私がつける私の価値。

更新が久々になってしまいましたね。前回の記事が初めてだったのに反応もらえて嬉しかったです。

本題です。

貴方の価値を決めるのは貴方よ、みたいな言葉聞いたことありませんか?落ち込んでいる子にかける言葉だったりすると思います。あぁ言うのは実際言われた経験は少ないですが、存在しないわけでもないです。

今回は私がつける私の価値の話をしたいと思います。ぶっちゃけて言うと今はほとんど価値ないですね。私にとって極端に言うと価値がある=お金をだすことなので、私にお金を出す人はいないでしょう。というか私だったら同情と少しのお金しかだしたくないです。
でもそれは今の話です。昔はもっと価値がなかったし、将来たくさんの価値が出ることだって、可能性は0ではないと私は信じてます。根拠のない自信と言われればそうですが、根拠のない自信を持つことはタダです。お金も他の人からの支援もいらない、自分で自分の背中を軽く押すだけです。


私は親から自信のつく言葉と逆の言葉のうち、きっと逆の言葉ばかり受け取って生きてきました。送られてきたもの全てが全てを受け取りきれるわけないし、見落としもあっただろうから私が親から愛されてたか云々は割愛しましょう。逆の言葉ばかり受け取ってきたという確信は私の性格にあります。上記のようにお金で価値を見いだし、損得勘定が手前にでてしまう私は同年代のひとたちと比べれば異常でしょう。それに、自信のつく言葉を多くもらっていれば私ももっと自己肯定ができたはずです。


今でもマイナスばかりに耳が傾いてしまうこともありますが、以前より減りました。それはきっと根拠のない自信のおかげです。鏡見るたびに嫌だなと思うよりパーツによって何か良いところがないかを探すようにしました。また、必死に自分の顔を眺めて時には化粧をして努力してる自分を俯瞰して満足感を得たりもしてました。


あとは、私は絵描きでもあるので絵を描いてるときは「私天才!!かわいい!」なんて言ってみたり笑 口から出すことで外部からの情報の1つとして認識され、第三者から言われてるような気にもなれる気がしますよ。


結局自身の価値を決めるためにも第三者が必要になるのはたしかです。たぶん自身と自身をとりまく環境も価値のひとつって考えれば良いんじゃないでしょうか。


そこまで重く考えなくても、人間の脳ミソは案外頭悪いものなので思い込みや洗脳に弱いんです。自分のことを騙すのだってできなくはないんです。自身をつけるための嘘なんてよっぽどのことがない限りついて良い、私はそう思います。それが結果的に本当になれば嘘じゃなくなりますし。


弱さを認めることも強さのひとつですが、苦しいなら逃げちゃいましょ。少なくとも私はそんな貴方を肯定したいです。