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日向編 10話

正源司陽子は振り返った。
暗い山道を走る一団の最後尾にて、師の合流を期待しているのか、はたまた人狼の追走を警戒しているのか。

陽子本人もわからぬまま、無意識に幾度となく振り返っていた。


「――あ! 見えた!!」

先頭を走る菜緒の声だ。
どうやら県道へと辿り着いたようである。

片側二車線の道路で山道としてはだいぶ大きい。
どちらかというと田舎に分類される道沿いでも、しっかりと灯りが整備されている辺りは近隣住民の多さが関係しているのだろうか。
それでも一定の間隔を置いて設置されているので、多少の薄暗さが緩和される程度ではあった。

「――っはぁ、ふぅ――」

肩で息をする。
レッスンや真壁との修練で多少なりとも体力には自信があった陽子。
彼女ですら息が上がっていたのだ。
ここまで走り続けてきたのだから無理はない。

「み、みんな――、休んでる暇ないみたい……まだ後ろやけど、何体かくるで」

(茉莉さん……伊藤さん……)

人狼を相手してきた真壁がいない今、陽子がやるしかない。
これ以上失う訳にはいかない。
大切な仲間を守らなければ。

瞳を閉じ、拳を握る。

(落ち着け……冷静になれ……研ぎ澄ませ……)

静かに息を吸ってゆっくりとそれを吐き出した。

頭は冷静に――心を燃やせ――皆を守る――覚悟を持て――

カッと見開く。
そこで陽世と目が合った。

金属バットを胸の前で握る陽世。
先ほどまで泣いていた彼女と同一人物なのか。
何かを決心したような強い眼差しで陽子を見つめている。

陽子も同じ。
強き決意を以て陽世を見つめ返す。

二人してこくり、と頷いた。




月明かりと、たまに訪れる微かな街灯の光のさなか、少女たちは山を下る。

忍び寄る人狼を警戒しできるだけ離れないように走る陽子たち。

「来た!」

「――ッ!!」

菜緒の叫びを合図に周囲に目を光らせた。

「嘘でしょ……こっちから?」

と驚く菜緒。
逃げてきた方向とは逆を向いて――

警戒していた反対側の林から姿を現す一体の人狼。
 

「来るなら、ッ来い!」

――カァン! と何かを地面に叩きつける音。
金属とアスファルトの衝突音だ。

その音に警戒しのたか、鬼気迫る表情でバットを振るい、威嚇するように叫ぶ陽世に押されたのか、それ以上距離を詰めることはなく並走するように横に並ぶ人狼。

その距離僅か数メートル。スッと身を寄せる様にその間に陣取る陽子。
走りながらも戦闘態勢を取った。

こちらの様子を伺っているのか尚も並走を続ける人狼だったが、さらに現れた一体の人狼が辿り着くと、ようやくといった感じで距離を詰めてきた。

走りながら戦える力量など陽子にはなく、

「皆さんは先に……」

殿を務めるかの如く足を止める。
同じようにハルも! と陽世がそれに続いた。

「え? だ――」

菜緒らが口を挟む暇もなく、

人狼が襲い掛かった。


「ふーっ」

(思い出せ! 師匠の戦いを――)
 

『不用意に手を出すな』

同格以上を相手する時に心せよと師に言われた言葉。
冷静に、相手の攻撃を対処して隙を突く。
これが教わった戦法である。
修行期間一年半の陽子にある程度は授けようとした師の苦肉の教えでもあった。

それでも人狼相手には有効なのも確かである。
基本的には大振りな攻撃、パターンも多くはない。
自慢の牙で噛みつくか、伸びきった爪で切り裂くか。
フェイトも何もない――本能のままに襲い来るのだ。

 

迫る大きな口を焦ることなく体を背けるようにして躱す。
そこを後ろから突き出された金属バッドが、ちょうどよく口の中へと突っ込まれた。

反射的に閉じた口が――ガギィン、と音を立てる。
刃こぼれするかのように砕けた牙。

痛みに顔を歪めた人狼、身を屈めながらその懐に潜り込む陽子。

(真壁流・一の型……)

構える必殺の一撃。

「弧月!!」

それがわき腹へと――着弾した。

「グガァアッ――」

だらしなく舌を出して前のめりに崩れ落ちる人狼。

陽子は覆いかぶさるように蹲ってきたそれから慌てて距離をとった。

――まずは一体。

小さく丸まった仲間を跳び越すようにもう一体が飛び跳ねた。

「下がってくださいっ!」

叫びつつ陽世とともに数歩下がる。

 
そんな中、

「まずっ、追いつかれてもうた」

菜緒が呟くのが背後から聞こえてきた。
旅館側からの人狼が追い付いてきたということだろう。

(!? いや、ダメダメ! 焦るな! まず、一体……)

芽生えた焦りの感情を振り払うかのように、大きく息を吸って吐き出す。

その瞬間。
 

「え――!?」
 
陽子が驚くのも無理はない。
目の前にいたはずの人狼が一瞬の内に闇に溶けたのだから。

理由は単純。
ちょうど雲に隠れた月によって明かりが途絶えたその一瞬、偶然にも身を屈めることで陽子の視界から外れていたのだ。

足元から迫る人狼に気づけたのは、再び現れた月の明かりに反射され怪しく輝いた銀色の光が見えたからだった。

「うよっ!?」

戦いに似つかわしくない素っ頓狂な声を上げながら、反射的に上へと顔を背けた――後ろへと倒れ込むように。
その顔面スレスレを獣の右手が切り裂いた。
あと数センチずれていたら当たっていたであろう。

肝が冷えた。

尻もちをつくように倒れた陽子だったが、すぐさま転がるように横に退避する。
死の恐怖を感じる暇もない。
続けて左から迫る鋭く尖った爪、それから逃れようと必死に体を動かした。

 

そうして二度ほど陽子へ斬撃を放っていた人狼だったが、ふいに動きを止めた。
攻撃を仕掛けようとしていた陽世に気づいたようだ。

「せいやぁああ!」

横薙ぎに振るわれたバッドに対して左爪を振り下ろして応戦する。

二つの軌道が十字を描くように交差した。
そのひとつがキィンという音と共に真っ二つに――

「やば……」

敗れたのはアルミ製の棒の方だ。
半分の長さになった金属バッドを尚も握り絞めていた陽世。
接近してきた人狼へと咄嗟にそれを向けた。

「いや、短――」

頼りなくなってしまった武器に呆れる間もなく、再び振るわれた人狼の左手が容赦なくそれを弾き飛ばした。
 
 
「陽世さんっ――あ、――ッ!?」

同時、
体勢を立て直した陽子の目の前に新たな人狼が現れる。
そいつは跳躍しながら林の中から飛び出してきた。
陽世の前にいる人狼とちょうど背中合わせになるように。

訪れたのは跳躍後の僅かな硬直のみ。
大きく飛んできた人狼、着地の衝撃を和らげようとして屈伸していた膝が伸びる。

――否、伸びようとしていた。
その隙が見えたほんの一瞬のことだった。

陽子の周囲の音が――今まで聞こえてきた喧噪が――ぱたりと止んだ。
全ての動きが止まったかと錯覚するくらい緩慢に感じる。
己の体だけが別の時間軸に存在するかのように。
 

極限まで研ぎ澄まされたが集中力が陽子の世界――ゾーン――を展開する。
 

(まただ――この感じ――)

ゆっくりと動く人狼へと陽子は素早く距離を詰める。
こちらの動きを認識できていないのだろう。

(いける気がする――)

その人狼へと向かって今宵、三度目となる”弧月”を放つ。

螺旋を描いた一撃は正面の一体だけに留まらず、ちょうど背中合わせになっていたもう一体の人狼へと。
衝撃に両手が大きく広がり空を見上げる様に顎が上がる。
背骨がぎりりと音を立てアバラ骨が浮き上がるのではないかというくらい体が折れ曲がっていた。

「……すごっ」

感心するかのように陽世が呟いた。
 
折り重なるように倒れ伏した人狼を確認すると、残心を解いてゆっくりと息を吐く陽子。

たった二人の少女が人狼二体を相手取り、それを打ち倒したのだ。

「陽子も陽世ちゃんも凄い!!」

歓声を上げる仲間たち。

「うんうんナイス!! ……ナイスなんだけど――」

だがしかし、

「急ごうっ。もう来とる」

休んでる暇などない。
新たに迫る集団が陽子の目でも確認できた。
五、いや六体。
バッドも失ってしまい、とてもではないが相手できる数ではない。

すぐさま走り出す一同。
緩やかな下りだったが焦ると躓く恐れがある。
もしケガなどしてしまえば麓まで走り抜くこともできない。
それに体力の限界も近かった。
 

そんな彼女たちに人狼らが追い付くのも時間の問題であろう。
 

振り向くことができなかった。
追いつかれたら終わりだという恐怖が彼女たちに襲い掛かっていたのだった。

 
 



 
 
後ろから聞こえる。

獣の唸り声。

草木が揺れる音。

感じる気配。

すぐそこまで来ている。

(どうしよう……)

焦る陽子。
あれよこれよと頭の中で思い描くが、陽子一人で数体もの人狼を相手できる未来が想像できなかった。
 

(もう……だめかも――)

と諦めかけたその時。
ふいに目の前が真っ白に染まった。
その強烈な光に思わず顔を背けた。
 

それは一台のバスだ。

大きなカーブに差し掛かった陽子たち。
そのすぐ横を猛スピードで通り過ぎると、陽子らと人狼の間へとドリフトしながら車体を滑り込ませた。

遠心力に引っ張られながら、ギギギギーッと擦れる音を残し、後輪側の車体が数体の人狼を弾き飛ばす。
 

そうして前方側のドアが開き――

「乗れ!!」

運転手が叫ぶ。

「こ、今野さんっ」

今野だ。
思わぬ再会に喜ぶも陽子らだったが微かに聞こえる獣の声にすぐさま乗り込むことに。
 

「あと陽子だけだよ」

最後まで警戒を続けてい陽子に帆夏が声をかけた。

「うん」
 
「よ、陽子――」

再び名を呼ばれたのだが、さっきとは違う声のトーンと背筋が凍るような殺気を感じ、それらに押されるように咄嗟にドアと距離を取った。

同時、暗闇から人狼が現れた。

切れかかっていた集中力を再び呼び起こし、なんとか構える陽子。
 

「え? あ、まずいかも」

囲まれていたのだ。
ドアとの間に早くも二体目が現れ、さらに左右からも人狼が迫っていた。

じりじりと後退する陽子。
だったが、右側の人狼が開いていたドアへと視線を向けていたのに気がついた。
 

(ダメ! それだけはッ!!)

浮かび上がる最悪のビジョン。
バスに乗り込んだ人狼が起こすであろう惨劇を、頭の中で必死に否定する。

だからこそ自然とその言葉を口にしていた。

「行って下さい!!」

「ば、馬鹿! そんなことできるわけないでしょ」

「でも、皆さんが!」

陽子の悲痛な訴えに同調するかのようにその人狼がバスへと向きを変えた。

「ッ!? させない!!」

慌てて斜め右に体を向ける。
そして仕掛けようと一歩踏み出した。
 

『不用意に手を出すな』

忘れていたのだ。

仲間を助けたい、その気持ちが先走っていた。
確かに右の人狼は陽子に背を向けている。しかし、陽子の目の前には他に二体もの人狼がいるのだ。
その事を失念していた。

「――あっ」

そんな隙だらけの彼女に人狼は自慢の顎を大きく広げてかぶりついた。
 

(死ぬ――)


思わず目を瞑る。


ぐしゃあ、と何かが潰れる音。

一拍遅れて聞こえてきた強烈な打撃音。

されど痛みはない。


恐る恐る瞼を開いた。



「すまない、遅くなった」
 

聞こえてきたその言葉に目頭が熱くなった。
 

溢れ出す涙。
 

垂れてきた鼻水を力いっぱい啜る。
 

「――師匠!!」

陽子は声に出して叫んだ。
 
全身血まみれでそこかしこに小さくない裂傷が窺える。
見るからに痛々しい姿だった。
しかし、凛とした佇まいのいつもの彼がそこにはいたのだった。
 

陽子に噛みつこうとしていた人狼だったが、横から現れた真壁により殴り飛ばされ、そのまま右側の人狼へとぶつかり、二体して動くことなく地に伏せることとなったのであった。

 

突然の真壁の乱入に混乱しているであろう人狼らを背に、

「わわわ!?」

と驚く陽子を肩に担ぎあげる真壁。
人一人抱えているとは思えないほど洗練された動きで振り向きざま人狼らを蹴りとばした。

「うそお!?」

もはや驚くことしかできない。
彼の前では人狼など赤子に過ぎないのか。
茉莉が授けた”騎士”の力とはこれほどのものなのだろうか。
陽子があれほど苦労した人狼たちは成すすべなく、瞬く間に一掃された。

それほどの隔絶した力の差をもってしてもここまで傷を負っているのだ。
一体どれほどの人狼を相手にしていたのだろう。
師の奮闘を想像して、胸の中に熱いものが込み上げてくる陽子であった。

 




 

この山で起きた人狼騒動。
生存者百名余り。それが麓の集会所に逃げ寄せてきた人の数である。
 

朝日が昇る。
黒い煙が同じく空へと昇る。

大きな駐車場の真ん中で巨大な炎がゆらめいている。

死体を燃やしているのではない――現場検証があるのなら、残さなければいけない―

薪になりそうな物をただただ燃やしているだけである。

それでも彼らが生きるために――前へと進むために。

昨夜亡くなった人々らを憂い、火にくべるのだ。

それを囲むように各々が思い思いの場所に腰を下ろす。

肩を寄せ合い、中には涙を流して、静かにそれを見つめるのであった。

 

あれから人狼の襲撃はぱたりと止んでいた。

菜緒の話では、どこかにうっすらと感じるはずの気配すらないのだと。
初めからこの世界に存在などしていなかったのではないか。
そう思えるほどの静けさだった。

ひとつだけ懸念があるとするのなら、人狼とは夜に蠢く怪異なのかもしれないということだ。
つまり、朝日が昇ると姿を消して、日が落ちると再び現れる。
確証はない。夜になってみなければ答えは出ない。

そうであればいつまでもここにいるべきではない。
明るい内に街へと下るのが最良なのだ。

だけどあと少し、あと少しだけ……

今だけは――

彼らには心を休める時間が必要なのであった。

 

日向編 完


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