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【ネタバレあり】ミュージカル『ゴヤーGOYAー』親友2人について

※この文章はミュージカル『ゴヤ―GOYA―』のネタバレと個人の妄想を多分に含むので、その旨充分ご了承願います。


 2021年4月開幕の新作ミュージカル『ゴヤ―GOYA―』。これを書いている時点で東京公演折り返しを迎え、舞台上の熱気はますます増している。

 前回、未見の人向け作品プレゼン(というか、ざっくりした紹介文)を作成した時、サパテールがゴヤに向ける感情については「見る人の解釈にゆだねられていると思う」と書いたけども。
 まさにその部分、もっと言えば1幕終盤のゴヤがサパテールに投げつける台詞をどう捉えるかに自分はずっと脳の一部を乗っ取られていている。早朝に目覚めてしまったり、逆に未明まで寝つけなかったり。
 この「ぐるぐるーぐるー ぐるぐるーぐるー♪」状態をなんとかしなければ健康状態に支障をきたすと思ったので、まだまだ全然まとまっていないけれどもとりあえず文章にして吐き出そうと思う。思いきりネタバレしているので、未見の人や「他人の解釈は見たくない」という方は回避推奨。

 最初に言っておくけれど、演劇作品に限らず創作物を見て(聞いて)なにを受け取るかどう解釈するかは受け手にゆだねられている、と自分は思っている。当然、制作側や演者側が意図した演技プランはあるし、演者側が「自分の演じているキャラクターはこういう風に考え行動している」と自身の中で設定しているものはある。でも発信されたものを受け取った観客側がどう理解するかは自由だ、そう思いたい。
 たとえそれが演者側が意図したものとは違うとしても、「自分にはこう見えた、こう感じた」という感想はよほどひどい誤解や悪意がない限り否定されるべきではない、と自分は思う。少なくとも自分の好き俳優はそう考えていると思うし、自分自身が創作者の端くれでもあるので、「感想は受け手側のもの」「100%意図したとおり理解されるのはほぼ不可能」と今までの創作活動の中で感じている(まあ、これに関しては自分がへっぽこなのもあるけども)。そのうえで「演者が意図した通りに受け取り理解したい」とも願っている。

 あと、舞台は生ものなので日によって演じる側の細かい解釈が変わる部分がある。なので、「現段階で自分が観劇した日に受け取ったものを元に書いている」というのが前提。この先、もっと色々なことに気づいて自分自身の解釈も変わってくるかもしれない。というか、そうだといいなと思っている。

 追記。この文章は年齢差など史実もちょっと参考にしているけど、基本的にミュージカルの内容のみから推測…いや妄想している。だって、史実に沿うなら親友二人、ゴヤが耳聞こえなくなった時も文通してるもの。ストーリーが違う。


 前置きが長くなったけれど、ここから。

 ゴヤが言い放つ「俺たちは友達だ。だがそれ以上のことに立ち入ってこられるのは迷惑だ」「俺が気づいていないと思うのか。それじゃあ言わせてもらうがお前はなぜ結婚しない。なぜ独り身を通している。そんなことをされたら負担になると思わないのか。本当に俺のことを思うなら早く身を固めてくれよ」(※細かい言い回しの間違いについてはご容赦を)という台詞。
 言われたサパテールはひどく苦しげな顔で「パコ、本気で言っているんじゃないよな?」とやっとのように口にする(※同上)。

 サパテールは1幕冒頭で「僕はただ餌を待つ小鳥、君に飛んでいってほしくない」「この思い伝えられない」と独白する。誰よりもゴヤを理解し心を許された親友、けれども彼はそのゴヤ本人にも明かせない思いを抱えている。その「秘められたサパテールの思い」がキーになるわけだけども(だって、そこまったく関係なかったら「僕が独り身なのは今関係ないだろ!」って言うよね、きっと)。


 自分は、サパテールがゴヤに寄せるのは未分化の強い感情なのかなと思っている。
 友愛・親愛・憧憬・尊敬・誇り・独占欲・女々しさ・執着…その他いろんなものが混ざりに混ざって純粋にどれと言うことができない、ただひたすら「好き」「誰よりも特別」という感情。恋愛要素がまったくないとは言わないし多分あるにはあるけど、単純な『友情内に隠れた恋愛感情』ということだけではないんじゃないかなあ、という気がする。根拠はない。見ていてなんとなく。
 その強く特別な感情が「単純な友情ではない」ということが大いに引っかかってくるのではないか、と思う。自身がゴヤに向ける感情は単なる友情を越えている、という自覚が少しでもサパテールにあるなら。

 彼らのお国スペインは劇中でも言及されているようにカトリック国。同じく劇中でゴヤが修道院長を尊敬しているという発言も出てくる。彼らの思考の基盤には信仰と教義があり、当時のカトリック世界で同性愛はご法度。
 誰よりも親しく愛している親友への気持ちに彼らの基準でいうところの不純物が混ざっているかもしれない(=友情オンリーと言い切るには強すぎる)なら、それは絶対に表には出せないだろう、と思う。

 そして。ゴヤ以上に誰かを強く思うことができないと自認しているならサパテールは結婚できないだろうな、という気もする。それはそれこれはこれ、で家柄の合う女性をめとることもできなくはない、というかそれが当時の普通だろうけど。彼の誠実さはそれを許さないのではないか、と。あと、サパテールの方も後述するゴヤの子供じみた独占欲を多少の痛みを感じつつも喜びをもって受容しているのではないかなとも思う。


 ここでサパテールからゴヤへ方向転換。

 ゴヤは無邪気に親友サパテールへの好意を表に出す。誰よりも自分を理解してくれる相手、大好きな親友。ゴヤにとってサパテールへの好意は混じりっけなしの友情だと、本人は自認していると思われる。少なくともマドリードへ旅立つまでは。
 このサラゴサからの旅立ちの時点でゴヤは既婚者。妻ホセーファについてゴヤは「バイユーの妹だから結婚した」と打算を口にするけれど、彼女のことが嫌いかと問われると口ごもる。といって、別に恋愛ラブラブという風情でもない。

 なんとなくだけど、ゴヤは幼馴染みだろうホセーファを「かわいいし、言うこと聞いてくれそうだし、一緒にいて楽だし、周囲の女達の中で結婚相手を選ぶならペパだな。あのにっくきバイユーの妹だけど…そうだ、あいつの妹ならかえって好都合じゃないか」くらいの気持ちで妻にしたんじゃないかって気がする。まわりも結婚してるしそろそろ身を固めといた方がいいか、程度で。

 なので、妻がいても一番ベッタリくっついているのはサパテール。だって妻は親友じゃないし、くらいのこと思っていそう。彼の比重は完全に親友>>>妻。いい悪いではない。多分、感覚が子ども。

…で。
 ゴヤが結婚適齢期ってことは、1歳年下のサパテールも同様で。史実では親からの遺産がほぼなかったとなっているゴヤと違い、サパテールはそこそこ良家の子息。
 一般的に結婚が早いと言われるカトリック世界の信条は「産めよ増やせよ地に満ちよ」、しかも18世紀の地方都市。なのに聖職者以外のある程度富裕な成人男女が未婚独身となると、なんらかの大きな理由があるか変わり者かと判断されそうだなと。これも根拠のない憶測だけど。
 サパテール本人にもだけど、ゴヤにも「マルティンはなぜ結婚しないか知ってるか」「お前からも早く身を固めるよう言ってくれ」と圧がかかっていそうな気がする。…が。

 サパテールの誠実な性格を知っていれば、彼が結婚相手を大事にすることはわかりきっているわけで。それはゴヤにとっては面白くないことなんじゃないかと思う。自身が親友>>>妻なのだから、親友にもそう思っていてほしい。いつまでも自分を一番にして誰よりも自分を理解してくれる人であってほしい。俺より大事な人ができるくらいなら結婚なんかしないで俺といろよ。そういう感覚じゃないかと。

(なにしろ「その方が面白そう」って理由だけで「お前もマドリードに来いよ!」と軽率に言っちゃう人。余談だけどその台詞の時、前方下手端側から見るとサパテールがめちゃくちゃ複雑な顔して一瞬動きを止めるのが見える)

 ゴヤが一番だからサパテールは他の人を選ばない。それは若い頃のゴヤにとっては喜ばしいことだろうし、ゴヤのそういう気持ちを多分サパテールは理解していて、でも子どもっぽいわがままな独占欲に過ぎないと判断しているんじゃないかな、と思う。


 そして時は流れ、カディス行きの頃。
 自分の身を案じ説得しようとするサパテールの本気の心配をもちろんゴヤはわかっている。けれども同時に、サパテールが何を言おうと状況が覆らないこともわかっている。
 サパテールに本当の事情を説明できない、でも理解してもらえず正論だがもう言っても仕方のないことを説得しようとしてくる、という苛立ちがあの暴言を吐かせたのだろうと自分は思う。
 さすがにあの年まで独身なのは普通ではないとゴヤは多分気づいていると思う。その理由がゴヤ以上に一番に思える相手がいないからではないか、それは平常時のゴヤにとっては悪くない話だけども。なにも言わないで自分の意向を受け入れてほしい時には彼の心からの言葉が重く煩わしい。
 こんなはずじゃなかったという気持ち、サパテールの「宮廷に入るな」というかつての忠告を聞いていさえすればという後悔、なにも言っていないのに正確に状況を把握されているある種の気恥ずかしさ、言いたいのになにも言えないもどかしさ…色々なものがないまぜになってゴヤを苛立たせ、サパテールにあたらせてしまったのかなと。
 それは甘えでもあると思うし、悪口は自分が突かれると痛いところだという俗説から見ると「サパテールが一番な自分」の裏返しでもある気がする。自身は結婚しているけどサパテールには結婚してほしくない、自分より大事なものを作ってほしくない、そう思ってしまうわがままの自覚があの発言に繋がった…そんな気がする。例によって根拠はない。


 ここでサパテール側に話を戻す。
 サパテールにとってゴヤの暴言は、いわば突然の死刑宣告に等しいものだったのではないかと思う。決して気づかれてはいけない自身の特別な感情に気づかれていた、しかもそれを自分ごと拒絶された。そう受けとるしかないシチュエーション。
 お前の気持ちは重い、お前の気持ちは迷惑だ、早く俺から離れろ…どう反応していいかわからなくて、やっとのことで口に出したのが「本気で言ってるんじゃないよな?」という問いかけだったのだろう。なあ冗談だよな、軽い言い争いの時の「お前なんか独身のくせに」と同じだよな?そう言いつつも最後は「でもお前が結婚するのはなんか変」などと若干失礼な言葉で締める、そんな。

 でもゴヤは撤回せず、サパテールの言葉を切り捨てカディスに発ってしまう。そうなるともう、サパテールにはどうすることもできない。存在自体を拒絶されたようなものだから。傷ついた気持ちを抱えたまま、なんのリアクションもできず黙って受け入れるしかない。そして彼らは離れていき、ゴヤはサパテールが恐れたとおりカディスで毒を盛られ倒れる。


 2幕冒頭、ゴヤを哀れむバイユー兄妹のコーラスにサパテールは参加しない。なにも言わずただ通りすぎる。ひどく痛い表情で、伸ばしかけた腕を結局引いて。

 ゴヤに拒絶された彼は親友が自分の危惧そのままに命を落としかけ、聴力を失って生きる気力をなくしたと聞いても、会いに行くどころか手紙で心配することすらできないのだろう。ひょっとしたら、あの時拒絶されてでももっと強く引き留めていたら、そう思っているのかもしれない。彼を止められるのはサパテールだけだったから。

 そして。気力を取り戻したゴヤが一番に会いたがったのはサパテール。妻ホセーファには見せていない絵を「見せたい」と懇願する。だが、怒らせてしまったからもう会ってはもらえないかもと怯えを見せる。
 ゴヤは言ってはならないことをあの日苛立ちに任せてぶつけてしまったという自覚があり、それを悔いているとここでわかる。あんなこと言わなければサパテールはそばにいて自分の絵を見てくれた、でももう取り返しがつかない…そこに願い通り訪ねてきてくれるサパテール。ゴヤは大事なスケッチブックを投げ出し、笑みを浮かべたサパテールが広げてくれた腕に飛び込む。ゴヤはきっと許されたと思っただろうけど、サパテールの方も許されたと思ったろう。

 強く強く抱き合う二人の手前で倒れるホセーファにサパテールはすぐ気づき抱き起こして心配するが。当の夫であるゴヤは気づかず、サパテールとの再会時に放り出したスケッチブックに夢中。…ホセーファかわいそう。そしてその状態にサパテールも眉根を寄せる。

 サパテールのホセーファへの気遣いは昔からの友情や優しく目配り気配りができる気質、ゴヤを支えるいわば同志であることなどが大きいだろうけれど。罪悪感めいた後ろめたい気持ちもほんの少しあるかもしれないと勝手に思っている。彼女の夫ゴヤが親友>>>妻であること、そして彼女の夫に表にできない感情を抱いてしまっていること。サパテールはゴヤのように人の気持ちに(悪い言い方をすると)鈍感ではないから。そして、サパテールの気持ちは多分ホセーファにも伝わっている、と思う。
 でもそれでもなお、ホセーファにとってサパテールはゴヤの誰よりも必要な人間=自分にとっても大事で必要な人間、という位置づけなんじゃないかなという気がする。


 ここからは余談だが。自由改革派の活動家達がゴヤの版画の広告を読み上げる時も、自由改革派の観点から褒めそやす時も、サパテールは基本的に同調しない。彼はゴヤがそんな意図で絵を描いているのではないと知っているから。彼の信条からすればゴヤを引き入れ利用した方が絶対にいいのにそうしない。多分、サパテールはゴヤに対して誠実で公正でいたいのだと思う。
 だからこそ、彼らは主席宮廷画家と自由改革活動家として永遠に別れてしまうのだけども。

余談の余談。1階下手側前方サイド席だと、カルロス4世一家の肖像画を見上げたサパテールが目を大きく見開いて、そして嬉しそうに笑う横顔が見える。ゴヤが自分の道をしっかり歩いているのが絵から見てとれて嬉しいんだろうなと思う。


 以上、「1幕終盤のあの台詞を自分の中でどう処理していいかわからなかったのでとりあえず文章にしてみた」もの、終了。これが正解だとは思わないし、むしろ正解なんかどこにもないというか作品を見た人の数だけ正解があるような類のものなので、多分他にも色々解釈なさっている方がいらっしゃるだろうなと思う。というか、いてほしい。


 『ゴヤ』はいわゆるスルメ演目で噛めば噛むほど味が出ると思うので、どうか何度も噛んでどんな味がしたかご自身の好きな形で思いのまま表していただけたらと思っている。それをどこかで拝見できたら一ファンとしてとても嬉しい。こんなまとまりのない妄想の塊ををご覧くださいましてありがとうございました。