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今日の一福(2024/04/08)

 木蓮の花を待つ。これがたのしみで仕方がない。
 よそ様のお庭の眺めだが。

 我が家から歩いて少しの角の、白い壁の一戸建て。
 ここが花木のお好きな家で、その情熱の向くところ、庭ばかりに限定されない。駐車スペースから玄関に至るまでの階段の隅々まで、大小の鉢を敷き詰めることトラップの如し。余念がない。から、一面、要塞仕様。よくよく知った者でなければ一歩踏み入るのにも勇気を要する。

 そこをすらすらと行き交いなさるのは、ひとりのご婦人。
 この要塞の女主人といったところか、チェック柄の割烹着姿が堂に入る。
 手にしたホースとジョウロを巧みに操る。合間にかがみこんで、ちぇっと舌打ち。ポケットからおもむろに何かを取り出す。所作に一切の無駄がない。隙もない。熟練の手練れそのもの。それはもう熱心に何かしらなすっている様、殺気に近いものすら感ずる。見ているこっちはハラハラして仕方がないが、畏れ多くてうつむくしかない。
 合えばわかる。
 あの目とひと目でも合ってみれば、焼き滅ぼされてただの石ころ。そうされかねない。ソドムとゴモラはそうなったのだ。
 そうひそかに唾を飲まずにはおれない鋭さ、厳しさ、それに植物にのみ適応される地獄の谷底より深き愛があの黒々とした瞳から直感される。
 なにせわたしが犬に向けるそれと似たやつ。
 いわゆる本気ガチやん。
 よく知らんやつが軽口たたける世界でないのは常識をひとっ飛びして、もはや神話。古今、そこに置かれた箱を開けて無事なやつがあったろうか。真相真実などそんなもの。知らぬが仏。それ神魔の領域。うっすら遠目で拝んでおくのが程よいところ。
 つまりはご挨拶など迷惑千万。社交など求めておらぬわ。無言で立ち去るのが敬意というもの。ただの石ころになりたくなければ。

 そんな無情の要塞にも、春は来る。
 いや天然自然の平等なことよ。
 涙でにじむその先には、木蓮のつぼみが色を深める。紅紫色のそれ一見毒婦かと思わせときや、花弁が開けば白々と光り出しては、見るものの心をしずかに洗う。枝先にまっすぐ灯る慈悲の燈明。この花まつりの日に天を仰ぐ。
 犬を引きずってでも愛でにゆく甲斐あり。
 そうっと合掌。
 拝んで帰る。

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