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ため息が出るような夕日

隠岐島で、何回も息をのんで、何回もため息が出るような夕日を見た。ぼんやりとしたピンクと空の青色が混ざって溶けていた。おいしそうだった。うぐいすの鳴き声がたくさん聞こえた。上手なうぐいすも、練習中のうぐいすもいた。それ以外の音は何もなくて、静かだった。

ぼーっと眺めながら、価値ってなんだろう、と思った。
多分、この夕日が一番きれいに見える席を10万円で売っても、買う人がいると思う。でも、売られていない。それは、値段をつけて売ろうという考えの人が、今のところいないから。もしお金を稼ぎたい人が隠岐島に来て、この夕日にお金という価値をつけたら、お金という価値が生まれる。
それを買う人は、10万円の夕日だと思って買う。

高い値段には、良いものなんだろうな、とか、社会的に価値があるんだろうなとか思わせる効果がある。でも、世の中の値段がついているものは、値段をつけた人を中心とした価値であって、世間一般の相対的な価値ではない。

そう思うと、自分が買ったものたちも、誰かが値段をつけたものだ。原価や人件費から考えて付けられた値段もあるだろうけど、値段をつける人が、「これくらいの値段かな」と付けたものを、私が「これくらいの値段なら買おうかな」と思って買っている。それだけ。

特に古着とか見ていると、よくわからなくなる時がある。ものすごくかわいいスカートが250円で売られていたかと思えば、よくありそうなTシャツが3000円したりする。

結局のところ、本当にいいものって、自分が「好き」って思ったものなんだよなぁ。値段がついていなくても、高くても、自分がいいと思うものはいい、ということを信じ続けられるようにしたい。自分の感覚をみがいておくために、日々の中でいいと思ったものに気づいて、ちゃんと言葉にして残していこうと思った。


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