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好意と質問の相関関係

友のいない人生は塩気のないピラフと同じ。
──ウズベキスタンのことわざ


どこで目にしたものだったのか、つい最近、こんな一文に出会いました。

私の尊敬する人は、誰かのことを思い出した時、その人に連絡をするという。
とても自然で綺麗な人付き合いの方法だと思う


同感のあまり、私も早速、その時ふと思い浮かんだ人にメッセージを送ったほどです。

その人が多忙な生活を送っていると知っているため、普段ならそんなことは決してしません。
けれどその時は、やや遅い時間帯、特に意味のないメッセージであったにも関わらず、なぜか躊躇はしませんでした。
もし迷惑ならば無視もしてくれるでしょうし。

意外だったのは、すぐさま返事が来たことです。その内容は連絡のお礼と、久しぶりに電話をしても良いかと尋ねるものでした。

私が喜んで承諾したのは言うまでもなく、その後、私たちはたっぷり一時間も楽しい時間を過ごしました。


私は自分から誰かに連絡を取ったりお誘いをするのが苦手なタイプで、相手の事情を考えすぎて、結局なにもしないということがよくあります。
けれどこれは、人から断られるリスクを避けているだけとも言え、自分だけ楽をして相手の働きかけを待っているなんて、ずいぶん独善的な話です。

それにそんな方法をとっていると、全ての機会が相手任せになり、気のおけない友人であっても、関係がいつしか疎遠になっていきます。

大人になると友人と呼べる人は意外と少なく、忙しさにかまけているうちその数はますます減るばかりだ、という話もよく聞きます。


ところが、友人を作るのはさほど難しいことではないらしく、ハーヴァード大学の研究リポートによると、「初対面の人から好かれるにはあることを9回行うだけでいい」そうなのです。

その"あること"は"質問"で、いくつかのグループによる比較調査の際、初対面の相手に15分間で9つの質問をした一群が、相手から最も好印象を得たといいます。

質問はどんなものでも自由ながら、その数が9つというのが重要なようでした。

しかも、尋問や面接ではあるまいし、相手にひたすら質問を浴びせれば良いというものでもありません。
日常の気軽な会話の中に、いかに自然に、さり気なく9つの質問を溶け込ませるか。

これを困難ととるかどうか、感じ方は人それぞれでしょうが、15分間という制限時間があるとなれば、かなり意識的に頭を働かさねばなりません。

相手を苛立たせたり、警戒心をかき立てないように、どうにか多くの質問をしようと思えば、どこかに自然な質問への糸口がないか、集中して相手を観察したり、話にも耳を傾けます。


私は、おそらくこのあたりに人に好かれる秘訣があるのではと考えます。

今は誰もが忙しすぎ、たとえ同じ空間で相手と面と向かい合ってはいても、その関心を独り占めすることは至難の業です。

相手は周囲の様子ばかりを気にしているかもしれませんし、話を聞いているようでいて頭では別のことを考えていたり、絶えずその場にいない誰かと連絡を取り合ったり、手元のデバイスの画面をスクロールするのに忙しいかもしれません。


こちらの言うことに真剣に聞き入り、ひとつひとつの言葉にうなずいたり、笑ったり、もっとよく知りたいからと更に何かを尋ねて話を広げてくれたり。
もしかすると、人からこんな対応をずいぶん長いことされていない、という人もいるかもしれません。

そうでなくとも、こんなふうに向き合われれば、誰でも嬉しく、話すこと、その人といることが心から楽しくなります。気分が高揚し、気持ちが穏やかであたたかくなり、その時間に深い歓びを感じられそうです。

誰かから深い集中と好意的な関心を向けられるのは、残念ながらめったにない特別なことになりつつあります。
だからこそ、そんな対応は否応なく人の心を掴み、結果として好意にもつながるでしょう。


相手に好印象を与える術を教える本や動画、セミナーは世の中にあふれていますが、そこで相手の話の聞き方を教えてくれることがあるのでしょうか。

少なくとも、私はそんな例を知りません。
相づちはこのタイミングでこんな具合に、という指導はあっても、それは自分を良く見せるノウハウというだけです。

そんなテクニックを使ったとて、見破られればおしまいですし、皆それほど鈍感ではないために、自分が何かのマニュアルに従い対処されている、と気づいた瞬間、なんとも言えない嫌なものが込み上げるに違いありません。

私なら、そんな人には大切な話を何一つしたくありませんし、直ちにその場を去るか、日本的にずっと天気の話でもしているでしょう。


こんな不毛なやり方よりも、9つの質問はよほど前向きで有効な手立てと言えそうです。
なにも本当に15分間で9つの質問を繰り出さずとも、相手に心を向け、話に真剣に耳を傾け、その場の楽しさを共にしようとすること。

皆、自分の興味のあることを話したいと考えているのですから、それを叶えてくれるめったにいない人に出会えば、その人は特別になり得ます。
その時点で、すでに友だちであると言えるかもしれません。


結局のところ、大昔から言われるように、友人を作りたいなら、自分をいかによく見せようとするかより、相手に心からの興味を持つのが正しそうです。

自己アピールに必死になり、どうにか好印象を与えなければ、と必死になるよりそちらの方がよほど上手くいきそうですし、これは決して受け身ではなく、自分も相手もその場を楽しむ、積極的で素敵なやり方です。

あなたの話をもっと聞きたい、という気持ちを込めて、相手にたくさんの質問をする。
こんなメソッドであれば、どんな人間関係にも効き目は抜群ではないでしょうか。



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