曇りの日
ある秋の日の日記
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気分が鬱屈とする日は歩くに限る。
休日、家の中に籠って過ごしているとどうも気分が落ち込んでくることがある。今日がそんな日だった。終日曇りで、やるべきことはあるがやりたいことはない、後ろから灰色の何かがもったりとのしかかる、そんな日。そういう時には何の理由もなくとも外に出て、世界が動き移ろっていることを確認するだけで安心する。精神の換気みたいなもので、気分がすっきりとし靄が晴れ思考がすっきりとしてくる。靄が晴れてくるとだいたい根元は同じ、いつも浮かぶ疑問。
「幸せとは何か」、いや、「”自分にとっての”幸せとは何か?」
結局は自分の見ている世界は「自分の世界」でしかないので、幸せになるということは、どこまでいっても「自分の世界」をよくすることなんだろうなとおもう。自分の世界がどのようになれば、自分が満ち足りた気持ちでいられるか。
それはその時の状況や世界情勢などにも大きく左右されることなんだろうけど、世界が閉塞してたくさんの問題に直面しているいま、自分の最低限守りたいものは何なのか。行動や活動に制限が出て、生活をよりシンプルにせざるを得ない中、何が最後に残るのか。
結局は、自分の身近にいる人が笑顔でいてくれること。美味しいね、って笑いあえること。そんな日常が明日も続くこと。
それだけかもしれない。と、薄曇りのなか紅葉が進む公園を歩きながら思った。犬の散歩をする男性、友人を追いかけて笑い転げる子供、ウォーキング仲間と楽しく話している婦人たち、少し離れて歩く買い物帰りの老夫婦。それぞれの納得する普遍的な日常が、少しでも長く続きますように。