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『効率』だけを考えるなら、カフェは必要ない仕事


写真は『キウイのタルト』。

『キウイのタルト』


ゴールドキウイをいただいたので、さらにグリーンのキウイを足して『キウイのタルト』を作りました。


先日、ニュースを見ていると、『食事は効率が悪い』という理由で普段の食事をプロテインと『完全食』のみにしているという男性の話題を見ました。

一日に2回。
食事の時間は20秒。

それで6年間生活し、健康上全く問題がないそうです。

このニュースについては色々な意見があるとは思いますが、この人の考え方(主張)はあくまで『効率』の話だと思います。

それがいいとか悪いとかではなく『効率』。
効率を求める人はいますね。

それは皮肉を込めて『効率厨』とか言われてたりもしますけど….

少し話は変わりますが、最近面白かったのが、とある音楽評論をしてるYouTuberに対して、視聴者が、『歌の2番っているんですか?無駄じゃないですか?1番だけで良くないですか?』という質問に対して音楽評論家が『あなたは効率厨ですか?』とコメ返しをしていたこと。

たしかに『歌の2番がいる・いらない、無駄・無駄じゃない』なんて発想、効率厨しか出ないかも。
映画を倍速で観る、とかも同じなのかなと思う。

効率を求めることが良い・悪いを論じたいのではなく、そういう、そもそも『文化』や『趣味』と『効率』は相性が悪いんじゃないかと思います。

一方で、『食事に効率を求める』人は一定数いると思います。

『効率』を求める人もいるし、中には『単純に食に興味がない』人もいるし『面倒臭い』と思っている人もいます。

ただ、食事に対してどういう価値観を持っているか、またその人がどんな食生活を送るか、ということについては、その人の自由だとは思います。

ただ、私が生業としている『カフェ』の仕事は....『飲食を提供する』分野の中では、かなり『効率の悪い』ポジションであることは間違いありません。

そもそも、コーヒーにしてもお菓子にしても『嗜好品』なので、生物の生存戦略上、無くてもいいものなのです。

つまり、コーヒーもお菓子も、お酒もタバコも、、、、もっと広く解釈すれば、音楽も、詩歌も、芸術活動も、生物の生命維持のための、または成長していく上で必要な栄養素は含まれていないのだから、『効率』を考えるなら、それは『無駄』といえます。

そんな効率厨から見て『無駄』とも言える飲食を提供している場が『カフェ』とも言えます。

だから、結論としては、効率厨のお客さんとカフェなんて、めちゃめちゃ相性の悪い組み合わせなんだと思います。

前にも書いて、ちょっと賛否あったのだけど、ケーキを注文されるお客さんの中にはごく稀にコーヒーや紅茶などの飲み物を注文しない方もいます。

こちらとしてはぜひとも注文していただきたい理由はいくつかあるのだけど、まあ、その理由のほとんどは『こちら側の論理』であって、注文をしない人にはたぶん通じない論理なので、そこまでしてオーダーしてもらうために労力は使いません。

多分、『是非ともコーヒーも注文して欲しい』というこちらの希望が通じない人はおそらく、カフェと相性の悪い『効率厨』の方々なので、まあ、そこはある種『価値観の相違』(という名の諦め)ということで、是が非でもこちらの希望を汲んでほしいとも思いません。
(飲み物を頼まなければならないというルールが明文化されているわけでもありませんし)

そんなこと言い出したら、ケーキそのもの、カフェそのものが、効率厨にとっては『無駄』なものなのだろうから、わざわざそんな『無駄』な場所に出向いて『無駄』な商品をオーダーしてるというその行動自体よく理解できないのですが….

まあ、カフェ自体、『効率の悪い、嗜好品、趣味、文化』の固め打ちみたいな場所だし、それは経営してる本人もよくわかってることだし、でも『そういうこと』をいかんともしがたく愛してしまっているという性ゆえに、その対極にある人のこともある程度理解して、互いにその存在を尊重する必要もあると思うのです。

だから別に効率厨の人を否定したいわけではなく。

ただいくら効率厨の人でも、『世の中きらありとあらゆる、趣味や文化や娯楽が無くなってしまえばいい』とまではさすがに思ってないと思います。

この世から、音楽や映画や小説や漫画やゲームが無くなってしまえばいい、と思っている人なんていないはずです。

私の好きな漫画『寄生獣』の最終巻、にて、寄生生物であるミギーは、自分の宿主である人間、シンイチに語りかけます。
ミギーは、自分が生存していくためには手段選ばない。 その一方で宿主である人間がしばしば『自己犠牲』という思考原理で行動してしまうことが理解できず、度々宿主であるシンイチと揉めることになります。

そして、最終巻にてミギーは人間を『心に暇のある生物』と定義し、人間を『理解はできないが、暇のある生物とはなんと素晴らしい』という言葉を残し、別れを告げます。
(このあたり、実は『シン・ウルトラマン』にも通ずるテーマだと、私は思うのですが)

つまり人間が他生物から見れば理解不能にも思える行動をとるのは、

『人間は効率だけを重視して生きていない』
『効率だけを重視して生きていないことが、社会生物としての生存戦略に繋がっていると考えている』

からです。

単一の生物として生き残っていくのではなく、社会を築きながら集団で生き残っていくという生存戦略を採用しているので、そこには、自己犠牲の考えがあったり、相互理解を深めるためのシステムとしての文化を築き上げたのだと思います。 (そういう意味では音楽なんて1番わかりやすいツールですよね)

食文化も、、、そしてカフェという場も、『集団的な生存戦略として必要な文化』だと、私は思いますし、そういう思いで仕事をしています。 


誰だって、あらゆるエンタメや娯楽や趣味や文化がなくなってしまえばいい、と思っているなんて人はいません。

人は誰しもそれらによって救われる思いをしてきたと思います。

音楽によって励まされた。
漫画に勇気づけられた。
映画で人生を学んだ。

カフェもまた『それがあることによって誰かの支えになっている』場所でもある、と、そう思っています。



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