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往復書簡_中島晴矢:05_「ポストコロナのビオトープ」

GWに入って暖かくなってきて天気は超晴れ。例年だったら絶好の行楽日和でなんだろうけど、それが今は皮肉に感じられてしまう今日この頃、いかがお過ごしでしょうか? ていうか、GWは本当に気候的な必然性によって選ばれてきた長期休暇なんだな。めちゃくちゃ気持ちいいものね。つい先日までかなり寒かったし、花粉も舞ってたし......ここのところ地球の自然性というような問題が世界的に前景化しているのを感じます。
独自の環境論を展開してきた哲学者のティモシー・モートンがコロナに対するエッセイを書いてたけど、「ウイルスとの共生に感謝(Thank Virus for Symbiosis)」という挑発的なタイトルで。この辺なんかは今参照する意味があると思う。ユヴァル・ノア・ハラリの「人類はコロナウイルスといかに闘うべきか――今こそグローバルな信頼と団結を」より俺にとっては切実に感じられるな。つまりウィルスに戦って打ち勝つのではなく、その存在をとりあえず認識した上で、いかにこれから生きていくか。現代哲学におけるハーマンのオブジェクト指向存在論とか、メイヤスーの思弁的実在論とか、ぶっちゃけ詳しくないけど、その辺の思想がリアリティを持ってきたような気がしてます。それこそ東京都現代美術館ではオラファー・エリアソンがエコロジーの個展を作ったわけで、閉鎖されちゃって見れないけれど。新海誠の「天気の子」とか...いや「天気の子」見てないんですけどね、見てないのに言及するという。まあ、「積読」(永田希)ですから全ての情報環境は。以前は彼らの主題は「気候変動」だったのだろうけど、コロナによってまさに「環境」や「生命」が主題化してきてるような。もちろんそれは、医者が言うのとは異なる人文的な認識だろうけれど。
で、緊急事態宣言が延長だそうですね。彬はリアルに荒地を耕したり、ジャガイモを植えたり、ガチに「農業の人」になっていてすごいな、と思う。生き生きしてるし。また研吾は、福島の大玉村に蟄居することになったね。そして何をしているかというと、自分の家族が住む家を自分で建設しているという。例の、たぬき親子が住んでいた家。建築家はいいなあ、と素直に感じる。二人ともそうとう「環境」にコミットしてますよ。
俺はと言えば、喫茶野ざらしのカウンターに変わらず立っていて、どちらかといえば「都市」の中に今もいる。野ざらしは今、平日の昼間に限りお店も開けていて、テイクアウトのメニューを必死で増やしてるような段階。もちろん、三密にならないように、消毒と換気に気をつけて、窓全開でやってるけれども。しかし窓全開は極めて気持ちがいい。研吾の超縦長のデカい窓、これ換気性バツグンですから。真冬は隙間風入って「いやこれめっちゃ寒いじゃん」という感じだったけど、ここにきて完全に逆転するというね。まあそんな感じでやってます。あとテイクアウトメニューを出すのって本当に大変ですね。何よりまずテイクアウト用の容器を揃えるとかから始まるわけで。そこに出費もあるし、墨田区の飲食店界隈のzoom会議みたいなのに紛れ込んだ時(周りがしっかりした飲食店経営者の方々で完全に浮いてるというか所在無さを感じたんだけど......最初野ざらしのBGMそのままに参加してたら音がうるさくてずっと俺の画面が映る、みたいな事案も発生したり。いや、かなりマジで勉強になりましたが)、テイクアウト容器も品薄になってきてるなんていう話も聞いたりして。
店を開けているという事実に対してお叱りの声をもらうこともあるのかもしれないけど、そもそも野ざらしは既にめっちゃ自粛してるんですよ。だいたい喫茶店というのはある種のフレームに過ぎなくて、その中で展覧会やらトークイベントやらをやるのが主眼としてあり、それも含めて経営的にも設計していたわけだけど、今それはやれてないですから。利益率のいいお酒が出る夜のバータイム営業もしてませんよ。そんなわけで、なんとか平日昼間の喫茶営業のみ、という形を取っている。これは俺らのできる最低限の振る舞いだと思いますよ。
そして引っかかるのが、店を開ける、開けないっていうことにこれだけ言葉を並べなきゃならないことで、要するにそうしたことが極めて「政治的」な問題になってるということなんですね。野ざらしはそんな政治性まとうつもりで始めてないから、やはりそこはこの一ヶ月以上、かなりストレスだったのかもしれない。そんな中で逆に面白いのは、松山孝法くんという友達が大阪でやってるバー「The Intersection」。松山くんとは古い友達で、渋家で会ったんだよね。当時、彼は京都でファクトリー京都というシェアハウスをやってた。行ったことないんだけど。お互い文学が好きで、彼は徹底した太宰治主義者、織田作之助主義者で、要するに無頼派。俺はその頃三島由紀夫に傾倒してたから、何度か酒を飲んで熱く議論したり。なんかこう書くと「青春」ですね。そんな松山くんが1年くらい前から大阪でバーをはじめて、俺が今カフェをやってお互いカウンターに立ってるのはすごい文芸的にエモーショナルなわけだけど。大阪 / 東京、バー / カフェ という対比もなんかすげえいいし......。
それはそれとして、松山くんがすごいのは、徹底してバーを開け続けてることなんですね。閉店すれば補助金の50万円が出るのにそれもみすみす逃して、わざわざ開ける。それは自粛ムードの全体主義に抗う、完全に反体制的、思想的な振る舞いになっている。先日、アナーキストの外山恒一がゲストに来てオープン以来最大の売り上げがあったらしいけど。しかもそのちょっと前に松山くんはNHKスペシャル「さよならプライバシー」の第二回に出て完全にプライバシーを晒し切るという素晴らしいムーブもやってのけていたりして。そんな流れで彼は新聞にも「同調圧力の自粛に『NO』大阪のバー店主」とか取り上げられたりしてて、すごい生き生きしてるというか、むしろ今まで普通にバーをやってた時より完全に水を得た魚状態になってるわけですよ。つまり、店を開ける・開けないということが政治的な問題になったことを逆手に取って、自分の思想を貫いてるんだよね。これは面白い。もちろん、俺はそこまで極端な立ち位置は取れない。松山くんはアナーキストで無頼派だけど、俺はまた違う思想だし、彼の振る舞いを全面肯定するわけではないけれども、筋が通っているところにリスペクトを送りたいと思う。
一方で自分はと言えば、むしろここのところずっと思考は混濁してるような状況で、筋を通すも何もなかったんだけど、そんな中でかろうじて店を開けていて。来客はほとんど地元の人、墨田の人なんだけど、テイクアウトの時マスク越しにちょっと喋るだけでも気が晴れるんだよね。実際にそう言ってくれるお客さんもいて。で、最初はコーヒーをハンドドリップで淹れるという身体の動き自体がパフォーマンス的だ、って思ってたけど、よりそれが深まってきて、喫茶店という場で生起する会話それ自体が多分、なんていうかアートフォームのようなものなんだと思うようになって。
店を開けてると言っても野ざらしはこの状況でかなり暇だから本を読んだりしてるんだけど、『珈琲の世界史』(旦部幸博)っていうのを読んでて。もちろん喫茶店を始めたから興味持って読み出したわけだけど。世界史の部分は置いておいて、「コーヒーの日本史」が興味深い。日本に「カフェー」が出現したのは明治末期で、小説家の北原白秋とか美術家とかが、「日本にはカフェ情緒というのがないから、それを興してみよう」ということで始まったそう。引用。

「彼らはパリのカフェの雰囲気を求めて、セーヌ川ならぬ隅田川沿いで店を探したもののコーヒーを出す店が見つからず、最初は隅田川沿いの西洋料理店で会を催しました。(...)「パンの会」と名付けられたこの集まりは、耽美派の新しい芸術運動の拠点になりました。」

そう、日本のカフェ文化はアーティストたちが興したのだ、しかもここ野ざらしと同じ、隅田川沿いで!
それから1911年に、こうした文人たちの活動から銀座に「カフェー・プランタン」がオープンすることになる。パンの会に啓発された画家たちが、芸術家たちの語り合うサロンとして開業する。そして「カフェー・パウリスタ」ができ、徐々にカフェーが女給を主体とした風俗業の色合いを強めていったのちに、純粋にコーヒーを嗜む場所としての「純喫茶」ができて......といった歴史を辿るのだけど、要するに、「カフェ」の源流とはこうしたものだったのだ。
その意味で、野ざらしはカフェの正統なあり方を踏襲しているようにも思える。そしてそこで生起する会話、密な、濃厚な、接触的な「場」それ自体が「文化」として立ち上がる。
モノではなく、場の空気、雰囲気、そこでの一回性の身体的な所作それ自体が芸術とみなされる、それは日本の伝統で言えば、茶の湯や、あるいは江戸時代の遊郭などに接続できるかもしれない。
例によって散漫になってしまったけど、そんなことを考えながら、コロナ以降の、ポストパンデミックの社会において、文化や芸術を持続させるためにこそ、この「喫茶野ざらし」という名の小さな生態系、ビオトープを、どうにかして残していきたいと、そんなことを思うのである。

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