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ドラマや映画にして欲しい歴史上の人物(1)立石斧次郎

以前NOTEに書いた投稿の続き?です。
最近の歴史ドラマや映画がつまらないのは色々と理由があるけど
戦国なら「信長・秀吉・家康・・・」幕末なら「坂本龍馬・新撰組・西郷隆盛・・・」などの有名どころ、また、その関連の人物・事象が中心になる事が多いのも原因の一つではないか?

と、個人的には勝手に思っています。
有名な人を中心にするとある程度、先が分かってしまうので(歴史上の出来事を扱うんだから仕方がない?)あえて、ほとんどの人が知らないけど調べてみると面白い人生を歩んでた人を主人公にすると面白いかな?という
個人的な提案です。

もちろん、歴史の解釈などは人によってだいぶ違うし、事実に沿って話を作れば面白いとは限らないので(ある程度の演出は必要)ここに挙げた人物でドラマを作れば絶対面白いか? は 保証しません(笑)

たぶん、この人物が主人公のドラマや映画はなかったんじゃないかな?(もしかしたらあるかも。あったら教えて下さい)
という人物を中心に紹介していきたいと思います。

*私の創作というか想像(こうだったんじゃないかな?)も入っているので
 関係者の方や研究者の方がもしいて間違っている部分などありましたら
 ご指摘頂くか、素人の戯言と笑って流して下さい・・・

立石斧次郎って何をした人?

立石斧次郎と聞いて「あっあの人ね・・・」というふうにピンとくる人は少ないんじゃないかなと思います。
私は幕末あたりの歴史が好きで色々と本や資料をみていたら、たまたま知りまして調べてみたら、面白い人物でした。

6つの名前

この人は生涯に6個の名前を名乗っています。

生まれた時:小花和為八(おばなわ ためはち)
小さい頃病弱で里子:横尾為八(よこお ためはち)
母親の家に養子:米田為八(こめだ ためはち)(10才ごろ?)
17才の時。米使節団:立石斧次郎(たていし おのじろう)
(アメリカで婦人たちから「トミー」の愛称
帰国後。幕府に仕える:米田桂次郎(こめだ けいじろう)
岩倉使節団(通訳)晩年まで:長野桂次郎(ながの けいじろう)

この中で、特筆すべきは17才の頃に行った米使節団の時。
母方のおじさんが通詞(江戸時代の通訳)だったので若いうちから
蘭語(オランダ語)・英語を習っていたみたいで、1860年の万延元年遣米使節団に義父と共に「見習い通詞」として参加。
14才の頃には伊豆下田で米領事のハリスに英語を習ったりしてます。
*江戸時代はオランダ語(蘭語)が主流だったので、英語をしっかり学んでいたというのは(しかも若い頃から)珍しかったかもしれませんね。


イラストはイメージです(生成AIで作成)

当時、太平洋を海で横断するというのは大変な事。
立石斧次郎の乗るポーハタン号も嵐に巻き込まれ慣れない日本人はみんな船酔いで大変な思いをしたそうです。
また、当初アメリカ側は数人の役人を連れて行くつもりが・・・
目付とかお偉いさんのお付きの人か乗る人がどんどん増えて(77人)しまい、しかも77人分の米やタクアン、味噌などを大量に積み込んだものだから船内はかなり大変な状態だったみたいです。
(みかん・お餅・納豆なども持ち込んだけど腐ったりカビが生えたりで、ほとんど捨ててしまったという事です。
そして米を炊くには水や薪が必要。しかも77人分となると大量に消費します。結局、石炭(嵐が続いて帆が張れなかった日が多かったので消費しすぎてしまった)や水が足りなくなりアメリカ大陸に着く前にホノルルにも寄ったりしてます(当時はサンドイッチ諸島ハワイとも呼ばれ始めてた?)

またポーハタン号の護衛?という名目?で咸臨丸という船もいっしょにアメリカに行ってます。こちらも嵐に会ってます(水を節約してハワイには寄っていない)
だけど、ポーハタン号とは別行動で(咸臨丸の方が先に日本から出航してる)ポーハタン号の護衛という名目なのに乗っている日本人は94名となぜか小さな咸臨丸の方が多いという変な事になってます。
日本の船ですがオランダ製です。

Wikipediaより引用

艦長は「勝海舟」通訳には「ジョン万次郎」旧?1万円札の「福沢諭吉」なんて人たちが乗ってました。

ポーハタン号に乗船した立石斧次郎は若かったのと、明るい性格だったのか人見知りしないキャラだったようでアメリカ人の船員からも慕われ可愛がられたようです。

そんなこんなで、サンフランシスコに先に着いたのは・・・咸臨丸。
ポーハタン号は、その頃まだハワイでカメハメハ4世と使節団が会ったりしてます。

ポーハタン号は咸臨丸より10日ほど遅れて到着。

東洋の不思議な国「日本」からの使節団が来た!
という事で、日本人が歩けばどこも大勢の人だかり。
興味本位で話しかける人も多かったでしょうが、英語を話せるのは通詞などのごく一部。そこで英語がペラペラのジョン万次郎は他の日本人に
「アメリカ人に話しかけられたら「よわっちゃうね〜」とちょっと舌を巻いて話しながら握手をもとめろ。そうしたら相手が名前を名乗るので、こちらも名前を名乗ればOK」みたいな事を言ったっという嘘か?本当か?良く分からない話が残っているそうです。What is your name?

とは言っても日本からの正式な使節団。若い人は水夫やお付きの人くらいで役職があるような人は高齢の人が多い。
そんなに高齢でなくてもアメリカ人からすれば着物を来てチョンマゲで笑っているのか?怒っているのか?表情も良く分からない、本当に不思議な・怖い人たちに見えたかもしれません。
(この辺りのエピソードは色々あるのでドラマや映画にする時には面白い演出が出来るのではないでしょうか? あの福沢諭吉は、たまたま立ち寄った写真館で、そこの娘アリスと、たぶん日本人初のツーショット写真を撮ってます)

日本人初のツーショット写真 福沢諭吉&アリス

日本人が買い物に出かけるとアメリカ人の見物の人の列が30m以上続いたというから、かなりの事だったのでしょう。
そして、いつの時代も一番ミーハー(死語?)な世代は若い女性だと思います(特に偏見はありません・・・)
やはり若い女性たちも一目日本人を見ようと見物に出かけるけど
ほとんどが、むさ苦しいおじさんばかり。がっかりしていると
お人形さんのような男の子が向こうから歩いてきます。
しかも、流暢に英語を話すではないですか!
「立石斧次郎」と名乗る少年に女性たちは大注目します。
ただこの名前はアメリカ人には発音しづらい。
そうしてたら義父が「ため」「ため」と幼名(為八)の略で読んでます。
女性たちは「トミー」という名前だと解釈して以後「トミー」と呼ばれる事になります。

このサンフランシスコの滞在中に役職がついているような偉い侍はまだしもまだ若い水夫たちは、バーやダンスホールに遊びに行きたがり、怪しげなお店(見せ物小屋など)に行く人出る始末。
ほっておくと、アメリカ人とトラブルを起こし国際問題になりかねない。
仕方がないので、毎日少しづつお小遣いをあげて「くれぐれも軽率な行動はしないように」と学生に注意するような事をしてたみたいです。
日本人水夫の日記が残っているそうです。

お偉いさんがパーティーに招待されてもトラブルの嵐。
シャンパンを抜けば、その音を銃声と間違えて抜刀する侍が多数。
水を飲めば氷をそのまま飲み込み「固まった水が喉につまった」と大騒ぎする人が大勢いたそうです。

それよりも大騒ぎになったのが「トミー」
当時では珍しい写真入りの記事で「トミー」を紹介したもんだからサンフランシスコ中の女性が大注目。
どこへ言っても「トミー!トミー!」
ホテルにまで大勢が詰めかけ、窓際に立つだけで「トミー」と騒がれる異常事態になってたようです。

トミー騒ぎのせいで少し予定を早めた(本当らしい)使節団は汽車を使って次の目的地に向かいます。
パナマ運河がまだまだ完成していないので「パナマ横断鉄道」に乗って移動
もちろん使節団はほぼ全員、汽車に乗るのは初めてです。

これでトミー騒ぎも落ち着くかと思っていたら
いつの時代マスコミを舐めてはいけない。
サンフランシスコを出てからも「トミー」の記事は出続けていて全米の注目の的になっていました。
しかも使節団が乗る汽車の時刻や立ち寄る駅まで記事にしたから、たまらない。駅に停まるたびに「トミー」「トミー」の大合唱!


立石斧次郎(トミー)

そんなこんなでニューヨークやワシントンでも日本使節団の行くところは熱狂的な歓迎ぶり。一説にはニューヨークのブロードウエィでのパレードは「初の月面着陸」の時のパレードに匹敵すると言われている(確証なし)
もちろん「トミー」への熱狂ぶりは、大熱狂!!というレベル。
パレードのたびにトミー規制線?が設置されるほどの騒ぎだったようです。
そんな中、トミーはファンのみんなに投げキッスまでしたというから
トミーはかなりの大物だったのでしょう。
しまいには「トミーポルカ」というトミーの歌まで出来てこれが大ヒット。

歌詞の内容がまたスゴイ

🎵 通りがかった人妻も娘たちも、思わず夢中で取り巻くよ
  かわいい男、小さな男
  その名はトミー、かしこいトミー、黄色いトミー
  日本からやってきたサムライ・トミー

そのうち「トミーは日本の貴族の御曹司だ」みたいな噂が立ち
それを新聞が裏も取らずに書き立ててアメリカでの最後の晩餐会では
とんでもないトミー騒ぎになったようです。
しかもトミーはインタビューに「アメリカの女性はみんな美しい!」
「またアメリカに来てアメリカの女性と結婚したい!」
などとサービス精神が満載のスピーチをしてしまったから本当に大騒ぎだったのだと思います。

使節団が日本に帰る日が来ました(咸臨丸はとっくに帰ってます)
アメリカの船ナイアガラ号で日本まで送ってくれるとのこと。
そして無事に日本に着いたら・・・

ここから落ち込む内容なので箇条書きにします

・ナイアガラ号が日本についたら大歓迎!かと思ったら幕府の対応が冷たい
・使節団は日本に着いたら上役にペコペコ。使節団は日本の代表的な地位で 
 はなかった。
・トミーも貴族どころか下働きの普通の少年だった。
・桜田門外の変の直後で攘夷の機運が盛り上がっていた事もあって
 アメリカの使節団への対応が最悪だった
・当然、アメリカの使節団は帰国してから新聞社に話す訳です。
・アメリカの国民は激怒! あんなに歓待したのに!なんだったんだ。

こういう日米にとって不幸な結末になってしまったのは
欧米に興味がある優秀な人材を渡米などさせると幕府に災いをおよぼすかも?とか危険な渡米に位の高い人物は送れないとか・・・
現代にも通じる、日本のトップにありがちな新しい事にチャレンジ出来ない変に安全策を取る癖にプライドだけは高い。
という事情があったようです。
ハリスなどは「アメリカには○○さんとか○○さんに言ってもらうと良いのでは?」という提案もしたらしいのですが、結局は当たり障りのない人選になったようです。
なので、無理やり?理屈をつけて付いて行く事になった咸臨丸の方に面白い人材がそろっていたのではないでしょうか?

幕府に仕えたあと明治になり長野桂次郎と名前を変えて岩倉使節団(通訳)として再度、渡米。
その後、ハワイ移民官など英語を活かした仕事につき晩年は伊豆の戸田で孫たちに囲まれて暮らし1917年(大正6年)に75才で亡くなったそうです。

立石斧次郎という人は「トミー」で一時の人になっても自分を見失わずにあえて、そのキャラクターにのって日米友好に寄与した貴重な人物だと思います。
もし私が17才でアメリカ中の女性に熱狂的に囲まれたら確実に自分を見失いますね(笑)
義父もそれをすごく心配していたようですが、自分の立場は弁えていて決して調子に乗ったふるまいは見せなかったようです。

まだまだエピソードはありますが、これだけでも2時間ドラマは作れるのではないでしょうか?
どこかの制作会社でユーモア交えた作品を作って欲しいです。

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