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節分と自我の芽生えの話


節分の日、保育園に行くとみんなしょんぼりしていた。
鬼が来るかららしい。
豆まきするのかな〜くらいの認識しかなかったから、今日息子が鬼に怯えるのかと思うと心苦しくなった。

そんなわざわざ怖がらせる必要なんてある?
トラウマになるんじゃない?
とか過保護なことを考えてしまったけど、そーゆーことも含めて経験させてくれる保育園は本当にありがたいなと思った。


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週末に迎えに行くと、先生が「すいません、怪我しちゃいました」と話し始めた。
最初は壁に並んで遊んでいたのがだんだん場所とりで喧嘩になり、息子が相手の子に噛み付いたらしい。その仕返しに息子も噛まれたらしく、右手にはくっきり噛み跡が残っていた。

最近家では全く噛みつかなくなったので想像ができず、思わず「息子から噛んだんですか?」と聞き返してしまった。恥ずかしい。

相手の子は大丈夫なのか?
聞いたところで大丈夫じゃなくても大丈夫って言うよな…
てかまずは息子の心配をすべき?
心配というか注意すべき?でも今更だよね?
あ、まずは対応してくれた先生に謝るべき?

って一瞬で色んなことを考えつつ、絞り出した返答が「ご迷惑をおかけしました」だった。
息子は至って普通で痛がるそぶりもなく、くっきりついた噛み跡も翌日の朝には9割消えて治っていた。恐るべし1歳児の治癒力。

今回は息子も噛まれて怪我をしたから先生が教えてくれたけど、噛み付くだけで加害者サイドだったらきっと教えてもらえないんだろうな、
ってことは今までも誰かに噛み付いたり怪我させたりしてたんだろうな、
と想像できて、何だか落ち込んでしまった。

でもきっと落ち込むのは先生の意図するところではなくて、あくまで「怪我を止められなくて申し訳ありませんでした」ってスタンスで事実報告をしてくれただけの話で、
懸念事項(息子が特にキレやすいとか暴力的だとか)がないからそれ以上の話はないんだろうな、と解釈することにした。

もちろん怪我をさせてしまった子には申し訳ない気持ちなんだけど、
それとは別にして、こーゆー悩みを持てるってことに感謝しないといけないなと思った。
自我の芽生えはきっと成長過程では重要だし、むしろ息子がすくすくと育っている証拠だから、親はまるっと受け入れて信じてあげるのがいいんじゃないかな。
というのが今回の私の結論。

それ以降、息子に叩かれたり物を投げられたりした時は過剰に痛がったり悲しむようにしてみた。
息子は一瞬驚いたような怯えたような顔をしていたけど、「やっちまった」って気づいてるみたいだった。よしよし。


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最近流行りの歌に「面倒と幸せを行ったり来たりして」って歌詞があって、
子育てってまさにこれに尽きるな、と思った。
本当に繊細で途方もないことの繰り返しなんだけど、瞬間瞬間に癒しもあるから続けられるんだよなあ。ずるい。かわいい。ずるい。


●最近の息子●
・「〇〇してくれる?」というと「はい!」と返事してくれる(でもやってくれない時もある)
・猫でもクマでも動物は全部「わんわん」
・ルーティーンに対するこだわりが強い
・場所見知り、人見知りが再燃
・車(特に大きい車)が好きすぎて大通りから動かない

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