レポート課題

心理学部心理学科
高齢者の介護は誰が担うべきか述べよ

 介護とは、身体及び精神に何らかの障害がある人に対して日常生活を援助し、自立した生活を実現できるよう支援することである。体力や生活力が衰え、認知機能の低下や持病、障害を抱える高齢者には誰かの助けが必要であり、2000年には介護保険制度が導入された。しかし公的な支援や各種の福祉サービスなどは万全と言うわけでなく、誰かが申請や手続きをしなければならない。その誰か、とは一般的には家族であり、以前は介護を担うのは家族が一番と言う考えであった。 しかし日本は少子高齢に加え核家族化が進み、女性の社会進出や共働き家庭も当たり前になりつつある。このため、「介護」にまつわる問題は深刻化していると考えられる。高齢者の人口が増える一方で、介護要員の不足も懸念されている。親が高齢になり、介護が必要になったら施設に入ってもらおう、そう考える人も少なくないだろう。しかし介護の現場はシビアであり、今後も高齢化社会が進むにつれてさらに厳しくなると考えられる。そして一番の問題は金銭面ではないだろうか。
「老人ホーム」の元祖として挙げられるのが特別養護老人ホーム、すなわち特養というものである。運営しているのは社会福祉法人や自治体であり、多くは国からの補助金を受けていたりする。料金も安く、低所得者が格安で入れるのは所得に応じた国の減免措置があるからである。そのため人気があり、待機者が多いのが特徴だ。特養に入れる条件は原則65歳以上、要介護が3以上の人と決められている。さらに認知症の有無や家族の状況などが点数化され、結果的には要介護4、5といった重度の認知症など状態が重い人が多く入っているのが現状である。 また多くの特養が入所者を選別しているという事実があり、入所者の獲得は簡単だが職員の定着は難しいため、自己防衛として横暴な高齢者は断られるケースが多いと考えられる。 もう一つが介護付き有料老人ホームであり、民間企業が運営する高齢者向けの住まいのことである。洗濯、掃除といった家事や食事の提供、身体介護など高齢者が快適な生活を送るためのサービスを提供する。入居するときの状態に応じて、要介護1以上の人が利用できる「介護専用型」。自立、要介護の両方の「混合型」、自立の人のみ入居できる「入居時自立型」とある。独り身の高齢者からすると、孤独死を避けるために入居時自立型を希望することも少なくない可能性があると考えられる。私の祖父がそうであった。
私の父方の祖母は40代という若さでパーキンソン病を発症した。70代で亡くなったのだが、夫である祖父の介護人生は30年近く続いたということになる。当時を振り返ると、様々な福祉サービスを利用したがどれも満足はできず、対応できる施設も見つからなかった。祖母を愛する気持ちから全てを一人で背負い、私の幼い頃の記憶の中の祖父はいつも病院や行政の人と喧嘩をしている姿が印象深く、いつも苛立ちを感じていた。祖母も介護される申し訳ない気持ちから笑わなくなった。祖母の気持ちを考えたことがなかったが、もしかしたらプロの介護の方が気を遣わなかったかもしれない。仕事と介護と家事炊事を完璧にこなしていた祖父は人間のキャパを遥かに越えていたと思われる。祖父は祖母の死後、介護の苦労や苦痛を強く感じていたため一切身内の世話にはならないと断言し、健常者から入所できる施設を見つけそこを終の住処だと話していた。6年前に施設で息を引き取り、92歳であった。しかし私は祖父が入所した際、当時子供ながらに不思議に感じていた。何故、そんな苦労をしてきた祖父の介護や同居を誰も言い出さなかったのか。祖父自身が強く拒否しただけではないだろう。おそらく内心、周りは安心したのではないだろうか。それほど介護とは、例え身内であっても、もしくは身内だからこそ、難しい問題なのではないだろうか。
また一方で、母方の祖母の介護が必要になった際、祖母の強い意向により施設には入らないと決めた。しかし介護をしていた母の一日のスケジュールはまるで赤ん坊の世話のようであり、加えて文句も多い大人の介護の末、とうとう母が倒れたのであった。祖母は現在92歳、施設で出会った友人たちと共に過ごし、今では「楽しい」という言葉も頻繁に口にするようになった。私は俗に言う「おばあちゃんこ」であったため、母と祖母の喧嘩をみるのが辛く、どんどん弱っていき出来ていたことが出来なくなる姿も見れなくなったことが淋しくも感じていたが、今は安心している。私は祖母二人の介護を見てきて感じたのだが、身内の介護とプロの介護との大きな違いは感情ではないだろうか。身内の場合は一対一で長い時間相手をすることになるが、プロの介護は仕事として多くの人数を相手にするため、感情を持っていたら続かない。仕事であれば他人として必要以上の感情を抱く事も無いに等しいと考えられる。仕事には対価が発生するが、身内には無い。金銭的に余裕があれば、お互いのためにも介護はプロに任せるのでは無いだろうか。
また、私の義理の父は俗にいう「毒親」という言葉がぴったりのような人であった。昨年末に亡くなったのだが、その性格からどこの施設にも断られ、身内の介護は想像を絶するようなものであったと考えられる。そうなると、プロに任せるのが最善策だと考えていたとしても断られ、入居できたとしてもその金額さえ支払うことが惜しまれるのではないだろうか。今まで苦しい思いをしてきてやっと解放されたと思っても、親が老いるのは意外と早いものかもしれない。そして施設側から断られることにより、八方塞がりで最悪のケースが頭をよぎってしまう可能性も少なくないはずだ。それは例えどんなに親子関係が悪くても身内という責任感から、強く感じてしまうのではないかと考えられる。
私は自身の経験も踏まえ、今回たくさんの「介護」に関する書籍を読んだ。ドキュメンタリーが多かったのだが、強く感じたことがある。それはプロと家族、どちらにお願いするとしても、介護をしたいと思われるような親子関係・人間関係が大切だということだ。たとえ仕事や家庭を持っていて現実的には難しかったとしても、最終的にはプロに任せるのだとしても、断られないような人間性を大切にすることが自分自身の最後を左右すると考えられる。私の母や祖父のように介護をしたい、という気持ちを持てる親子・夫婦関係が非常に重要なのだと感じた。その気持ちは一方的にもつことは不可能に近く、お互いの思いやりがあってこそ芽生える気持ちである。突き放して育てた子供にはいずれ突き放される。私自身、両親との関係は良いことばかりではなかったが、介護はしたいという気持ちが強くある。そしてそのために支払う金銭も惜しみない。また私には二人の幼い子供がおり、いずれ私に介護が必要になった際は彼らに負担をかけたくないと強く思う反面、もしそうなったら力になりたいと思ってもらえるような子育てをしていくことが重要だと感じている。

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