京大を出た感想

私は2005年に京都大学法学部に入学し、その後ずるずると学生生活を続け、2010年に卒業しました。だれや留年とか言うた奴、その通りや。3年後に司法試験受かっているから許してくれい。

5年の京大生活は楽しいものでしたし、私自身、それまでの人生では出会うことがなかった人たちと会うことを主眼に生活していたので、とても充実した日々でした。今でも、そのころの友人たちとはかけがえのない関係性を築けています。文理をを問わず多くの友人ができたことは財産であるなと思います。

ただ、京都大学という所はやはり一風変わったところでした。「頭がおかしい」というのが誉め言葉になったりする学校ですし、2005年から2010年という比較的穏やかな時代に学生ができたことはとても僥倖であったなあと今でも思います。震災というビックイベントもなく、社会がのんべんだらりとしていたように思います。押井守がスカイクロラの映画で「無為な日常を生きろ」とメッセージを打ってもそれがある程度響くくらいには社会は穏やかであった時期です。今のようにツイッターなど各種SNSはいまだになく、情報量は現在よりも少ない頃でしたが、ニコニコ動画が出始めたくらいで、youtubeが市民権を獲得するより前。というとても珍しい時期の学生でした。今となっては学生がyoutubeで資金を集めたり、起業したり、クラウドファンディングで資金を集めたりといった経済的活動を普通にやるようになりましたが、私のころはそういう意識の人は少なかったと思います。リブセンスの村上社長が同い年ですが、彼は高校から起業マシーンみたいなマインドセットで生きていた方なので別物でしょう。

そのころの京大生はみな、1990年代よりも穏やかで、お金はあんまりなくて、小さなことでぐちぐち悩んで、自分の将来への設計図がなくて焦燥していたように思います。当時の京大は、おそらく今よりも「自分の人生を自分で決めろ」というスタンスがすごく強かったので、私たちは悩んで悩んでという日々でした。今から思えばもったいない時間の使い方をしていたのかもしれないなと思いますが、あの頃悩んだことが今となってはよい思い出になっているところもあり、今は同じ悩みをしないで済んでいることもあるので、人生は万事塞翁が馬という言葉がしっくりときます。

今となってはラインで頻繁に友人ともやり取りができますが、当時は起動に時間がかかるメールが連絡の主体でしたし、待ち合わせという経験も多かったので、現在よりは実際にかわす言葉の重さが重かったように思います。学生の頃の言葉って人生に残る、ということなのかもしれませんが。

そして、京大の特性として、頭がいい人がとても尊敬させる大学でした。天才の種類(理学部には理学部の天才がおり、法学部には法学部の天才がいました。ほかの学部でもそうでしょう)は色々でしたが、別格という人たちはやはり周りの尊敬と羨望を集めていたように思います。別格の方々は今でも大学で研究者になっていたり、企業でバリバリ働いていたりと道は様々ですが、さすがに体を壊すことがなければ幸せに家庭を築いて、忙しい中でも人生を謳歌しているようです。とはいえ、それはfacebookの上澄みを見ただけのことなので、実際にはみんな頑張っているんだろうなと病身の私としては「がんばえー」くらいのスタンスなんですけど。

アタマの良い人たちといい時間を過ごしたことは京大を出た良い感想でした。ただ、意志が強い人でないと漫然と過ごしてしまう大学であることも確かです。18歳前後の若者にそれを求めるのは酷かもしれませんが、大学ではこれを頑張る、ただ、状況に合わせて進路を変更することはいとわない!くらいの決意と柔軟性がある人にはとても向いている大学ではないかと思います。

そして、京大は場所が京都にあるというのもとてもいいところです。東京に18歳からもまれる、というのは若者にとって厳しいところがあります。東大以外の旧帝大の人たちとお話しすると、やはり独特の穏やかさがあるんですよね。その穏やかさは私も好むところですし、周りの人をほっとさせるいいところなのではないかなあと思います。もちろん人によりますが。

現在、京大のころを思い出しながら小説を書いているので、そのような雑感を思いました。

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