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櫻編 3話

藤崎春樹は死んだ。
刺されて死んだはずだった。

ベットからずり落ちるようにして目が覚める。
まず、自分が生きていることに驚いた。

「背中、刺されたはずだったよな……」

夢ではない。あの痛みは本物だった。
しかし、

「……ない。傷も、痛みも」

体に異常はない。

(逆にもう死んでいる可能性もあるのか?ならばここは天国か、……もしくは地獄か……)

――ピッピピピピピピ

そんな考えもアラーム音によってかき消され、覚醒しきっていない頭で辺りを見まわす春樹。

淡いオレンジ色のレースのカーテンからは朝日が差し込んでいる。
見慣れた家具が並ぶ見慣れた部屋。静江が毎日手入れをしてくれている観葉植物。
まだ薄暗かったが、そこが自室だと理解するのに数秒もかからなかった。

(天国でも地獄でもない、……俺の部屋だ)

けたたましくなる時計を止めるとゆっくりと立ち上がる。

(さっきのは夢だったっていうのか? ……あれが? 全部? ……夢にしては長すぎるだろ、……それにリアルすぎた)

夢ではない。理由は分からないがそう感じる。
それだけは間違いなかった。

二階にある自室から玄関へ続く階段を下っていると、ちょうど出かける準備をしていた静江と出くわす。

「おはようございます春樹様。本日は春樹様ご要望であられました例のイベントの日でございます」

「ああ、おはよう静江さん。大丈夫、覚えているよ」

「左様でございますか。それと先日伝えておりましたが、予定がございまして送迎は出来かねます」

申し訳なさそうにそう告げる静江。

「ああ、大丈夫、問題ない。……いってらっしゃい」

侍女を見送った春樹はリビングに移動する。
テーブルに用意されていた朝食を食べ始めようとし……

「……やっぱり、夢じゃない」

先ほどまでの静江とのやりとりを思い出す。
そして用意されていた朝食の献立。
その一連の流れは、夢だと思われた内容と寸分狂わずまったく同じだったのだ。

しばらくぼーっと突っ立ていた春樹だったが、何かに突き動かされるかのように、テレビのスイッチを入れる。
ちょうどテレビの中のキャスターのかつらが取れてしまうという珍事が起きる。

(これも同じだ。一度見た)

その内容すら春樹は知っていたのだ。

その後の移動中の事。急いでいるらしい男性にタクシーを譲る。

(……これも)

突然のスコール――今回は所持してきた傘でやり過ごしたが――

(……これも)

渋滞に巻き込まれまいと裏道を通るタクシー。

(これもだ、ほらそこで……)

細道に差し掛かり窓の外を眺める春樹。塀の上でじゃれあっている白と黒の猫がいた。

それも知っていた。

すべて知っていた。

いや、体験していた。

夢ではなかった。

一日をやり直していたのだ。

(時間が巻き戻った?)

どうしてか、そんな気がした。
最近は不思議なことばかり起こる。先日の予知夢らしき夢、そして今回の巻き戻り。
確証はないが、ほぼ間違いないだろう。

何か不思議な力に目覚めた。

もしくは、何かに巻き込まれている。

そう春樹は考える。

(まぁよくわからねえけど、もう一度同じ一日を繰り返してるっていうんなら、チャンスをもらったってことだろう? ……だったら次はうまくやってやろうじゃねえか)

静かに闘志を燃やすのだった。

 



再びイベント会場にたどり着いた春樹。
張り出された告知を前に立ち尽くしていた。

「……は? なんだよ?? これは……知らねえ……どういうことだ?」

同じ一日をやり直してるはずだった。
だから、これから起こることはすべて知っている。
藤吉夏鈴が襲われることも、かわりに自分が刺されることも。

すべてに対処してみせる。 
そう考えていた。その一文を目にするまでは――

『体調不良により、藤吉夏鈴 午前の部欠席のお知らせ』

春樹の知らない二度目の”一日”が始まる。

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