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「たとえば、300円の物が売れるとして」店主業の醍醐味と、数学的帰納法。

たとえば、300円の物が売れるとして。

お客さんを思い浮かべ、お客さんに楽しんで欲しいメニュー企画を自分で考え、自分で材料をひとつひとつ仕入れ、レシピを何度も試し、最後にそれでも勇気を振り絞って値段を付けます。そして、それを伝えて、伝えて、買ってもらえたり、買ってもらえなかったりします。

カフェトリエのような、個人店主達のお店では、その長〜い一本の糸の全てを、店主が紡いでいきます。
どこか一箇所がうまくいかないと、あるいは苦手だからといって手を抜くと、糸が切れて、なかなかお客さんに届きません。あるいは、運任せ、他人任せになります。

300円が、値段として安いか、高いか。
そういう事ではなくて。
ひとつの物が売れる事。
それは、どれだけの気持ちや想いや時間がこもめられていることなのか。
お店を始めて、ありありと感じ続ける事です。それだけでも、人生の財産だなぁと感じています。

情けないことに、私には、人の物の販売だけをしていた時や、お給料だけで生きていた頃には、このようにありありとはわかりませんでした。

カフェトリエには、その日来てくれたお客さんや会話を少し思い返す時間があります。
その時が、一番嬉しい時間のひとつです。
お客さんがひっきりなしで忙し過ぎると、まだまだ修行が足りず、たまにその日の方々との会話や顔を思い出せない事もあり、何がしたくてお店を始めたのか、と、虚しくなったりもします。

そして、上記のように自分で紡いで作った物が、お客さんに喜んでもらえたか。それは、そのお客さんがもう一度来てくれた時に、はじめて確固たる実感として、腑に落ちる所となります。

自分のお店で、物事が売れる。
そして、その人がまた来てくれる。

この2つで、店主という職に就くひとたちの日々は、数学的帰納法のように、エネルギーを得て前に進んでいきます。


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