季重なり・季違いと歳時記の功罪
こんばんは。みつかづです。
今回のテーマは、ズバリ「季重なり・季違い」。
今回、何故このテーマにしたかと言いますと、
「俳句初心者には季重なりはNG」の様な風潮があって、
私は「そんなものなんてクソくらえ!」と思っているからです。
どうしても避け様が無いなら、腹括ってやるしか無いんですよ。
実景や実感にウソついたり、虚構を句にしてしまうと、
「それは俳句という短詩なの?」となってしまいますので。
ですので、私は初心者に対しても、「どうしても避けようが無い場合、
季重なりや季違いなんて恐れずに腹を括って挑め!
失敗を恐れるな! 実景や実感にウソつくな!」と教えている訳です。
句の内容の良し悪しには触れないとして、
幾つか私の句帳の中から紹介したいと思います。
① ゆく夏や蜩交じる蝉時雨
この句は、2022年7月26日に推敲前の句を即日で作った。
推敲前は「七月や蜩交じる蝉時雨」。
何故この句を詠んだの?って話なんですが、
障害者就労移行支援事業所から帰宅の途中の夕方で、家は目前。
通路の東側が高くなっていて公園になっていて、
北側にすぐ山が迫っている地形です。
夏の蝉達が一斉に鳴いていたんですよ。かなりの音量で。
そこに、本来ならまだ鳴かない筈の蜩の声が聞こえたんですよ。
「あれっ?」と思って日付を確認すると7月26日だったと。
「夏も終わるのか。残念だな……」との思いを句にした訳です。
② 日の本の夏日の南冴ゆる北
この句は推敲中で、前書きがあります。以下です。
「2023年12月15日(金)の日本の天気予報を見て」
九州の何処かが最高気温30℃を超えていて、
北海道の何処かは最高気温が氷点下だったんですよ。
「何だコレは!?」と驚いて、その気持ちを句にしました。
③ ドラマーや汗の飛び散る冬ライヴ
この句は高校3年生の頃だったかな。
友達と一緒に、小柳ゆきさんの野外ライヴに行った時の
思い出を詠んだ句。結構前側の席を取る事ができて、舞台が近かった。
観客は寒いから着込んでいるんですけど、
演奏者と歌手は舞台照明からの熱と、自分達が動き回る熱で、
大阪湾の近くの冬の夜の野外会場なのに汗をかいていた。
ドラムの演奏者が激しい曲調の曲を演奏している時に、
薄着の体中に汗をかいていて、演奏中に汗が飛び散っていたんですよ。
それを見て圧倒されて、この歳になっても覚えていたので、
思い出して作句したという事です。
④ 散歩道桜と桃の花ぞ見る
この句はここ数年ですよね。作句は今年。
遊歩道から左(西)を見ると桜、
右(東)を見ると桃の花が見える場所が近くにあるんですけど、
桜は薄いピンク色、桃の花は濃いピンク色。
両方を見て「どちらを向いてもキレイなピンク色。めっちゃ春やなぁ」と
嬉しく思っていた気持ちを句にしました。
ここで今回のテーマ「季重なり・季違いと歳時記の功罪」に
行き着きます。①~④の全てが実体験の句なんですよ。
①~④のどれについても、これらの句に使われている季語のうち、
もし1つしか歳時記に載せられていなければ、
誰も季重なりだなんて言わない訳です。問題視しない訳です。
ところが、歳時記に載せられているが故に季重なりだよ、季違いだよと
言われてしまう訳です。そしてそれをタブー視すると、
初心者は実体験なんて詠める訳無いよねと、詠める場面が限られるよねってなるんですよ。何故なら、季語1つしか入れちゃダメなんですから。
そして、「実景や自分の気持ちにウソついて、虚構を書くしかないの?
それは詐欺ですよね」となってしまうんですよね。
それは俳句の本質としてどうなの? 俳人としてどうなの?
もうね。初心者に対して「季重なり・季違いをタブー視させる」のは
ハッキリ言って害悪でしかない。
「初心者は季重なりしない方が良い」って、「じゃあ、初心者じゃなければ良いの? この気持ちはいつ発表できるの?」となりますよ。
本当に、作句初心者に余計な事を言うなって話。
季語の立て方、活かし方を教えたらそれで済む事でしょ?
①は「ゆく夏」が主季語。蜩は交わった音としての描写に、
蝉時雨は交わる前からあった音の描写に過ぎない副季語ですが、
実景ですからどちらの季語も動かし様が無いんですよ。
そして、映像も音声も無い時候の季語「ゆく夏」は外せる訳が無い。
夏への惜別の情を詠んでいるのですから。
と言う訳で、3つの季語はどれも動かし様が無いのです。
主体+副え物+副え物という、季語の強弱の構成です。
この句については、「上五を「変わる季や」に代えるのはどう?」との
提案がありましたが、私はアッサリと一蹴しました。何故か?
「季節感がハッキリしないから」
この句、そもそも季節の変わり目ですからね。上五の季語を例えば
「秋暑し」と変えると、立秋直後の光景になります。
「立秋を過ぎたのに、まだ夏の蝉達が鳴いている。
早く涼しくならないかな」の様な含みの句意になります。
そうなってほしくなかったですし、このタイプの季語の組み合わせでは
3つ目に大きくて強い季語を入れないと、初秋の季語「蜩」と
晩夏の季語「蝉時雨」が主体の座を争ってケンカし始めて、
読者に季節感や私の感動が伝わらなくなります。
なので、上五が「ゆく夏や」になっている訳です。
こうすれば、大きくて強力な晩夏の季語「ゆく夏」が
詠嘆によって更に強化され、「私が主体だ」と主張しているので、
「蜩」と「蝉時雨」は共に「ゆく夏」に支配されて安定する訳です。
②は「夏日」を外せるかと言えば、難しいですよね。
ニュースキャスターや天気予報士が「真夏日」と仰いましたので、これでも譲歩しています。真夏日は30℃以上、夏日は25℃以上ですからね。
また、冬の天気予報なので「冴ゆ」を外すのは論外。
主+主という、季語の相乗効果の構成です。
③は冬の夜の野外ライヴですから冬は必要ですし、汗も外せませんよね。
野外ライヴで血や尿を飛び散らせる訳にいきませんから。
主+主という、季語の相乗効果の構成です。
④は植物同士且つ晩春同士の季重なりというケースですが、
同じ季節でどちらも主役なんですよね。
何故なら作者の私は、桜の花と桃の花の両方のピンク色の濃淡を見て、
両方を足して春を満喫しているのですから。
実景ですし、人様の家の桃の木や桜の樹を勝手に伐採できませんし、
勝手に無かった事にはできませんよね。実際に在って見ていたのですから。
主+主という、季語の相乗効果の構成です。
という事で、作句初心者であろうとなかろうと、
実景の感動を素直に詠むと、往々にしてこうなっちゃうんですよね。
なので、季重なり・季違いを間違いなく確実に避けられるかといえば
100%不可能なんですよ。
何故なら、自然界や人体の仕組みがそうなっているのですから。
ですので、作句初心者に季重なり・季違いを避けさせるというのは、
自然や人体に対する冒涜であり、俳句に対する冒涜にもなるのです。
「作句初心者は季重なりを避けるべき」に対しては、
「どうしても避けようが無い場合、季重なりや季違いなんて恐れずに
腹を括って挑め! 失敗を恐れるな! 実景や実感にウソつくな!」を
念頭に置いた上で以下の様に反発してください。
「黙れ! お前も最初は初心者だったろ! 芭蕉さえもそうだったろ!」
ですが、「内容をよく吟味してください」ともお伝えしておきます。
何でもかんでも季重なりや季違いにしていいのかといえば、
それは違うからねって事になりますので。
今回は以上です。
ご覧いただきありがとうございました。
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