逃避と辞退

逃げることは覚悟がいる。逃げることは弱いこと、悪いことであるから。

本当にそうなのでしょうか。この世に存在する困難全てに立ち向かうことは、果たして絶対的に必要なものなのでしょうか。立ち向かうことで何があるのか、何を得るのか、何を失うのか、考えたことはありますか?

私はたくさんあります。何故なら私自身何度かお伝えしているように、損得勘定が前に出てしまうので得るであろうものと失うであろうものを天秤にかけることもあります。得るものが大きければやりますが、失うであろうものの方が大きければ?私はきっと辞退するでしょう。逃げではありません。辞退です。失うものが大きいのは私か適役ではないから。そう考えてみればむしろ辞退(逃げ)はするべきことと捉えられるのでは?そこで必要以上の責任を感じる必要はありません。

じゃあ得るものと失うものってどんなのがあるの?という疑問が浮かびそうなのでこれは私の体験談を例に話をしましょう。

私が逃げなかった例は、中学校の生徒会に入って2年目のことです。私の中学は2年の後半から3年の前半までの1年が生徒会本部の任期でした。その年の会長は私かもう1人の生徒が先生のなかでの候補でした。もう1人の子は私にやるように言い、私も最初は乗り気ではなかったのですが引き受けました。そのときに感じたのは更なる責任感の向上と、校内で唯一の立場として他の人とは違う経験を得るためでした。失ったものは自分の時間だった気がしますが、それ以上に多くのものを得る確信があったのです。

これがもし、理不尽な仕打ちや心身をボロボロにされるような仕事内容だったら確実に私は辞退しました。私にそこまでのボランティア精神は備わってないので、学年代表の言葉や学校代表、在校生代表の言葉などたくさんの人々の前で話す行為で何度心臓が破裂しそうになったことか。それでも最後までやって良かったと思えたのは、信頼関係を築くことができ新たな立場を与えられ、それらを全うできたこと、何気ない友の言葉だった気がします。

人として逃れてはならない責任はたしかにありますが、それは思っているより少ないです。その少ない絶対的に逃れられない責任のためにも、全てのものに立ち向かわなくても良いんじゃないでしょうか。