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櫻編 1話

この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。



藤崎春樹は夜の街を歩く。
仕事帰りのサラリーマンらで賑わう表通りを抜けて、薄暗い路地裏へと迷いなく入っていった。
駅への近道になるため移動に利用する者も少なくない道だが、いかんせん治安はあまりよろしくない。

普通の人なら避けて通る道を彼は気にする様子もなく進む。
道端に座り込みたむろしている若者、酔っ払いらが喧嘩している様子を尻目に見ながら当てもなく歩いていく。

「やめてくださいっ」

そんな声が聞こえ、声のする方へと。
裏路地のさらに奥、猫一匹いない小道にさしかかると女性を囲むように若い男が三人いた。

「いいじゃんいいじゃん! ちょっと飲むだけだからさ。なにも痛いことするわけじゃないから」

「そうそう! むしろ気持ちイイことしよう! そうしよう!」

「いいねえ! お嬢ちゃんもそういうこと期待してこの道通ってるんじゃないの?」

ニヤニヤ、と下賤な笑いを浮かべる男たちに、

(……こいつらでいいか)

と、まるで獲物を見つけたかのように春樹は目を爛々と輝かせた。






男は上機嫌だった。
これほどの上玉を相手できるのは久しぶりだからだ。
 
だからこそ、

「何してんの? 困ってんじゃん、その子」

こうやって野郎――二十歳そこそこの青年が登場してきたことに腹が立った。

「あぁ? なんだてめえ。しゃしゃり出てくんじゃねえよ」

「この子の彼氏かなんか?」

「……いや? ただの通りすがりだけど?」

「関係ねえぇんだったらすっごんでろよ! タコ! ぼこぼこにしてしちまうぞ?」
 
男の仲間が鼻息荒く青年の周りを囲む――のだが、当の青年はどこ吹く風だ。

「女の子をよってたかって情けねえな。それでも男か? ぼこぼこだ? やってみろよ蛆虫ども」

「な、舐めてんじゃねえぞっ!」

こらえきれず男は殴りかかった。
大振りに放った拳がドゴッ、と音をたてて顔面に当たる。

「馬鹿が! 避けもできねえくせに雑魚が粋がってんじゃねえよ」

「うひょー! クリーンヒットォオ! 痛そう(笑)」

盛り上がる仲間たちだったが――

(手ごたえがねえ……)
 
殴った本人は尻込みしたように後ずさる。
それを追うように肉薄する影。

やべえ!! こいつ速っ――

と、危機感を抱いたその瞬間、そこで男の意識は断たれた。





フェイントもなにもないただのストレートが綺麗に決まった。
振り抜いた右手を戻し、ピクリとも動かないそれを一瞥すると残りの二人に向き直る春樹。

「先に手を出したのはお前たちだからな。俺はただの正当防衛だから……さ」

 両手をあげ自分の正当性を謳う。

「……まだ終わりじゃないだろ?」

 そう言いニヤリ、と笑った。

「くそが!」

「ぶち殺す!!」

挑発に激高した男たちは同時に襲い掛かってきた。

一人が春樹の正面から。
繰り出された拳を首を傾けるだけの最小限の動きで交わし、交差させるように左手を突き出す。
クロスカウンターよろしく、男の顔面に拳がめりこんだ。

同時、その横から三人目がせまる。

「っこのやろう!! オラァ」

いつのまに拾ったのだろうか、男は角材を振り上げる。

春樹は焦ることなくそれを躱すと角材を握る腕ごと蹴り上げ、がら空きになった胴体に容赦なく拳を叩き込んだ。






守屋麗奈は後悔していた。
ちょっとだけ近道をしようといつもなら通らない裏道を利用しことをだ。  

変な輩にからまれ、あわや貞操の危機かと思われたところに一人の男性が現れた。
そして、言い合いになった挙句に殴り合いの喧嘩が始まってしまったのだ。

(こんなことになるならちゃんと表の道を通ればよかった!! れなのばかばかぁ) 

そんな世界とは縁のなかった麗奈は恐怖で身がすくみ、頭を抱え込むようにしゃがみ込んでしまう。

そうして、しばらくすると殴り合いの音も聞こえなくなっていた。

(あれ? 静かになった?)

不安に思った矢先、唐突に肩を叩かれ恐る恐る顔を上げた。

「大丈夫か?」

どうやら、立っているのは助け? に入ってくれた男性ただ一人のようだ。そんな彼の声が思ったよりもやさしい声色だったからか、麗奈は力が抜けへたり込んでしまう。

「こ、怖かったぁ……。えっと、助けて下さった? のかな?」

「ははっ、なんで疑問形? 助けただけ、なんもしねぇよ。あんたはこいつらのついでだしさ」

「あ、ありがとうございますっ」

(ついで?はて?)

そう疑問を頭に浮かべた麗奈に男性が手を差し伸べた。

「立てる?」

「ぁ、はい。……ぁ! えっと、そ、そのぉ、腰が抜けちゃったみたいです」

麗奈は恥ずかしくなって、ぇへへ、と力なく笑う。

「んー表通りに交番あるから、そこまで連れてってやるよ」

「すみません、何から何まで」

「気にすんな」


男性はしゃがみ込み抱きあげようと麗奈に触れた。

ほんの少し触れただけ。

たったそれだけだった――

「「ッッウ!!」」

その瞬間、麗奈の体に衝撃が走る。

触れた指先から腕へ――、腕から全身へ――、それが全身を駆け――、そして脳へ――、まるで電流が流れたかのような、そう感じるほどの衝撃を受け意識を手放した。





……ドサッ、と音を立てて地面に倒れこむ二人。
辺りには他に誰もおらず、喧嘩をしていた男たちも寝たままだ。
表通りの喧噪は鳴りやまず、ここからさらに夜は更けていくのだろう。

薄暗い裏路地。そこには五人の男女が、ただ静かに寝ころんでいた。



誰かが泣いている
一人じゃない、何人も
泣き叫ぶ声、助けを求める声
皆何かを囲み嘆いている
中央にあるなにかを

そこには女性が一人仰向けに横たわっていた
肩まで切りそろえられたとても綺麗な黒い髪
少し細い目はきっちりと開かれている
まるで何かを訴えかけるような見開いたその目と、視線が交差する

いや、したような気がしただけだ

だってその女性は、……死んでいるのだから

床に流れる赤い血
青色のワンピースに身を包まれ、胸には深々と刺さる銀色のナイフ
死んでいる
殺されたのだ

”私”のすぐそばで
それなのに私はただ見ていることしか出来なかった

(ん? 私?)

いやいや違う、私じゃない。私のはずがない、……”俺”だ
まじまじと自身の体を見つめる俺
なんだ?
この体は、俺のじゃない
女性のそれだ
ならこいつは……”私”は一体、――誰だ?


「……さま……るきさま」

「春樹様」

自分を呼ぶ声が聞こえたかと思うと、覚醒するように目が覚めた。

「……おはようございます。春樹様」

「……あぁ、おはよう静江さん」

静江と呼ばれた妙齢の女性は、とても洗礼された佇まいでそれでいて落ち着いた――悪くいえば感情のない――表情で春樹を見つめていた。
水の注がれたコップを受け取り一気に飲み干す春樹。

「だいぶうなされておりましたが、ご気分はいかかでしょうか?」

「あぁ、大丈夫。たぶん変な夢を見ただけ」

(夢にしてはやけにリアルだったな)

と、まだ脳裏にこびりついているそれを振り払うかのように春樹はかぶり振った。

そこでようやく気が付いた。
自分の部屋じゃない。――病室だ。
困惑する春樹の様子にコホン、とひとつ咳払いをする静江。真剣な顔でこう尋ねた。

「……昨晩のことは覚えておりますか?」


静江の話によると夜の十時頃のこと。
パトロール中の警官が裏路地で倒れている五人の若者を発見した。急いで救急車を手配し病院へと搬送する。

幸い五人に大きな怪我もなく命に別状はないと。

内、三人の男性に殴られたような痣がみられ、状況から察するに喧嘩だっただろう……、とそう処理されたらしい。

男性三人はすぐに意識を取り戻し、そのまま警察の事情聴取のため病院を出て行った。

女性もつい先ほど目を覚まし、駆け付けた連れと共に退院したのこと。

春樹は八時間弱眠っていたらしい。念のため脳波の検査もしたがそれも異常なし。
目を覚ましたならばすぐ退院できるのことだった。



帰宅の途。
静江の運転はいつも以上にとても丁寧だ。
異常がなかったとはいえ先ほどまで眠っていた春樹を気にかけてのことだろう。

そんな春樹はというと、後部座席にて車にゆられ窓の外を流れる街の様子を見て物思いにふける。
昨日の事、そして先ほど見ていた夢のこと。どちらもまだはっきりと覚えていた。

(とりあえず夢のことは考えても仕方がない。昨日の事だ。喧嘩をしたことは覚えている。……女性を助けたことも。腰を抜かした女性に手を差し伸べた……。ここまでだ、ここまでしか思い出せない)

思い出そうとすると――ズキリ、と頭に鈍い痛みを感じた。

しかめつらをしていた春樹をミラー越しに確認した静江がため息まじりに呟く。

「喧嘩はほどほどにして下さい」

静江がいつも口すっぱく言っていること。
そして、いつも通りの返答をする春樹。

「……大丈夫。俺は負けないから」

分かっている。
そういうことではないのだろう。
それでも、素直じゃないのが春樹という人間なのだ。
 

呆れたように静江がまたひとつ、ため息をついた。




豪邸。
都内の片隅に鎮座するその屋敷はまさに豪邸といっていいほどのものだ。  
そこに住むのは春樹とそれに仕える静江のただ二人。

広々としたリビングの中央、いかにも高級そうなソファーに腰かけ春樹はテレビのスイッチを入れニュースを一つ選ぶ。

そんな春樹には気にも留めず、朝の支度を始める静江。
藤崎家のいつもの日常の開始である。


「あっ!!」

そんな平凡に似つかわしくない大声が出た。

「いかがなさいましたか? もしかして具合が――」

心配そうに春樹の様子を伺う静江。

「いや、なんでもない。大丈夫」
 
言葉とは裏腹に、食い入る様にテレビを凝視する春樹。

(似てる? ……いや、似すぎなんてもんじゃねえ。こいつだ、間違いない……さっきの夢の女だ!)

そう確信した。
テレビに映るハンバーガーを頬張る女性。ちらっと映っただけだったが、間違いない。
春樹が先ほど見た夢の中で殺されていた女性がそこにはいたのだった。

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