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櫻編 22話

(春樹くんでも泣くんだ……)

それが守屋麗奈の最初に抱いた感想である。
病室の椅子に腰かける春樹、彼の瞳から静かに涙が零れたのを麗奈は見逃さなかった。

(ぁ~あ、出遅れちゃったなぁ)

そんな春樹の隣に座りやさしく手を添えた夏鈴。
その行動に少しだけ嫉妬した麗奈だったが、

(って、こんな時に何考えるの! れなの馬鹿っ)

自らの邪な考えに自責の念に駆られるのであった。



 

――亡くなった

そう聞こえてきた。
田村保乃はその言葉に思わずコップを落とした。

亡くなったと聞いて動揺したのか、それとも割れた音に動揺したのか、もしくはその両方か。

慌てて割れた破片を回収しながら、その意識を――テレビへと戻した。

『昨夜未明、自宅にて死亡している事が確認されました。 警察の調べ……すと……殺された……、また……。さらに――」

殺された。正確には暗殺されたらしい。
信じられなかった。昨日までテレビで見ていた総理大臣が――

日本で暗殺されるなんて……

思わぬ報に保乃は狼狽える。

そんな彼女の携帯に着信が入る。

『静江さんが目を覚ました』

と。
その嬉しい知らせに保乃は急いで出かける準備を開始する。
割れたコップの掃除もそのままに、ニュースの内容も頭の片隅に追いやって、知人の回復に安緒する保乃であった。



 

この日、春樹らと共に静江の見舞いに訪れていた藤吉夏鈴。
偶然にも静江の意識が戻った時に居合わせた。

(良かった。意識が戻って)

心からそう思った。
春樹はもちろん、麗奈も、この場にいない保乃だってそうだろう。
第二の我が家みたいに過ごさせてもらっていたこともあり、だいぶお世話になっていた。静江の回復を祈っていたのは皆同じだった。


「……ありがとうございます」

目覚めて開口一番、静江がそう述べた。
まだ動ける状態でないのだが、体を起こすと僅かに頭を下げる。
夏鈴らに感謝の意を示したのだ。

「い、いえ。そんな御礼を言われることなんて……」

謙遜ではない。本当に何もしていないのだ。
できたのは見舞いくらいである。

「……春樹様のことです。皆様が支えて下さったのでしょう、良い顔になりました。」

「……おい。まだ目が覚めたばかりだぞ。……いいから寝てろって」

静江を労わるように、静かに横たわらせた春樹。
それでも静江は目線だけ向けて話を続ける。

「憑き物が落ちたような、このような春樹様を見たのはいつぶりくらいでしょうか? 旦那様が亡くなった以来でしょうか――」

(そうなんだ……)

不意に知らせされた春樹の過去。
自分の事は滅多に話さない彼だ。興味深げに話しの続きを聞き入った。
隣にいる麗奈も神妙な顔で聞いている。

春樹はというと、照れくさそうに鼻の頭をかいている。
それも限界がきたのか、もういいだろうと話の腰を折った。

そこへ、
勢いよくドアを開けて保乃が到着する。

「――とぉ、っとと、遅れてもうた~! ――ぁっ!!」

――し、静江さーん。と抱き着く勢いだったが、春樹に羽交い絞めされ抑えられた保乃。
興奮冷めやまぬのか、嬉しそうに静江に話しかけ矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

「はい、……はい。ふふふ――」

優しい表情で相槌を打つ静江であった。
 







保乃が来てから三十分くらいだろうか。

「ぁ、寝ちゃった?」

静かに寝息を立てはじめた静江に盛り上がっていた会話を中断する一同。
春樹は念のため医師に確認を取る。

『どうやら、話疲れて眠ったようです』

とのことだ。

『年齢の割に回復が早い。そう遠くないうちに退院出来るでしょう』

それを聞いた途端。

春樹の目から涙零れた。
自分でも気づかないうちに……

泣いたことなんていつぶりだろう。
両親が亡くなってから泣いた記憶がない。

だからこそか、

母親代わりだった静江。
唯一の家族を失わずに済んだこと。

それは春樹にとって、とても大きなことであった。

「良かった……」

自分でも驚いた。
素直に口にするなんて――

ぎゅっと、やさしく夏鈴が手を握る。
その手を春樹も握り返した。

「ありがとな……三人とも。本当にありがとう」

これもまた素直に出た言葉であった。
 



 

 
とある拘置所。
その地下には一般には知られていない特別な囚人用に作られた牢屋がある。

簡易なベットに横たわり、ベルトのような拘束具によって身体の自由を封じられている一人の男。くすんだ金色の短髪をしたその男――九条。

――カツン、という音が聞こえどうにか体を起こす。

(……よぉ、遅かったじゃねぇか)

喋ることさえ封じられている為、声は出なかった。
それでも意志は伝わっているだろう。
気だるそうに顔を上げ、鋭き眼光で現れた人物らに視線を注ぐ。

白い法衣に身を包み、漆のような黒髪を綺麗に切り揃えたボブヘアの女性。
三十、あるいは四十くらいだろうか、口元に浮かべた微笑が妖艶な色気を醸し出していた。

女は九条の牢屋の前に現れると、まるで鍵など掛かっていなかったかのようにすんなりと扉を開け、室内へと足を踏み入れた。

その後ろから一人の男性が続く。
女性に付き従うかのように二歩後ろにて直立不動の姿勢をとる。
白髪をオールバックに纏め、執事服を着用する初老の男性だ。

(……まさか最澄自らおいでになるとはなぁ)

予想外の人物である。
最澄――九条が属する組織『イルミナティ』の長。

最澄は静かに九条を見つめていた。

一言も発せず、ただ見つめているのみ。

(ぁ? なんだ?)

沈黙に耐えかねた九条だ。
言いたいことがあるなら言え。と、顎をしゃくる。

そのジェスチャーに最澄はゆっくりと口を開く。

「九条……貴方は――」

途端、強烈な寒気を覚えた。
身の危険を感じた九条は力を解放しようと腕をあげようとし、

(な!? う、動かねぇ)

指先、足の爪先から急激に熱が失われていく。
まるで石のように硬まる九条。一瞬にして手足の感覚がなくなっていた。

「貴方はやり過ぎました」

九条の首へと最澄の手が伸びる。
女性の力ではない、怪物のような握力で握り絞めたのだ。

声がでない。

苦しさに顔を歪ませる――ことも出来ない。
体の自由を全て奪われた。

そして、掴まれた首から水分が失われていくかのように、もしくは――精力が抜けるかのように――干からび始めた。

「貴方の行動にはだいぶ目を瞑ってきました。その意思もわたくしは尊重してきたつもりです。……ですが、今回ばかりは看過出来ません」

微笑む最澄。
平均より少し大きい彼女の黒目、闇よりも深いその黒が九条の瞳を覗く。

感情の色が見えないその眼が九条の心を恐怖で埋め尽くしていた。

「今まで御苦労様でした。――さようなら九条」

その言葉が聞き取れたのか、九条本人も分からぬまま。

そこで――彼の世界は遮断されたのだった。





拘束具がストンと砂の上に落ちる。
白い灰のような砂の山――元は九条と呼ばれた男そのものだったソレを冷めた顔で見つめていた初老の男。

一仕事を終えた主人――最澄が振り返ると同時、男はズレていた左目の眼帯を正した。

「お疲れ様で御座います」

「……貴方もでしょう? 橘」

主からの労いに橘と呼ばれた男は、

「左様でございました」

と同意の意を示し、預かっていた杖を差し出す。

最澄はそれを無言で受け取ると、一度も九条へと振り返ることなく部屋を出て行った。

男もそれに倣うかのように続くのであった。

――カツン、カツン

杖の音だけが地下の通路に響き渡る。

螺旋状の階段を上ると大きな鋼鉄製の扉が見えてきた。

地上へと続くその扉を開けようとノブを掴んだ橘。

ふと上から聞こえてくる喧噪に動きを止める。

「何やら騒がしいですね。何事でしょうか」

同じく聞こえていた最澄がそう言葉を発した。

地上へと出てきてみれば、侵入した彼らを多数の看守らが待ち受けていた。



――訳ではなく。

看守・職員たちが建物の外に出ていたのは確かではあるが……

彼らは皆一様にして空を見上げ、二人の存在などまるで意に介していない。

不思議に思った橘は同じように空を仰ぐ。

「あらあら、これはこれは……驚きましたね」

と言葉では言うものの、さして驚いたようには見えない最澄である。

「アレが厄災でしょうか?」

”厄災”
イルミナティに属する《予言》の力を持つ人物が数年前に予知した言葉。

『空から訪れる大厄災』

それがアレなのではないか――そう最澄は問うのだ。

「……恐らくは」

定かではない。

「どう思います? ……落ちてきますか?」

「落ちる、と思われます。……間違いなく」

今度は確信をもって答える橘。

彼らの見上げた先、瞳に移るその”厄災”と思わしき事象。


黒き空にオレンジ色の微かな光。

それが次第に大きくなっていく。

一つ二つではない、群れと表現したほうが確かだろう。
 

――ジリリリリリ、と電話の音が鳴る。
それを皮切りに辺りで着信音が鳴り始めた。

世間が気づいたのであろう。
流れ星などではない。

間違いなく、地上へと落ちてくる。
それがどれだけの被害を起こすのであろう。

愛する者へと最後になるかもしれない通話する者。

家族と絶望に震える者。

ただ呆然と空を見上げる者。

皆一様にしてその時を待つしかなかった。

「行きましょうか」

「御意に」

いずれにしろ長居するわけにはいかない。
すぐ下で仲間を処刑したばかりである。
これから何が起きようとも、まだ能力者という存在を表沙汰にするわけにはいかない。

世界がどうなろうと彼らには彼らの目的がある。

その時までは……

そうして、喧噪に紛れるように拘置所を後にする二人であった。
 

 

 



その日、各地に降り注いだ小隕石群は”世界”を巻き込む騒動を引き起こすことになる――

櫻編  完

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