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安全のために、戻り、進むこと

7月になって、世の中はまた、次の段階に入っているように思います。
感染者が再び増加しつつあります。それがどのような感染者であるかということに、人は目を向けています。

先月のnote記事で、今年が哲学者ヘーゲルの生誕250年だということを書きました。何のために哲学があるのかという答えの一つに、揺れ動く精神を捉えるため、ということがあると思っています。

すでに人々は自分自身の行動ルールに則って、自粛一方ではない新しい生活に向けた一歩を踏み出しています。でも、いつも揺れ動く気持ちがあって、その気持ちに対して自分自身がどこまで応えてあげればいいのか、どうすれば自分を大切にして、それだけ他人のことも大事に思うことが出来るのか、答えのない中で生活を送っているのだと思います。

決めたことをその通りに行うことだけが美徳であるという時代は、終わったと考えるべきなのでしょうか。コンサートや演劇に限らず、何よりも必要と思われる学校でさえ、あらかじめ決めた通りのことをそのままに行うことが困難であるという理由で、全面的な休止を強いられたのですから。

自分を許し、他人を許すということは言葉にすればやさしく響きますが、とても厳しい判断の中でしか成立しないという事実に私たちは直面しています。
そして、病気へのいかなる対策をもってしても、洪水の前には無力です。
意識は揺れ動き、留まるところを知りません。

いつの間にか、決めつけの中でしか安心できない人間になっていた自分は、一人で歩いている自分、バスに乗る自分、買い物に行く自分、劇場に行く自分…、違う場所に行くたびにその場所のルールを読み取ろうとする自分、そうやってまだまだ増え続ける自分の姿を捉えることが出来ずに震えています。
みんな、気持ちは同じかも知れない…と思いながら、様々な人とすれ違う毎日で、でも、自分以外の誰も道を歩いていない、あの4月の恐しい光景を見るよりは今の方がいいとも思っているのです。

エンヴェロープ弦楽四重奏団の第3回公演が、来週に開催されます。
感染症に対する直接的な対策としては、前回までと比べて特に追記しなければいけないものはないと考えています。カフェの内はどこよりも安全にと、心がけてからもう3カ月以上がたちます。あとは会場にたどり着くまでの経路に注意を向けることだけとなっています。今回は前回より少しだけ注意深くなっています。

今一番大事なのは、人の心です。
揺れ動く心を自分自身に見える形に置き換えるさまざまな方法が、哲学の分野に残されています。
ヘーゲルは自我をmyselfではなく、2つのhimselfとしてとらえる方法を『精神現象学』の中で提唱しました。

"für sich"= for himself 自分だけ
"an sich" = in himself それ自体

自分がいなければ、世の中の全てが無であると考えて行動することも、世の中の全てが自分とは所詮何の関わりもないと割り切ることも、どちらもできない人=himselfを置き去りにはしたくないのです。

揺れ動く中で生きていくことを、安全対策の中に取り入れて、これからの公演を行っていきたいと考えています。

配信は生の演奏にはかなわないという価値観でさえ、揺れ動く気持ちの中では不確かなものになったと感じています。
その人に届いた、そのものに、価値があるのです。

どのような形のものでも、ほんの一瞬でもいいから、誰かに届いてほしい。
そのように願いながら、準備をしています。

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エンヴェロープ弦楽四重奏団の第3回公演、まもなく開催です!


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