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執着、終着

愛は執着であると2500年前に言われております。

そして執着は煩悩であるとも。
愛は煩悩で、消さなきゃいけないかというとそうではないと思うんです。
というよりそれは出来ないことなんじゃないでしょうか。

出来ないことをいくら挑戦してみてもダメです。

執着していても、苦しまないようにしていかなければならないというのが実際の所ではないかと考えてます。

最初は相手に向いているようで、自分に向かっている愛。
それから、少しづつ相手のことだけを考えられるようになる愛。

しばらくの間、執着してきたものが私にはあります。
でも上手く本当に相手のことだけを考えられるものになっていきました。

自分は後回し、でも何にも辛くない。
相手の笑顔のためだけに、綺麗ごとではない気持ちで想える時間でした。

そして今は更にこのタイミングで、その幻想から覚める手伝いをしてくれる人が現れたんです。

遠く離れた相手に送っていた愛は、きっと幻想が含まれていて実際の様相とは異なるということを気付かないといけない。

でも、一気に目覚めるのではなくて痛みが少ないように、少しづつ目覚めるように何かがサポートしてくれているんですね。

もっと愛を広く広げるためには、このプロセスが大事だったんだなと思います。


最近は自分の仕事が何だったのかなんて、時々忘れてしまうくらいに沈む瞬間もありました。
でも、何が仕事でも良くて最終的な目的をもっておけば自分を納得させられるんだとわかりました。


たどり着くまでの道のりも乗り物もなんでもいいから、終点では皆さんにこの無償の愛の気持ちを共有したいなと思います。
勿論、幻想を含まないものです。




因みに今日は、本の整理をしておりました。
そしたら、食事や運動、呼吸、精神世界、ビジネス、歴史、経済、経営、ノンフィクションとまぁ乱雑に読んでるのを思い出したんです。

で、一体何が今まで知りたかったのかと考えてみたんです。

そしたらやっぱり、心の柱になるような考え方が欲しかったんだと思います。
それを発見してからはなんと面白いくらいに読書していません。
なんとも手抜きな探求ですが、自分なりにもう大丈夫です。

こうすれば上手くいく、こうすれば最短距離だ。とか。
この時代にはこの考え方だ、このやり方だ。
というものが欲しかったみたいです。

実際に自分が発見したのは、全然単純で「うまくいかなくても遠回りでも喜んでいる。」でした。

こんなことは、まぁ自己啓発系の本には殆ど書いてあります。
でも芯から納得しないと応用出来ないんですよね。

そういう意味では発見というより、腑に落ちたという感じですね。

この考え方も是非共有したいです。

とにかくこれを大前提においておけば無駄な時間とか行為というものがなくなるんだから、それは素晴らしいですよ。


今後、何が起きるかわかりません。思い切り落ちてもいいと思います。
でも喜んでいる人になりたいですね。

シンプル=簡単ではありませんが。
追及する価値のあるものです。


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