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麗江へ 2007

7月13日午前、大理のNo.4ゲストハウスのボーイの案内でバスに乗った。空いていた席は若い女の子の隣だった。そこに座ろうとしたが、何か食べ物の入った袋を置いている。それを手に取ると、ご免なさいという表情で彼女は受け取った。どこかオットリしていて、ひょっとすると日本人かなと思った。声をかけてみようかとも思ったが、様子を見ることにした。彼女は手帳を取り出し何か書いている。のぞき見ると中国語だった。インドでも日本人の女の子の一人旅に結構出会ったものだが、中国で会う事は最後までなかった。大阪のおばちゃんには一度会ったが、西洋人のパートナーらしき人と一緒だった。日本人だと聞いてちょっと声を掛けると大阪人同士と分かって思わず話が弾んだ。中国の一人旅は或る意味でインド以上に大変なのかもしれない。まず英語が殆ど使えない。それにトイレの汚さはインドの比ではない。水の流れないトイレに山盛りになっていて、思わず吐き気をもようしたこともある。中国人に混じっていると分からないので気付かなかっただけだろうか。それともインドに行った10年前とは時代が変わったのか。バッグパッカーの溜まり場だった宿が、どんどん高級化していっているようだ。東南アジアもそうだが、中国は特に激しいようだ。古いガイドブックをあてにドミトリーを探しても、もうないという事が多かった。

丁度、中間地点位だろうか。バスが休憩地に入った。何もない山中に驚く程立派な建物である。中に入ると土産物屋だった。宝石やら刀剣やら、松茸など高級そうな物ばかり。トイレに直行するのも何なので、何気に見回って直ぐに出てきた。前を見ると隣に座る女の子が歩いていた。変に思われると困るので少し間を空けて歩くと、彼女はバスとは違う方向に行ってしまった。バスの前でペットボトルの茶を飲んでいると、彼女が近づいて来て声を掛けられた。中国語だった。話したくない訳でもないが、中国語は無理だ。中国語が分からないと身振りを交えて伝えた。彼女は学生らしく少しは英語が分かるようだったが、会話が続く程ではなかった。稚拙な中国語と英語で二言三言話すと、彼女が外の方を見に行こうと誘った。女性と一緒に歩く事自体不慣れな事だが、ましてや、言葉がろくに通じない相手となると、どうして良いものやら。門の所にくると何て事のない山景色だったが、綺麗だね、日本もそうでしょ、などと話しながらバスの方に戻った。彼女は雲南省出身で上海付近の大学に通っているらしい。休暇で帰省なのか旅行なのか。麗江には2,3日いるという。到着は1時頃になると教えてくれた。それ程美人というわけでもないが、長い巻き毛で穏やかな表情は好印象な子である。お菓子をくれたり気を使ってくれる。そうこうする内に、窓の外はだんだん山景色から街の様相を帯びてきた。そろそろかなと思った頃、彼女が「到了(着いた)」と言った。

バスがターミナルに入り停車した。バスを降りる。客引きを振り切り、彼女と並んで前の通りに出た。彼女は友達に連絡すると言って公衆電話に向った。間もなく男女2人の友達がやって来た。私は古城に行こうとタクシーに地図を見せ尋ねる。彼女達の助けを借りて、目指す四方街には車が入れないという事が分かった。そこのバス停からバスに乗ればいいと教えられた。これ以上、彼女達に頼るわけにはいかない。「分かった、私は大丈夫だから、有難う」といって握手して別れた。何か情報はないかなと思い一旦ターミナルの建物に戻ったが、何もないと諦めバス停に戻ると彼女達はまだ通りの向こう側にいた。バスがやって来た。彼女達が通りの向こうからやって来る。何か言っている。このバスで良いのかと聞くとOKだと言っている。何かまだ話しがあるようだが、良いから乗ってと言う。窓際に座り外の彼女達に手を振った。すると彼女達も遅れて乗り込んで来た。何だ、まだ続きがあるのかと内心嬉しく思った。彼女に促され一緒にバスを降り、車両通行止めになった区域に入る。そこで突然、彼女達はバイバイと言って去って行った。唐突だったので、何も言えない内に行ってしまった。食事でも誘おうかと思っていたのに。

麗江古城

とにかく、ここからは一人のようだ。どこなんだここは。大きな2つの水車の横にある壁に「世界文化遺産 麗江古城」と書いてあるので、古城のどこかには違いない。その左側は大きな広場になっていたので、てっきりそこが四方街だと思いこんでしまった。目指す三合飯店は北の方だ。コンパスを頼りに歩き出すと、客引きのおばちゃんが寄って来る。丁度良いと、地図を見せ三合飯店に行きたいと言うと、反対方向だと言う。そんな筈はない。しかし、嘘を言っているようにも思えない。コンパスが狂ったのか。それでも半信半疑で、こっちだと言う方に付いて行くと、ちゃんと三合飯店があった。そこそこ立派な感じのホテルである。中に入ると直ぐにカウンターがあった。ドミトリーは有るかと聞くと、「ノー、オンリースイート」だと言う。なるほど確かにドミがあるようには見えない。それにしても、オンリースイートとは。私のガイドブックは相当古いようだ。表に出るとさっきのおばちゃんが待ち構えていた。こうなるともう付いて行くしかない。今までの経験からそれも悪くないと思い、付いて行くことにした。

石畳の路地が迷路のようにはりめぐらされ、古い屋敷風の土産物屋や食べ物屋がぎっしりと並ぶ雰囲気のある街である。なるほど、世界遺産であると同時に中国国内でも有数の観光地なわけだ。それにしても大変な人出だ。細い路地をすれ違うのも容易でない。路地を曲がりくねってどこに連れて行かれるのか。石橋を渡り、小川沿いを行き、今度は木橋を渡り、また石橋の前で反対側の路地に入ると、そこはもう観光コースを外れ人も疎らだった。直ぐにその宿はあった。

百歳橋客棧

その宿は百歳橋という長生きしそうな石橋を上がってすぐの所にあった。橋のたもとには百歳坊と書かれた石があり、お年寄りが記念写真を撮っていた。橋の低い欄干にはぎっしり人が腰掛けていた。おばちゃんに付いて中に入ると、やたら元気な姉ちゃんが大声を張り上げている。悪い予感は全くなかった。中庭があり、インターネットが出来、ホットシャワー付きの個室が50元。値切ろうかとも思ったが、まあいいとOKした。隣にも韓国人がいると言う。「我是日本人」というと、「韓国じゃないよ、日本だよ」と大声でおばちゃんに言っているのか。デポジットが50元で合わせて100元と言うので、デポジットの意味が分からないとごねてみた。じゃいいと少しふくれてしまった。デポジットは中国では普通なのだろう。荷物を置き、とりあえず周りを散策しようと外に出る。石橋を渡って、突き当たりの路地に出るとたちまち人の波に飲み込まれる。波に乗って少し歩くと宿の場所が分からなくなりそうだ。慎重に道を覚えながら、四方街と示されている方に行って見る。数十mも行くと石畳の広場に出た。どうやらそこが四方街だったのだ。方向が合わない筈だ。ここを目指せば迷うことはないだろう。

Jade Dragon Snow Mountain(玉龍雪山 )

古城内は実に面白かった。飽きもせず迷路の様な古城内を歩き廻った。そして百歳橋客桟も居心地が良かった。やがて城内にもさすがに飽きてきた頃、自転車を借りて北の山を目指してみようと思った。30分も走ると野原と山々に360度囲まれた。行く手には一際威厳を放つ玉龍雪山が雲を被って構えている。 白沙村の通りから見える姿も実に惚れ惚れする。 もっと近くに行ってその全貌が見たくなった。御山は根負けして一瞬だけその全てを現わしてくれた。玉龍雪山、それ以上相応しい名はない。玉を抱いた昇龍そのものだ。かなりのぼせてしまっていた。何か足跡を残しておきたくなった。 そして、部屋の中に、俺としたことが、落書きなんぞしてしまったのだ。「萬事如意」本当に単なる落書きから始まった。その下に「2007.7」と年月を書いた。本当に自己満足なだけの落書きだ。記念などおこがましい。なんとか取り繕おうと思い、絵心などないのに、その上に御山を描き出した。なんとか山に見える様に描けたが、御山にはほど遠い。明日もう一度見に行こう。もっと近くで。当然のことで、山に近づけば勾配が増してくる。それでも諦めず登り続けるが、御山の麓には及ばない。デジカメに御山の表情を収め、諦めて引き返した。一番近くで描いたスケッチ。それらを見ながら、なんとか御山らしい落書きに収まった。宿を出る前、宿の姉ちゃんを部屋に呼び寄せ「対不起(ごめん)」と言って落書きを見せた。 彼女は「イー」と言って俺の腕をつねった。それだけだった。それ以上その事に触れず金も要求しなかった。バイバイと手を振る彼女に「我回来」と言うと彼女は頷いた。

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