霊の話 11 震災の余韻
※ 閲覧注意 一部震災の細かい描写があります。
震災後、私の実家近くのグラウンドや競技場にはたくさんの仮設住宅と、避難者の荷物を保管する倉庫となった場所が見られる様になりました。
私と実家の家族は特に避難者の方々との接点はなく、次第に日々の生活へと戻っていきましたが、病院やスーパー、娯楽施設が突然人で溢れかえるようになりました。当時はなんとなく今までの雰囲気と違うその感じが、震災が事実であったことをずっと忘れないようにと告げているようにも感じました。
同時に霊も溢れかえっていました。
内陸の町は驚くほど霊だらけでした。
被災地に霊が出るという噂も当時はたくさんありましたが、家族にたどり着くことのできた霊は、自然と被災地ではなく、避難施設へと一緒に移動していました。
家族や想い入れのある物に憑いて移動する霊もいれば、肉体を持っている時のように移動が自由にできないと思い込んでいる霊は、生きている時の感覚でタクシーや車などを利用しようとしていました。なのでこの頃はだいぶ目撃話が出ていたように思います。
しばらくして災害にあった海岸側の町に行く事があった時に視ましたが、何もかも流されてしまった場所には、霊が留まるための理由も何もなくなっていたようでした。皆、会いたい人を探しに、避難場所へと向かって行ったようでした。
そんな感じで、霊も避難者とともに内陸部にたくさん来ていました。私は実家に帰るたびに、そんな霊たちに憑依され、連れ帰り、一生懸命浄化するということをしていました。もはやライフワーク化していました。
時々、亡くなった方が亡くなる瞬間を夢で見せてくれることもありました。
田舎によくある造りの家です。
8畳2間ほどの広い襖のある畳の部屋で、こたつのある部屋の先には障子戸、縁側の先にガラスのサッシ戸がある造りです。この夢の主はなんとなくおばあさんのような気配です。
地震の後、家の中で動揺していると、突然、すさまじい音とともに、ガラス戸の外側が真っ黒になっていきます。
おそらくがれきを含んだ津波の水なのですが、当人は何が何だかわからない様子です。
あっという間に室内は夜のように暗くなり、今にもガラス戸が割れそうな勢いで家じゅうが軋みだします。
不安と恐怖でとにかく二階へとあわてて階段へ登ろうとするところで目が覚めます。
私が映像を視ることができるのだから、その人はもう亡くなっているのだろうなと分かりつつ、二階に逃げ切って助かっているといいなと想いながら布団の中でぼんやりします。
私は、もともとこういう体質なので、亡くなった人が自分の亡くなった場面を見せてくることがよくあります。(霊の話6参照)どんなにリアルでも、少し映画を見ているような感覚に近いものがあり、慣れもあってか自分の体験という感じになる事はあまりありませんでした。
ですが、この時期は、亡くなった時期からさほど経っていないせいなのか、自分の住んでいた土地と関係していたからなのか、私のショックが大きかったせいなのか、先ほどの様に夢にまで侵入されることも良くあり、既視感が強くなっていました。
この時期はこうした映像を夢や霊との対話で見るたびに、ただただ死を知りすぎて疲れていたように感じます。
今思えば、多くの人にとって、とても長い時間だったように思います。
そうしてまた震災から数年過ぎ、ここ最近、久しぶりに海岸側の町へ行く機会がありました。
今はもう被災した場所は当時とは異なり、すっかり整備され、きれいになっていました。過去、震災前に見た景色とは大きく変わり、以前、街だったところは、住んでいた人々が移動し、誰も住んでいない場所でありながら、広くこぎれいに整備された不思議な場所となっていました。
でも、そこにはいまだに、ただ静かなわけではない奇妙な静けさと、何とも言えない悲しみと深い絶望のようなエネルギーが漂っています。そのエネルギーのせいか、人は寄り付かないようでした。
いつか、そのエネルギーが、ゆっくりと浄化されるようにと、時々ワークをするのですが、とても重いエネルギーがまだたくさん残っています。
うっかり、人が住んでしまわないように、そのままでいいのかもしれないと迷いながらたまにワークをします。
でも、そこに住んでいた人達の事を思うと、そしてその人たちのたくさんの記憶のかけらを視ると、ワークを軽々しくする事もしない事も、何かを想うことさえも申し訳ないような、失礼なような気がするのでした。
続く
☆おまけ☆
地震プロット動画です。怖い映像ではありません。音楽のせいなのか、祈りたいような不思議な気持ちになる動画です。