奏者は語り部
ピアニストは語り部である。
そんなことを思っている。
語り部
いきなり個人的な話から入りますが、私はピアノが好きです。
どちらかというと古典的なクラシック曲※が好みで、それは曲によっては300年以上前に作られたもの。300年前の曲が今も好まれている、これってすごいことだと思いませんか。今日はそういう話から。
現在の日本は世界で最も平均寿命が高く2022年の日本女性だと87歳だそうです。すごい。翻ってベートーヴェンは56歳、モーツァルトは35歳で亡くなっている、そういう時代だったようです。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life22/dl/life22-02.pdf
人間の一生がおおよそ50~80年の中で300年も音楽作品が残っている。これは楽譜という記録方法と、またそれ以上に曲を奏でる奏者の存在が大きいと思います。音楽は聴くものですからね。
楽譜から意図を汲み取って、自分の思うように弾いて、それを聴いた誰かがまた楽譜に向き合う..そんな連鎖が無数にあったことでしょう。そのお陰で私は300年前の曲を愛することができているのです。
ずっと愛される曲と、それを愛する奏者によって作者の気持ちが今まで生きているということ。この綺麗な物語が好きで、だから奏者のことを語り部だと思っています。
※
(音楽様式の歴史においてバロック→古典派→ロマン派..と呼ばれているので"古典的な"とか表現すると怒られそう。でもそもそも"classic"が古典という意味だったりするので..)
そういえば:
この"奏者"って、ボカロシーンでは何に該当するんでしょうね。「弾いてみた」「歌ってみた」というジャンルはあれどそれだけじゃない気もしています。
ささやかな野望
またまた個人的な話ですが私は曲を作って世間に流しています。
元々自分で作ったものは自分だけが聴いていたのですが思うところあり公開するようになりました。今は続ける理由(好きな絵描きさんに描いてもらえる、幸福にも感想が存在する、見られた方が技術が向上した、etc..)がある一方で基本的には公開したくない思いも幾つかあります。
それでもわざわざ世に出すのは綺麗な物語に憧れてしまっているところもあるのかもしれませんね。今のところこれが私のささやかな野望です。
物語の三ヶ条
曰く、
1. 主人公は物語の始めに大切なものを奪われていなければならない。
2. その物語は主人公がそれを取り戻そうとする話である。
3. 最終的に主人公は奪われたものは取り戻せないが、別の何かを手に入れて終わる。
いつか来る最終回に
自分の曲が300年生きていくのも非現実的で楽しい夢ですが、それ以上に奏者の連鎖のほんの一部を担えたらいいなと思います。演奏意外でもやりようはあるかもしれません。私の愛したクラシックやボカロ曲たちがどうか少しでも長く生きていますように。
それと同時に、知ることのできなかった無数の曲を想わずにはいられない。
私も野望はきっと叶わないだろうけど、それでも自分の曲たちを愛せています。最低な日々ながら苦しく楽しく作曲ができていて、その上何かを渇望している。そんな今はきっと幸せなんでしょう。
いつか来る最終回に私は何を持っているだろうか。
ニコニコとGoogleには今後も生き残って貰わないと困る。頑張って。
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