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9月1日の君へ

先日、靴を買いに街へ出て、溢れる人波を眺めていますと、こんなに人がいるなら僕はもういらないのかもしれない、という気持ちになってきて、周りの人人人全てが僕を指さして「お前だ」と退場を迫ってくるような、みんなの舌打ちが、ため息が聞こえるような気がして、申し訳なさでいっぱいになって息苦しくなってきたので、あーあかん奴がきた、と思って深呼吸をして、胸に手を当てて大丈夫、大丈夫、と唱えて、靴は諦めてさっさと帰宅したのでした。

誰だって生きていれば度々、死神が背後にぴたりと寄り添うのを感じるときがあって、そいつは決まって「もう楽になろ?」と甘く囁くのだけど、そんな時は絶対に振り返ってはいけない、絶対に。

ただし振り切れるかどうかは運とタイミングの危ういバランスの上にあって、夜の川をのぞき込んでモヤっとおかしな気になるとき、泣き止まない子を抱えて途方に暮れるとき、上履きがゴミ箱に捨てられていたとき、もし、あの時/あの時/あの時、風向きが違ったら/電話が鳴らなかったら/誰もいなかったら、こちら側に着地できず、あちら側に落ちていたのかもしれない、その差は本当に微妙で、あくる日には「なぜあんなこと考えたんだろう?」と思うようなことでも、時に人は簡単に足を滑らせてしまう。

人生経験を重ねれば、死神がそのゾッとするほど冷たい手を肩に乗せてきたとしても、ノールックでぺしっと払いのけられるようになるのだけど、経験が少なければ、若ければなおのこと、そのマジメさとピュアネスにより、つい振り返って目を合わせてしまうのだろう。

前置きが長くなってしまいました。
この国の若年層の死因ワースト1位が自殺であることをご存知でしょうか。特に9月1日前後、つまり新学期を迎えるころに多くなるそうです。
そんな狂った世界でつらい思いをしている人たちに向けて、様々なジャンルの方々が筆を寄せた本が出版されました。

正気でいることが難しいこの世界は、マトモな奴から順に殺しにかかってくるのだけど、一人で立ち向かわなくていいし、強さや能力や高いスペックは必要ない、暖かい安全な場所で布団にくるまって、目を閉じて耳を塞いでやり過ごしたら、少しはましな未来が見えてくる。
なんにも終わらないし、始まってすらいない。
「消えてしまいたい」という感情自体は否定しない、珠玉のメッセージがちりばめられています。

表紙のこの子は、チャイムが鳴ったので時計の方を見ただけなのか、それとも死神に呼ばれて振り返ってしまったのか、それは周りからは分からないもので、だからいつだって「まさかあの人が」ということが起こるのだけど、そうなる前に届いてほしい。


最後に、9月1日をなんとなくやり過ごしてそれなりに生きてる大人から、9月1日の君へ。

ポンコツのままでいい、壊れているのは世界のほうだから。
生きて9月2日を迎えてほしい。


『9月1日の君へー明日を迎えるためのメッセージ』
代麻理子

#9月1日の君へ



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