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同期の大園 12. Snow White

 

『睡眠欲』

 食欲・性欲と並ぶ三大欲求のひとつ。

 

俺「つまり、大園は人より睡眠欲が強いってことですか?」

  と俺は大園が眠る病室にて、担当医へと問いかけた。

小林「そうだね……っていうと語弊があるね。正確には――」

 

『Desires Transformation Accumulated』

 通称DTA。
 欲求が変容して、蓄積されていく病気。
 欲求も三大欲求に留まらず、承認欲求・物欲・保護欲・独占欲・破壊衝動から愛情までと幅広く、考えられるほぼ全ての欲求が対象になる。
 

小林「なにぶん、症例自体が極めて少なくてね。……原因も、治療法も分かっていない。そのメカニズムすらあやふやなんだよね」


 最初の一人はアメリカのオハイオ州の女性だった。
 診断当初はADHD(発達障害の一つで、不注意や多動性、衝動性といった症状)とされていた。
 のだが似通っていたのは衝動性のみ。
 それも、自制が効かないということもなく、言動や行動も特に困ることもなかった。
 

 明確になった症状は一つ。
 欲求を我慢しすぎると、どういうわけか、別の欲求へと変わっていくこと。
 例えば、食欲を我慢した結果、それが性欲へと変換され続ける。いつしか衝動が理性を上回ってしまい、行動へと現れる。


小林「溜まった欲求も適度に解消させれば、そこまで深刻なことにはならないんだけど……」


 ただ、このアメリカの女性の場合。
 投薬による治療を行った為、欲求を無理に抑え込む形となった。
 そうして、気付かない内に睡眠欲として蓄積されていたのだ。

 十年経った今でも彼女は眠り続けている。
 
 

俺「ってことは、大園は――」

小林「そうだね……このまま目を覚ますことなく、眠り続ける可能性がある」

俺「……」

小林「それでも、睡眠欲に変わるのはまだ良い方だよ」

俺「良い方?」
 
 

 イギリスでDTAと診断された男性の話だ。
 彼の諸々溜まった欲求は、解放できずに変換され続け、殺人衝動として蓄積されていった。
 それが爆発し、最終的に二十人近くの近隣住民を殺害するという事件を引き起こした。
 
 
 

小林「そんな悪魔にならなかっただけ、マシだったと言える。……ほら見てごらん。こんなに可愛い寝顔をしているんだから」

 そう言いながら大園の髪をやさしく撫でた。
 

 小林にとって大園は地元の後輩なのだという。二人は家も近く特に仲が良かった。
 小林が医師になって少し、ちょうどこの症状を自覚した大園は小林の元へと診断に訪れた。
 

小林「無理に抑え過ぎないようにはさせていたんだ。信頼できる人に吐き出すように、って。もちろん、私でもいいからとは伝えていたんだけど……。運が悪いことに、私は少し前まで海外の方に行っていてね――」


 知らなかった。

 どうして教えてくれなかったんだ。

 という憤りを覚えた。
 それと同時、信頼されていなかったと落胆する自分がいた。

小林「……勘違いしないであげて」

俺「え?」

小林「本当に大切な人だからこそ、伝えられない事だってあるんだよ。失いたくないから……その関係性を壊したくないから……」

 俺の目を見て話す先生。

小林「君だってそうだと思うよ? 誰にも言えない……打ち明けられない秘密があるでしょ? 愛する家族でも言えない秘密が誰にだってある。私が受け持つ患者さんだって皆そうだよ。……私にだってあるし」
 

(秘密か……確かに……)

 どんな人間だって秘密の一つや二つは必ずある。
 大園の場合は、それが露見してしまっただけ……深い眠りに陥るという代償を負って。
 

 ……
 
 

俺「また会いに来てもいいですか?」

小林「もちろん。いつだって面会は受け入れているよ。DTAは不明瞭な部分が多い病気だからね、医療費も国がほとんどを負担しているし」
 

 何が治療になるか分からないから面会の制限もないらしい。話しかけ続けることで目が覚める可能性だってある。
 

小林「玲はね、君たちのことを楽しそうに話すんだ。にこにこと、本当に嬉しそうにね」

 どこか悲しそうな眼をしていた。

小林「医者の私がお願いするのも変な話だけど、この子をことを見捨てないであげて……」

 そう言って「頼むよ」と頭を下げる先生。

俺「……見捨てませんよ、絶対に」

たとえ何年経っても。
二度と目が覚めることがなくても……
 
 
 



 

 ソファーに腰かけ、カバンの中から一冊の手帳を手に取った。
 

『玲に書かせていたものなんだけど、良かったら君も読んでみてほしい』
と小林に渡された、大園の日記である。


 ……
 

 5月10日

 彼に申し訳ないことをしてしまった。
 あんな行動に出るなんて、自分自身が信じられなくなりそうだ。

 それでも、何も言わず受け入れてくれた彼には感謝しかない。
 もちろん、そのままゲームを続行してくれた二人にも感謝の言葉以外思いつかない。
 

 ……
 

 6月4日

 彼のエビフライを奪ってしまった。
 どうしても欲しくて、抑えきれなかった。
 

 ……
 

 6月23日

 会社の飲み会で暴れてしまった。
 色々な人に迷惑を掛けた。
 本当に申し訳なくて、休日はずっと泣いていた。
 

 ……
 

 7月7日

 夏祭りの日、私が浴衣でいくと伝えていたからなのかな?
 彼も浴衣で来てくれた。お揃いの色だったのが凄く嬉しかった。

 何度も横目で見ていたせいかな?
 歩くたびに見える素肌にドキドキが止まらなかった。

 そうしてまた彼に迷惑を掛けた。
 それでも受け入れてくれた優しい彼。

 気付けば、この日から彼が_    
 いや、違うか。
 

 ずっと前から、好きだったんだ。

 ようやく自分の気持ちに気が付いた。
 

 ……
 

 7月10日

 唯衣ちゃんに私の気持ちがバレてしまった。
 やっぱり唯衣ちゃんは鋭い。

 それとも、私が分かりやすいのかな?
 

 ……
 

 7月30日

 彼が後輩の子と仲良くお喋りしていた。

 私の心はどす黒い何かで満たされて、思わず彼の足を踏んづけた。

 これが嫉妬心というもの?
 

 ……
 

 8月16日

 いつもの集まり。
 だけど、この日は唯衣ちゃんと井上がいなかった。
 だから、二人だけ。

 それでも、とても楽しかった。

 ただ、我儘な女だと思われたかもしれない。
 合鍵を渡してしまったから、ハレンチな女だと思われたかもしれない。

 彼を好きな気持ちが抑えきれなくなってきていた。
 

 ……
 

 9月6日

 唯衣ちゃんに問い詰められて困った顔をしていた彼。
 その顔がとても可愛くて、私も問い詰める側に回っていた。

 あと私の部屋で嘔吐した井上は許さない。
 絶対に!!
 次の昼飯は奢ってもらおうと思う。


 もしもあのまま何も起きなければ、彼はなんて答えていたんだろう?
 そう考えたら、やっぱり井上が許せなくなってきた。
 

 ……

 ……
 

 1月2日

 昨日は皆で初詣に行ってきた。
 おみくじを引いたら 大吉!
 唯衣ちゃんと二人で大喜び。

『果報は寝て待て』

 だって。

 これは期待してもいいのかな?
 

 ……
 

 2月5日
 
 体重が ¨キロ増えていた。
 指摘されるまで分からなかった。

 このままじゃまずい。
 とりあえず、甘いものから控えることにしよう。
 

 ……
 

 2月16日

 明後日には彼が戻ってくる。
 久しぶりに会えるので、私の心はとてもウキウキしているみたい。

 待ち遠しいな。


 ……
 


 ここで日記が途切れていた。


俺「ッ――」
 
 こみ上げてきた何かを抑える様に上を向く。
 ソファーに深く身を預け、だらしなく寝っ転がった。

俺「……馬鹿野郎が……」
 
 誰へ向けての呟きだったのか。
 俺自身でさえ、分からなかった……


 




武元「こんちゃ~」

井上「来たよ! 玲ちゃ~ん。しっかぢ今日も暑いねえ」

俺「ほら、大園。色々買ってきたぞ。お前の好きなチーズもある」

武元「しかもめっちゃ臭いやつやで、臭いの好きやろ。……ほれほれ」

井上「待って! 本当にめっちゃ臭いんだけど!! やば!! ……ッオエェ」

俺「おい、馬鹿! おま――」

 どんなに騒いでも。


 ……


大園母「玲、見てごらん。紅葉が綺麗だよ。早いね、もう秋なんだって」

 家族が呼びかけても。


 ……


新・部長「大園さん今日も可愛いね」

××「部長、ちょっと気持ち悪いっすよ」

新・部長「え!?」

課長「大園君、君がいない職場は笑顔が少なくて寂しいよ。……早く戻ってきてくれないかね」

 会社の同僚がお見舞いに来ても。

 

 ……

 

小林「玲、そろそろ冬になるよ。……人間は冬眠しないんだぞ……皆が待ってる」

俺「……」

 大園が目を覚ますことはなかった。





 雪が降っている。
 しんしんと。
 病室の窓から雪だるまを作って遊ぶ子供が見えた。
 

俺「今年の夏は祭りにいけなかったから、二月になったら北の方にでもいくか? 雪祭りとかあるらしいぜ」

「……」

俺「おお! すげぇぞ、餓鬼どもめちゃくちゃカッコいい雪だるま作ってやがる」

 なぜか腕が六本もある雪だるま。玩具の剣を携えて。
 力作に喜ぶ少年たち。
 

俺「かまくらでも作るか。その中で大園の好きなお好み焼き作ろうぜ。井上と武元も呼んでさ、ビールでも飲みながら」

「……」

俺「久しぶりに麻雀もありだな。大きいかまくらにしよう」

「……」


 返事はない。静かに呼吸する音だけが返ってきた。


 隣に座って大園の頬を撫でる。
 白く、雪のように儚い。
 ずっと眠っているなんて信じられないほど、綺麗な肌をしていた。





俺「……好きだ」
 

 思わず呟いていた。
 

「……」
 

 ぽつりぽつり、と思いを吐き出す。
 

俺「己惚れかもしれないけど……俺にだけ見せる笑顔が特別だったって思ってる」
 

 スキンシップにしては行き過ぎてた行動。
 彼女なりの愛情表現だったのかもしれない。
 それが変換された欲求だったとしても。
 

俺「お前が他の男に触れたことなんてなかったよな……」
 

 嬉しかった。
 

俺「……いつでもいいぜ。求めるならいつでも差し出してやる」
 

 唇も、もちろんそれ以外も。
 

俺「だからさ、そろそろ……」
 

 撫でていた手を顎の辺りへ移動させる。
 

俺「大園の笑った顔が見たいよ――」
 

 そう言って優しくキスをした。

 
 

 ……
 
 
 

俺「また来るよ……次は年が明けた頃かな……」
 

 たとえ春になっても、夏が過ぎて、また冬がきたとしても。
 

『また来る』
 

 そう言い残して席を立つ。

 
 
 
 

「嫌……」
 

俺「――え?」
 

 唐突に手首を掴まれた。
 
 

大園「嫌だな……来年まで待てない……」
 

俺「大園……」
 

 そのまま引っ張られて、
 

大園「――んっ」

俺「ッ――」
 

 再び重なる唇。
 今度はお互いを求めるかのように深く口づけを交わす。
 
 
 

「――ッぷは」
 

 混じり合った唾液がアーチを作る。
 見つめ合う目と目。
 
 

俺「……病院だぞ」
 
大園「ダメ? ……いつでもいいって聞こえた気がしたんだけど……」

俺「……いや……ダメじゃない」
 

 思わず笑みが零れた。
 
 そうして優しく手を添えて、三度、唇を重ねる。
 
 会えなかった日々を埋めるかのように。
 伝えることが出来なかった思いを伝えるかのように。
 ただただ、お互いを求め合う二人であった……



 ……

 
 
 

「あ、先生! 先に来てたんで――」

小林「――っ」

 扉の前にいた小林は慌てて彼女の口を塞いだ。

小林「しーっ…………後でまた来よう」

「え? でも」

小林「いいからいいから。先に小田倉さんの方から行こう」

「は、はい。でしたら――」

 ナースと二人、踵を返して病室を後にする。

(ふふ……今夜は久しぶりに酒でも飲もうかな……確か良いワインがあったけ)

 とポケットに手を突っ込んだ。
 夫との記念日に開ける予定だったワインが一つ。
『少し早いがその封を切ってしまおうかな』と思いを馳せる小林なのであった。


 Snow White 
  

 fin




 同期の大園
 

 終わり



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