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あらかじめ「私が嫌われるようなことをしたから、離れていった」っていう状況を作っておきたかった。

小さい頃から大学卒業しないと立派な大人になれないよって言われて育った。毎日学校に行かないと、立派な大人になれないよ。勉強しないと立派な大人になれないよ。

小さな私は、それを当然のものとして受け止めて、当然のものとして勉強して、私立の中学に入り、エスカレータで高校に入学して、高校を途中で退学した。

なじめなかった。ずっと。直接何かされたわけでもないんだけど、なんとなく仲間外れにされた。陰湿ないじめを受けた。小学校と中学校で全然違う生き方をしてきた人たちと出会ったのに、小学校でも中学校でもいじめを受けた。小学校では最終的にどの人が虐めている人物なのかわかったので、反撃もできたが、中学校ではもう面倒で、ひとりでいることにした。争うのにも疲れたのだ。

皆頭の良い、育ちの良いクラスメートだったけど、なんかはみ出してしまった私は、友達ができなかった。地元の友人たちは、お世辞にも「良い子」と呼ばれる素行の良い子はいなかったけど、私には仲が良さそうにキラキラ輝いて見えた。

けれど「あんな子たちと関わってはいけない」と小さな頃から言われていた私は、地元の友達とも友達になれず、強いて言えば「つまんねえやつ」とか言われて、更に親が望んでいた、素行の良い子たちとも友達にはなれなかった。良く言われたことは「私はこんなに信頼しているのに、私のことは信頼してくれない。」とか「何を考えてるのかわからない。」とか「うざい」とか。

高校をやめたいと親に言った時、

「大学を卒業しないと、立派な大人になれないよ。」って言われた。

「あんた変わってるもんね。皆と違うもんね。だからいじめられるんだよ。皆我慢して学校行ってるのに、こんなとこでやめてどうするの?お兄ちゃんとは違う、弟とは違う。本当に失敗作。」と母に言われた。

私は素直じゃないと良く両親に言われていたけれど、本当に素直に私は両親にとっての失敗作なんだろうと受け取って、でももう興味のない授業を受けることも、興味のないコスメや恋愛話をする友人たちに合わせることも、毎日真面目に制服を着て学校に行くこともいやでたまらなくて、わがままを言ってやめたのだった。

それから20年経ったけど、法に触れるような悪い事もせず、配偶者がいて、子供がいて、会社に行って働く日々を送っている。これは立派な大人なんじゃないかと思って。やっと20年経って「普通」になったのかなって思ってNoteを書いている。結局20年も「自分が変わってるから虐められるんだよ」っていう呪いは、解けなかった。

私は虐められている子供に「あんたは変わってるもんね。だからいじめられるんだよ。」なんて、心を殺すようなことを言わない立派な大人になりたいと思う。

高校をやめてから、3ヶ月後くらいに大検をとった。その後は専門学校に行った。入れば卒業できる専門学校だったけど、そこで初めて友達ができたと思う。けれど、いつか自分に興味がなくなったり、いろいろな状況で私に対して敵意を剥き出しにしてくるんだろうと思っていた私は、せっかくできた専門学校の友達が嫌がるような事をあえてして、距離を置いた。

連絡先も、バイトを変わるたびに職を変えるたびに、できた友達の履歴を全部削除していった。

あらかじめ「私が嫌われるようなことをしたから、離れていった」っていう状況を作っておきたかった。折角できた大好きな人たちが友人でなくなるのが耐えられなかった。

そうやって、自己肯定感が低いまま大人になった私は順調であればあるほど、どこでもぶち壊してやりたいという衝動におかれるようになった。恋人との関係も、仕事も、順調で幸せになるとぶち壊してしまいたくなる。

そうでないと、ある日突然なくなった時に耐えられなくなると思っていた。

だから慣れてきた3ヶ月、余裕がでてきた1年目、続いてきた3年目、だんだんと期間は伸びていったけれど、会社も、恋人とも、友人とも、自分からめちゃくちゃ嫌われるようなことをしたり、わざと酷い失敗をしたりして、やめたり離れたりしてきた。

今の会社は8年も続いた。今の夫とはもう出会ってから8年経った。

私の呪いを解いたのはこの人だと思う。私が何しようと、何言おうと、

「別に良いんだよ、それで。辛かったんだね〜。」

って言ってくれたから。特別に何かの言葉を返してくれたわけでもないのだけど、ただ何の反応もしないでくれたことが、私の救いになったのだと思う。だからわたしは、誰かにとってのそういう存在になれたらいいなっておもう。

高校をやめた後、クラスメートが修学旅行でお土産を買ってきて渡してくれた長崎の「ぽっぴん」を思い出した。

思い返せば、その時々で、夜通し飲み明かしたり、一緒にいてくれた人はいたはずなのに、私には見えなかったし、そんなことよりも、否定された出来事の方が自分の中では大きくて、側にいてくれた人のことを全然考えられてなかったんだな〜って気付く。

私はいじめられてる!!ひとりだった!って被害者みたいな気持ちで生きてきたけれど、母のことも、友達のことも、自分のフィルターからずいぶん除外して、その人たちに真摯に対応してきたわけじゃなかったんだって、ようやく最近気付いた。あの子のことを友達だと呼べない私は、母のいうように少し歪んでいるんだと思う。

今は、友達だと思える人が沢山できたのだけど、思春期に彼女や彼らと接していてもうまくできていた気がしない。これから先も友達と呼べる人はできるのかもしれないけど、その時には、決して自分から終わりを決めないように関係を結べたら良いなって思う。