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乃木編 2話

 駅前にある商店街の小さなスーパー。
 そこから出てくる仲良そうな雰囲気の二人の女性。

「あははは。それでさ~」

「あ、そっちの方が重いでしょ? 持ってあげるよ」

 と手提げ袋を奪う美月。
 代わりに史緒里に渡された小さなビニール袋。

「もう~。私だってそのくらい持てるもん」

「いいのいいの。これもトレーニングの一環だからねっ」

「ふふ、ありがとう。……美月のそんな優しいところが好きだよ」

「えへへ~私も~」

 好きだよと言われて嬉しそうに笑う美月。
 両手いっぱいに荷物を持ちながら史緒里に抱き着く仕草を見せた。

「……」

「……?」

 同じように腕を前に出して飛び込んでくるであろう相方を待っていた史緒里だったが、美月の視線の先へと振り返ると、不思議そうに尋ねた。

「どうしたの?」

「え? あ、いや。なんでもないよ。何か知り合いがいたような気がしただけ」

「そう? ……それなら、いいんだけど」

「うんうん、ごめんね。私の勘違いだったみたい」

「そっか。それじゃ、いこ」

 美月が手に持っていた買い物袋のひもを片方掴む。
 そんな史緒里に優しく微笑む美月。

「よ~し、早く帰って史緒里のシチューを食べようっ」

「ふふ、じゃあ頑張って美味しいの作らないと」

 そんな風に談笑しながら二人は帰路へと着いた。


 

 史緒里たち二人から少し離れた電柱の陰に男が一人。
 気配を殺し遠巻きに二人を見つめていた。

(……あぶなかった~)

 勘がいいようだ。
 次はもう少し離れて尾行しなければならないだろう。

 二人が住むマンションまで尾行を続け、しばらくして来た道へと男は戻っていった。

 時刻は夜の七時を過ぎ、徐々に帰宅する人らで溢れ出す駅前。
 その大通りの人混みを抜けると、閑散かんさんとした住宅地に差し掛かった。

 パーカーのフードを頭まで被りゆっくりとランニングを開始する。
 徐々にスピードを上げて街の喧噪けんそうから少し外れた道へと入っていった。
 住宅街から離れたその道は街灯も少なく、薄寂れた工場の跡地が並んでいる。
 日も落ちて不気味なくらい静まり返った通りを気にすることなく走り続けた。

 そうして会社帰りであろう一人の女性とすれ違った。

 ほどなくして男は足を止める。

「……」

 ふと、何かを思い出したかのようにきびすを返して歩き出した。

「……」

「……」

 前方の女性がちらちらと振り返る。

「……」

「……」

 男は一定の距離を保ったまま女性の跡をつけた。

「……っ」

 だんだんと早歩きになる女性。
 続くように男も速度上げる。

「ふふ」

 男はわらう。
 ようやく獲物が焦り始めたようだ。

(いいよ~いいよ~。どんな顔をしてるのかな~。早くみたいなぁ)

 恐怖に歪む顔、絶望に染まる顔、助けてくれと懇願こんがんする顔。
 似ているようで似て非なるもの。
 今宵こよいはどれと出会えるのか。

(ああ、楽しみだ)

 女性が角を曲がると同時、カツンという音が聞こえてきた。
 ヒールの音だ。続けてそれがカツンコツンと小刻みに繰り返された。
 走り出したであろうことが容易に想像できた。

(……逃がさない)

 いよいよ大詰めだ。
 獲物を捕らえるため全速力で角を曲が――

「――な!?」

 男は驚愕きょうがくした。

「な、なぜここに?」

「なんでやろな?」

 質問に質問で返す女性。
 その背後にスーツ姿が走り去っていくのが見えた。

「き、奇遇ですね。西野先生」

「そうやな、こんな夜道に、こんな場所で会うなんてな~」


「……ははは、そ、それじゃ。また明日」

 そう言って横を通り抜ける。

「あ~、いや。ちょい待ってほしいんやけど」

「……なんですか?」

 呼び止められて歩みを止めた。
 背を向けたまま僅かに首をめぐらせて続きを待つ。

「一体何をしとったんか聞こうと思うてな」

「……」

「なんであの女の人を追い回しとったんか」

 女の声色こわいろが変わる。

「……なぁ」

「……」

「山本」

 ドスの効いた声で名前を呼ばれ、男――山本洋介は溜息をいた。

「はぁ~。まったく……いつ気づいたんですか? 僕のことを」

「正直に教えたると、夕方かな? 久保たちの跡をつけてたやろ」

「……ひどいなぁ~。僕のこともつけてたんですか?」

「ん~。つけていたといえば、そうやけど。違うともいえるかなぁ」

「……?」

 要領を得ない返答だ。

「まぁ、山本には関係ない事や。気にせんでええで」

「そうですか」

 どうでもいいことだ。
 やることは同じ。
 獲物が変わっただけ。

「西野先生……。知ってますか? 女性が一番魅力的に見える時っていつだと思います?」

 そう話しながら洋介は胸ポケットに手を突っ込んだ。
 七瀬からは見えないように”それ”を握る。

「なんやろ? わからんなぁ、よかったら教えてくれへん?」

「ええ、いいですよ。……それは――」

 振り向き様、ポケットからナイフを抜き取り七瀬の喉元目掛けて突き刺した。
 

「な!? へ?」

 思わず素っ頓狂すっとんきょうな声を上げる洋介。
 ナイフを持っていた腕がおかしな方向へと曲がっていたのだ。
 さらに関節からは尖った骨が突き出る様に見えていた。

「へ?」

 理解できず再び同じ音を発する。
 数舜後すうしゅんご、『ああぎゃああああああ』と雄たけびをあげて、折れ曲がった腕を抱える様にうずくまった。

「どないしたん? 軽くひねっただけやんか~。大袈裟おおげさやな~山本は」

「あああああああ、ふ、ふざけんな――ぼ、僕の腕が、ああああ」

「男の子なんやから、しっかりしいや!」

「っぶ!?」

 あごを蹴られて強引に起こされると、フードごと髪の毛を掴まれた。

「ほ~れ。指導の時間を始めるで」

 ――バチン、と頬を叩かれる。
 返す手の甲が再び頬を叩いた。

「ッいだ」

 止まることなくそれは続いた。

「あ、あば、あぼ、や、やめ、いぎ」

「ほい、ほい、ほいっと~」

 執拗しつように、何度も洋介の頬を叩く七瀬。

「ほれほれ~。あと百回はやったろか~」

 と、笑うように宣言した。
 幾度いくどとなく顔の向きを変えられて、ぐわんぐわんと脳が揺れる。

 馬鹿な。
 なんだこれは。
 どうなってる。

(なぜ僕がこんな目に……)

 次第に薄れていく意識の中、視界に移る七瀬。
 洋介を見るその眼が、その顔が、

(ああ……なんだよ。やめてくれ……なんだその顔は……)

 洋介にとってはとてつもなく恐ろしく感じたのだ。

 笑った顔。
 怒った顔。
 怯えた顔。
 悲しい顔。

 そのどれでもない。
 無の顔が洋介を覗いていたのだった。


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