ギヤマンとは? ~いしだあゆみ「赤いギヤマン」~
今回はちょっと趣向を変えて、江戸時代の香り漂う「ギヤマン」について書いてみたいと思います。
と言いますのも、最近、いしだあゆみさんの歌う「赤いギヤマン」という曲にめっちゃハマっているからなのですが(笑)。
着物の似合う気品あふれる声に、軽やかなレゲエのような裏打ち…
そして、江戸時代の舶来への憧れが詰まったギヤマン…
ギヤマンとは?
江戸後期、オランダ船によって長崎にもたらされたヨーロッパ製のカットガラスのことです。
ダイヤモンドの細片を用いてガラスに模様を彫ったことから、オランダ語の「diamant(ディアマント)」が名前の由来だとか。
そして、憧れの舶来品であるギヤマンは、試行錯誤の後、日本でも作られ始めます。
それが、江戸切子・薩摩切子といった「切子」です。
江戸で切子が作られ始めたのが、1830年頃のこと。この江戸切子には色がなく、無色透明なカットガラスでした。
そして、この江戸のガラス技術が薩摩に伝わったのが、1846年のこと。以降、薩摩では紅色や藍色、紫色、緑色など色が入ったガラス製造に成功し、薩摩切子が作られます。
(ペリーの黒船が来航して幕末が始まったのが1853年、そして、幕末の動乱を経て明治が始まるのが1868年ですから、いかに江戸末期のことか驚きますね!)
ヨーロッパでも薩摩切子のように透明なガラスの上に色ガラスを被せる「色被せ(いろきせ)ガラス」はあったものの製法が違うようで、薩摩切子の方がヨーロッパ製よりも厚さが倍以上あるそうです。
しかし、この分厚さのために、透明から色がついている部分へのグラデーション効果(ぼかし)が出て、却って面白いのだとか…
今回参考にしている「NHK美の壺 切子」によると、色の「ぼかし」は薩摩の宝とのことです。
ちなみに、ギヤマンとまぎらわしいビイドロとは、南蛮貿易のころにポルトガルから伝わった吹きガラスのことです。
こちらはポルトガル語のガラスを意味するvidro(ヴィードロ)が語源です。
日本でも長崎でまず作られるようになったビイドロは、次第に上方(京都・大阪)そして江戸、日本各地にも製法が伝わり、徳利・盃や酒瓶などが作られるようになっていったようです。
【喜多川歌麿(1753~1806年)による有名な「ポッピンを吹く女(ビードロを吹く娘)」。ポッピンはビードロ(ガラス)製のおもちゃの名前です。】
コロナによる鎖国状態が続くためか、身近にある日本文化への興味が高まる今日この頃。
前回でひと段落がついたこのnoteも、その時の興味次第の風まかせですが(笑)、こんな風にぼちぼちと続けていければなと思っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?