよ。桜が無事ならそれでいいんだ」
 
「ヤダ! 桜がそれじゃ嫌なの!」
 
 と怒る桜を宥めるのには苦労した。
 
「どうして、〇〇はこんなに優しいのに……皆分かってないよ……」

「うん、ありがとうな。でもまあ、俺はやり過ぎたんだ。皆が怖がるのも無理はないさ」
 
「それでも! 悔しいよ…………悔しいっ――、どうしてっ……」
 
 泣き出してしまった桜を抱きしめた。出来るだけ優しく。
 触れたら壊れてしまうんじゃないか――そんな錯覚を覚えるくらい桜は細くて柔らかかった。
 
「大丈夫。俺は大丈夫だから……」
 
 この時、俺が守ってやらないといけない。改めてそう思ったんだ。




 

「夏祭り、一緒に行こう」
 
 なんとなく口にした言葉に桜は満面の笑みで答えた。
 
「うん!」
 
 シンプルな回答だったけどめちゃくちゃ嬉しそうだった。
 その後の帰り道もずっと祭りの話をしていた。スキップしながら俺の前を歩く桜。
 
「危ないから後ろ向いて歩くなよ」
 
 その手を引っ張れば――トスン、と俺の胸に収まる幼馴染。
 
「あ、ありがとっ。へへ、逞しくなったんだね」
 
 胸板の厚さを確かめるように撫でてきた。

「いつのまにか背もこんなに大きくなっちゃって――」
 
 と見上げた桜と目が合って、しばらく見つめ合う。

「――っ」

 耐えられなくなったのは俺が先だったけど、
 
「わ〜い! ○○が照れた! 桜の勝ちぃ~」
 
 なんて喜ぶ桜の耳も真っ赤に染まっていた。

 夕焼け色の空の下。
 どちらからともなく、初めて恋人繋ぎをしたのだった。




 ……




「……ん? えっ? なんだよ、ここ」

 気が付いたら見知らぬ森にぽつんと一人。

「……夢、か?」
 
 いつのまにか眠っていた?
 
 いやそんな筈はない。そもそも俺は歩いていたんだから。夜の川沿いを当てもなく一人で……
 
「まさか、死んだのか?」
 
 ここにくる前後の記憶もないのだ。そう考えたって不思議じゃない。
 
「それにしても、ここは一体……」
 
 360度見回してみても木、木、木。
 どうみても森の中だった。

 どこか幻想的でそれでいてやけにポップな森。
 絵本の中のような、童話の世界。

 そんな印象を受けた。
 
「やっぱり俺も死んだんだ……」

 なんて考えを吹き飛ばすかのように、

「やあやあ!! お困りのようだね!!」

 と足元から大きな声。
 見下ろせば、膝小僧くらいの高さに兎が一匹。
 それもただの兎じゃない。丸縁の眼鏡を掛けて、黒の燕尾服の一張羅。
 二足で歩行で立つ謎の兎。小さな丸い手の中には金色の懐中時計が――キラリ、と光る。

 まるで不思議の国のアリ――

「おっと、それ以上はいけないよ!! イメージの固定化をしてしまうと戻れなくなってしまうからね」

 イメージの固定化? この兎は何を言っているんだ。

「余計な問答はやめておこう!! 君は長居しすぎちゃいけないんだ。このままだとここに閉じ込められてしまうよ」

「閉じ込められる? それにここって……」
 
 眼鏡をくいっと上げる謎の兎。

「ここは生と死の狭間。『迷いの森』さ。時折、人が紛れ込んでくるんだけどね。それを出口へと導くのがボクの役割なんだ!!」

 そう言って兎が懐中時計を掲げる。俺へと見せつけるように。

「ほらほら!! そうこう言ってるうちに時間が無くなってきたっ。急いだ方がいいよ!!」

「急いだ方がいいと言われても……」

「とりあえずはゴール付近まで連れて行ってあげるよ。付いてきて!!」

「あ、おい――って速っ!?」

 瞬く間に見えなくなった兎を慌てて追いかけた。



 
「――はぁっ、はぁー……見つけたっ」

 走り始めて少し、ようやく追いついた。

「お前、速すぎだからっ」

「悪いね!! でも仕方がないんだ。もう時間がないからね。そもそも君のせいだよ!! 何もこんな日に来なくたっていいのにさっ!!」

 矢継ぎ早に喋る兎。
 大きな木の根に足を取られそうになりながらも、俺は必死に兎の後を追った。

「さあさあ!! そろそろだよ。もうひと踏ん張りっ!!」

「お、ようやく」

 どうやらゴールのようだ。森の奥に光が差し込んでいた。

「ゴ――」

 ――スッ、と視界が開けた瞬間。

「え……」

『眩しい!』とか、そんな言葉を用意していた俺はその光景に言葉を失くす。

 眩い光に包まれて目を覚ますものだとばかり思っていた。
 異世界に迷い込んだ人間が戻ってくる定番のパターンだとか、『やっぱり夢じゃん』とかそんな展開を想像していたのに……

「……」

 辿り着いた場所は暗闇だった。
 振り返れば、先ほどまで走り抜けてきたはずの森は跡形も無くなっていて、兎の姿も見えなかった。

「戻ってきた……?」

 ――いや、そうじゃない。

 俺の中の何かが告げている。
 ここは現実世界じゃないと。

 何もない黒の世界。
 そんな空間に――ぼんやりと浮かぶ淡いピンクの花びら。舞い落ちてきたそれが、桜の花だと気付くのにそう時間はかからなかった。
 
「嘘だろ。こんな時期に桜が咲いているなんて」

 見上げた先には、いつのまにか大きな木が一本立っていた。

「この木って……」

 俺はその木に見覚えがあった。間違いない。
『来年も一緒に見ようね!』と二人で約束した――桜の木だ。
 
「……ああ。そうだ。あの木だ……」
 
 唐突に思い浮かんだ記憶は、この桜の木の前で別れたあの夜の事。




 それはいつもの分かれ道だった。

「へへ。楽しかったね。りんご飴にフランクフルト! わたあめでしょっ。たこ焼きにクレープ! あと、これ! ラムネ!」



「全部食いもんじゃん(笑)」

「そうだけど! おいしかったんだもんっ」

 プーッと頬を膨らませる桜。

「ほらほら、後ろ向いて歩くなって! 危ないから」

 そう言って桜の腕を引っ張った。最近やったばかりのやり取りだ。

「えいっ。ふふ。暖かいっ」

 今度は強引に俺の胸へと飛び込んで来た。

「……ねぇ、○○」

「ん?」

 呼ばれて見下ろせば、目が合う――なんてこともなく、俯いたままの桜がぼそりと呟いた。

「桜たちって何なんだろうね? ただの幼馴染?」

「――えっ……」

「……」

「……さ」

「ふふ、な~んちゃって」

 と揶揄うように一歩下がる桜。ぺろっと舌を出す仕草が憎らしくもあり、愛らしくもあった。

「ねえ~今何言おうとしたの(笑)」

「……知らん」

「桜、続きが聞きたいなぁ~」

「続きなどないわっ」

「ケチッ!」

「そもそも桜がふざけなかったら、俺は――」

 人差し指が俺の唇に触れる。

「その先はしっかり聞きたいな……」

「……何もないから」

「え~嘘だ~」

 クスクスと桜は楽しそうに笑う。

 ……いずれちゃんと言うからそれまで待ってて欲しい。

 その言葉すら口にできず、

「まぁいっか。じゃっ、おやすみ!」

 と手を振る桜を見えなくなるまで見つめていたのだった。


 

 ……

 


 何が頬を伝った。その感触に記憶からの帰還を果たす。

「そっか。そういえばこっちが現実か……」
 
 クリアになった頭で周囲の様子を確認するも、

「何だよ兎の野郎……出口なんてないじゃないか」

 見渡す限りの暗闇が続いていた。
 あるのは桜の木が一本。

『時間がない』なんて兎が言っていたけど――

「駄目だ。わからん……」

 半分以上諦めていた。
 戻れないならそれでも構わない。
 元の世界には一番大切だった人はもういないのだから。
 
「桜、俺もそろそろなのかもしれないな。そしたらさ……言えなかったあの日の続きを教えてやるよ……」
 
 俺の呟きに桜の木が答えたかのように――ひらひらと数枚の花びらが風に舞った。
 

 当たり前のようにやってくると思っていた日常は、なんの前触れもなく崩れ去るものだ。

 明
 日
 あ
 り
 と
 思
 う
 心
 の
 仇
 桜

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