残り香は花束のように美しく
初めて聴いた時、美しいと感じた曲を訳してみました。
歌詞が描く世界を、音が表す感情を、壊さないように自分の言葉に置き換える作業は、まるでケーキの上にのっているチョコレートの飾りを慎重にお皿に置く作業と似ていました。
期待でいつもより血液が熱く流れる自分の手を必死に抑え、冷静さを保とうとするあの時間と。
ケーキにすごく本気の人のような例えになってしまいました。いえ、本気なのですが。
そんな繊細で愛おしい時間で感じたことを、より明確にそして忘れないようにするために、また今日も文章を書いていきます。
그리워하는 것까지(I can't run away)
たった3行でこの情景描写。
この物語の主人公は「何かと別れを告げることができていない」、「孤独である」ことが伝わります。
そして寂しさをより一層際立たせるのが「真っ白く積もった」という冬のような景色。
ここに「真っ白く」があるからこそ、上がった息が白いかもしれないこと、鼻先が赤くなっているかもしれないこと、何よりもそれくらい必死に走ってきたことを想像させます。
それでも現実ではなくおそらく抽象的な世界なのだと、自然と理解してしまうのは主人公以外に明確なものがないからでしょう。
主人公が求めている「君」とは、主人公にとって光だったのだと痛いほど強烈に表現されています。
「君」ばっかりだったからこそ、「君」がいなくなってしまったその場所はきっと影もなくなり、主人公は位置を見失ってしまったのかもしれません。
そして「昼と夜の区別ができない」という言葉が主人公といなくなってしまった相手の関係性を、ロマンティックに表現していると思います。
もし大切な人が去ってしまったら、「永遠の夜がきた」や「夜の終わりがわからない」のような暗闇を表現してしまいそうですし、その方が悲しみを直接伝えられます。
ただこの曲は今がどうなのかを明示していないため、もしかするとずっと太陽が昇っているのかもしれないのです。
つまり「光も闇もなくなってしまった」と感じ取れます。言い換えるなら「幸福も不幸もなくなってしまった」。
何もなくなってしまったからこその「真っ白」。
どうしてその場所が辛いのか、それはきっと「君はもういない」という事実だけがまざまざと足跡として残っているからでしょう。
なんと美しく、そして切ない歌詞でしょうか。
足跡が無くなり、僕と君がいた事実も無くなってしまえば、君を忘れることができるのかもしれない。
「忘れる」のではなく「乗り越える」かもしれないですね。
そうか、それでも君と共にした時間は、そんなにも美しく尊いものだったんだね。
もう少しだけ、足跡が溶けて見えなくなり、すでに積もった雪と区別が付かなくなるまで、そこにいたい。
「未練」と言うにはあまりにも美しく、優しさすら感じてしまうのは何故でしょう。
変わるもの、それは君の存在と僕を取り巻く世界。
変わらないものは、僕の存在と僕の中にいる君、そしてこれまでのふたり。
英語と韓国語で書かれたこの歌詞の、変わるものと変わらないものの対比がとても綺麗です。
ここで初めて主人公の、変化に対する意志が表されています。
不幸なことなど少しもなかった時間の名残を求め、君が居なくなった世界でも進むことができるように。
だからこそ強がりに見えても、過ぎ去った愛の痛みを隠すことなく美しいものとして残したのでしょう。
こんなにも優しく真っ直ぐな愛を育んできたんですね。
君を失い走り彷徨い、全てが溶けて無くなることを望む中で、変わるものと変わらないものに思いを馳せ、光を取り戻すことを誓った。
そしてようやく「恋しくなる寂しさ」も愛になると言い切れた。
けどまだ道半ばだから、それが愛になるまで待つ決心ができた。
そんな風に捉えられました。
自分の位置を見つけたから、最後に「I can’t run away」になったのかな。
最初はただ寂しさから立ち去ることを拒絶していたけれど、君を恋しがることが愛になるまではそこに留まることにしたから、「逃げ出せない」と歌ったのかもしれない。
それは諦めではなくて決心なのだと、私は信じています。
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