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私が起業するまで…これは2008年に掲載された記事です

今、正に旬な職業として脚光を浴びている「フードコーディネーター」
「食」をいろんな切り口で演出していくプロデューサーとしてマスコミにも引っ張りだこの職業ですが、そのフードコーディネーターとして独立し活躍している「吉田智美さん」の「夢を掴んだストーリー」を今回ご紹介したいと思います。

吉田智美さんは幼い頃は東京・大阪・名古屋とお父さんの転勤で移り住み、学生時代は 山口県の豊浦町(実家)というところで、高校まで過ごしました。
その後北九州市の短大の食物科に入学し、栄養士の資格を取得しましたが、
短大を卒業後、東京の大学へ編入学。そこでは、「食」をもっと幅広い観点・
視野でみたいと思い、工芸文化学科を専攻。陶芸・空間インテリア・ディスプレイ・カラーコーディネート
など身の周りに関わるデザイン全般について広く学び卒業後、㈱梅の花に就職しました。

●考えてもいなかった「起業」への道
「東京で就職しましたが、自分が漠然と考えてきた食に関わる仕事と、現実に関わっている仕事とのギャップを埋めるため、フードコディネ‐ターの福田典子さんのところにアシスタントとして半年ほど、会社の休みの日をすべて費やしました。つまり、平日は会社に勤め、休みはアシスタントという二重の仕事一色の生活でした。
半年間ほどそんな生活をしましたが、会社で関わっている業務のめどもついたので、
次のステップとして、大手クッキングスクールに入社しました。そこでは講師として
十分に自分を生かせる職場でしたので、ここでステップアップして行き、ずーっと
この会社に勤める事しか自分の中にはありませんでした。もちろん、周りの人が
独立していく話が耳に入ってきましたが、まったく自分とは無縁の事だと思うほど、
この会社が大好きでしたし、今もこの気持ちは変わっていないんですよ」

ゆっくりと、穏やかに話す吉田さんに、なにが独立を決意し実行させたのか、
非常に興味をひかれるところでした。

大好きな会社で充実した気持ちで過ごしていた彼女は、東京から福岡に
クッキングスクールの支店を開設する開店準備室のスタッフとして福岡で過ごす事になります。
この事が独立とは無縁であった彼女の気持ちに思いがけない変化を生みだすのです。
それは吉田さん自身も今まで思ってもみなかった、気持ちの変化でした。

「開店までに取り組んだ、経験した事のなかった仕事すべてが新鮮で、オープン告知の
チラシ配りも楽しくできましたよ」と吉田さんは眼を輝かせて話しました。

「お店をオープンさせる事がこんなに楽しく、達成感を感じる事が出来たのだから、
自分のお店だったら、もっと楽しく作れ、出来上がったお店がとても、いとおしい
ものになるだろうなあ」という気持ちが芽生えてきたそうです。
思いもかけなかったこの気持ちが、やがて、彼女の起業へと繋がっていくのです。

それは突然やってきました。勤めていた大好きだった会社をある事情で辞める事に
なりました。

「会社がいやになって辞めるのではないので、この会社以上に自分を生かせるところは
他にないと思いました。たとえ他の所に就職しても、きっと元の会社へ戻りたいと思うだけだろう。そんな前向きな気持ちになれないのなら、独立してやるしかないと思いました。」

いつかは起業をしようと考えていたのではなく、思いがけない外的要因で起業を
選択した訳ですが、この決心をした時から、吉田さんの起業に向けての情熱ある行動が、
自分でも予想しなかった速さで実現へと走り出します。

 何の計画や予定もなく、今の自分を納得させるのは「起業しかない」という彼女の
強い「想い」が動かした行動は、これから起業を志す人や起業した全ての人に
とても重要なものだと思えるものでした。

前を進もうという気持ちはすぐ実行へ移されました。

 次回は実現に向けて吉田さんが取り組んでいった具体的な行動と、事業に対する綿密な
 収支計画の部分が明らかになっていきます。

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