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インターネット老人会_1995年

Mastodonの空気に触発され、GW中に2回インターネット老人会をやったところどちらも盛り上がった。
やはり皆「あの頃のインターネット」が大好きなのだろう。
いかがわしさが漂う空間には極めて大きな自由があり、しかもアクティブなユーザーが多かった。


日常生活では触れることのない、あるいは許されない知識を駆使してコミュニケーションを取る体験は大変刺激的であり、これが一部の人々の救いになったのである。


そして今、その空気がMastodonで復活している。
資料を埋めてしまうのは勿体無いと各所で言われたため解説と共に残しておこう。
酒の肴にでもしてもらえば幸いである。
※インターネット老人といってもボリュームゾーンは「00年代前半のFlash黄金期を学校のパソコン室で過ごした世代」であり、20代後半~30代だと思うが、通りが良いのでしばらくこのまま使う。

さて、まずは1995年からである。

この年はそのままのタイトルで1冊解説書が出ているくらい衝撃的な年であり、戦後日本の転機となった年と言って良い。
1995年は地震と共に始まった。1月17日の阪神淡路大震災である。僕はまだ小学生だったが、ひっきりなしに放映された地獄絵図を覚えている。

ところがそれから2ヶ月後、報道内容を一気に変えてしまう事件が起こる。忘れもしない3月20日、地下鉄サリン事件である。

サリンを撒いたのは新宗教団体オウム真理教であり、マンガ・アニメなどのオタクカルチャー要素(例えば彼らは空気清浄機をコスモクリーナー(宇宙戦艦ヤマトのネタ)と呼んでいた)や苛烈な修行、洗脳ソングに加えて高学歴信者(有名大学はほぼ揃っていた)の存在と、メディア映えする特徴を大量に持っていたため連日テレビはオウム報道で溢れた。
幹部自らがワイドショーに出て「ああ言えば上祐」などという言葉が流行語となったり、そのファンが出て「上祐ガールズ」などと呼ばれたりしたことを見れば、当時がいかに非日常的な空間だったか分かるだろう(どんなネタだろうが露出さえすればファンが付くのは今も昔も変わらない)。

そしてこの年は学校の怪談ブーム真っ盛りであり、夏には「学校の怪談」が放映され、いかがわしく刺激的な怪談に子供たちが熱狂した。

さらにその秋、アニメ史に残る作品の放映が始まる。「新世紀エヴァンゲリオン」である。

考察欲をくすぐる謎が散りばめられたこの作品はキリスト教の要素(使徒と戦う汎用人型決戦兵器の名前が『エヴァンゲリオン=福音』である)と終末論を含んでおり、まさに世界の終わりを感じさせた。

こうして世情を振り返ると、オカルト・アングラマニアにとってはまさに、我が世の春が訪れた年と言って良い。
(皮肉なことに、オカルトブームはオウム真理教に影響を与えた=現実社会に影響を与えてしまったためにこの後一気に収束に向かう)。

この年には終わりなき日常などなかった。毎日が非日常であった。

と、1995年語りをやったところでインターネットに目を移して見よう。

1995年はインターネット元年と呼ばれている。
インターネットが普及し始めたためこう呼ばれているのだが、大きかったのはWindows95の発売である。
このバージョンからインターネット関連機能が標準装備され、手軽にインターネットに接続できるようになった。インターネット人気でWindowsが売れ、Windowsが売れたためインターネット人口が増える相乗効果の時代が始まる。

この頃は光接続サービスはおろかADSLもなく、あったのはダイアルアップ接続である。
90年代にネットを始めた方ならご存知であろう、あの「ピーヒョロリ...」。

ピーヒョロリ...といえばテレホマンである。

NTTのテレホーダイもこの年に始まる。時間での従量課金(今では信じられない)が行われていたこの時代において、深夜とはいえ使い放題となるサービスは貴重であり、夜な夜なネットにダイブするユーザーが現れた。ここから生まれたキャラクターがテレホマンである。

インターネットコンテンツに目を移すと、伝説のアングラサイト「地下道入口」、陰謀論だらけの掲示板「阿修羅」が開設されている。前者は日本のアングラサイトのポータル的役割を持っていたとされるが、その後閉鎖している。後者は何と今でも現役で稼働中だ。陰謀論や怪文書だらけの掲示板で、ネット民としては逆に安心する。真偽?嘘を嘘と(ryと言いたいところだが2ch登場は1999年を待たなくてはならない。

さらなる特記事項としては、この年に出回ったあるゲームを取り上げなければなるまい。
霞ヶ関」である。今でも不謹慎ゲームの代表格として引き合いに出されるこのゲームは、地下鉄にサリンをばらまくというとんでもない内容のゲームであった。僕もさすがにアウト判定を出すゲームが流行したことは、当時のネット空間のアングラさを物語っている。

うーむ、やはり1995年は印象的だった。

次回は1996年から順にインターネット史を見ていくことにしよう。


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