2.『夏目友人帳』


答え

この作品から学んだことは今の私に生きていると信じたい。辛いときの私の支えになったこともあるし、大切なことを気づかせてくれたものでもある。「一番好きなアニメ作品は?」と聞かれていつも迷うが結局のところ『夏目友人帳』の名前を出すと思う。

出会い

『夏目友人帳』との出会いは少し独特で、私はこの作品を2期から見始めた。というのも、アニマックスのCMで琴線に触れたのが『続 夏目友人帳』(2期)だったのだ。そのあと同じ時間帯で3期『夏目友人帳 参』がスタートしたので継続して観た。
3期を見終わったところで、いよいよ1期が気になるではないか。1期はそのあと探して出会って観ることができた。この一連の流れが小学4年生のときだったと思う。
小学5年生か6年生になってから4期にあたる『夏目友人帳 肆』が放送された。これはアニマックスで観た。
中学に上がってから『夏目友人帳 伍』が放送され、高校に上がってから『夏目友人帳 陸』が放送された。この2つは地上波で観た。
長きに渡って私の人生に携わってきたのがよくわかる。

約束

『夏目友人帳』は総じて、心が温まるストーリーである。妖しく、切ない物語。
主人公:夏目貴志は幼い頃から妖怪と呼ばれるものの類を見ることができた。祖母が妖怪を見える人だったらしい。両親を早くに亡くし、親戚の家を転々とするが、妖怪が見える彼の行動や言動は挙動不審で親戚は皆気味悪がり、たらい回しにしていた。彼の居場所はどこにもなかった。
そんなとき祖母の遠縁にあたる、心優しい藤原夫妻に引き取られる。優しい彼らの元で、家族の愛を知る。この頃、高校の友人もとても優しく、ようやくちゃんと友人ができる。
夏目がここで息苦しくなく生活できたのは、優しい人たちに囲まれたからだけではない。

ある日、夏目は神社で祠を開けて封印を解いてしまう。そこにいたのは、招き猫の姿に化けた大妖怪:班。夏目から「ニャンコ先生」という名付けられ、家で猫として飼うことになる。
ニャンコ先生は祖母のことをよく知っていて、夏目は祖母が遺した「友人帳」の存在を知る。
「友人帳」は祖母が負かした妖から本名を書かせて集めたもので、名前は妖にとって本体同然のものなので「友人帳」は非常に強い命令力を持つ。
それ故にそれを狙う妖も多く、夏目は危険に晒された。それでも、ここに載っている妖に名前を返すことができるのは、祖母の血縁者の夏目だけだったので、名を返してやりたいと思った。
ニャンコ先生は夏目のお人好しに付き合いつつ、夏目が亡くなったその時に「友人帳」を譲り受けるという約束をして、護衛につく。
約束、そんな不確かな契約で彼らは時を共にする。


ここまで語り過ぎてしまった……
この作品いいところが多すぎる…!
これから私がこの作品から受け取ったことを書いていくが、先は長そうだ。

憂き目

私は別に夏目くんのような境遇にはなかったが、誰しも子どもながらに、いや子どもだからこそかな、傷ついた経験はあるだろう。私もそれなりにある。
なんとなく避けられているような疎外感、クラスメイトからの無神経な一言、そんな一見些細なことに傷ついたことはあった。
自分で言うのもなんだが、当時の私は他と比べるとかなり頭が良かった。幸か不幸か、私が中学校に上がる頃に進学校の附属中学が開校することになり、私の学年は中学受験をする人も多かった。
別に中学受験をすると宣言したことはなかったが、学年中に私が受験することは知れ渡っていた。
それもあって、中学受験組の中で私に突っかかってきたり嫌味を言ってきたりする子が一定数いて、ある男子がすごく面倒で厄介だった。
その子につけられたあだ名で、非常に不快な思いをしたことは一生忘れないだろう。思い出すのも嫌なのでそのあだ名については明記しないが、私はそれほどまでに傷ついていた。
今でも変わらないが、私は結構プライドが高い方なので、人前では泣きたくないし、傷ついてることすら知られたくなかった。そんなだから、周りは私がそのあだ名に深く傷ついていたことなど知る由もないだろう。

『夏目友人帳』の夏目の祖母:レイコさんがまさにそんな人だった。彼女は強く美しい女性だった。夏目と同様に妖怪が見えるので、皆は彼女のことを気味悪がって避け、時には心無い言葉も投げた。
でも彼女はどこ吹く風で態度を全く変えないので、周りは余計に彼女を変人扱いした。
しかし、妖怪から見た彼女は少し違った。相変わらず強くて美しい女性だったが、本当は人の友人が欲しかったのだろう。そうでなければ、わざわざ妖怪に名を書かせたものを「友人帳」などと名付けまい。

強い人は、傷ついていないわけではない。傷ついてることを周囲に感じさせないから、結果として強い人として見られるのだ。
自分がその類の人間だからよくわかる。
レイコさんの生き方を見て、自分の弱さを自覚し、少し気が楽になったのを覚えている。
結局のところ、私もレイコさんもただの恥ずかしがり屋である。そんな生き方も愛おしいとは思わないか?そんな不器用な人間が、私は好き。

『夏目友人帳』の世界は、どこまでも優しく温かい。心が浄化される、そんな感じ。
だから、人として大切なことに気づかせてくれる。

優しさには種類があって、人それぞれ、大事にしているものは違うだろう。

本作では色々な種類の優しさが描写されている。
お人好しな親切心由来の無条件な優しさ、心配由来の叱る優しさ、察した上であえてそっとしておく優しさ……

この作品は幅広い年齢層の人に届いているが、個人的に『夏目友人帳』の世界が好きな人に悪い人はいないと思っている。少なからず、人に優しくありたいと思っている人たちだと思う。私も例外なく。
できる限り、人に優しくしたいと思っているが、今の私はそれを実行できているだろうか、そうであれば嬉しい。私の人との接し方の基になっているのは、こういうところだと思う。


私自身、この作品と長く付き合ってきたこともあって、今回は私の人生に関わる分析もできたのでは。本当はもっと語れるが、脱線しかねないし、話の本筋はずらしたくないので、ここまで。

これから私と出会う人との些細な縁を大切にしていけたらいいなと。

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