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虹の彼方へ

マリー・キュリー
1867-1934
ポーランド生まれ。物理学者。二度のノーベル賞受賞など、輝かしい経歴をもつ。

1867年ワルシャワに生まれる。
祖父と父はそれぞれ物理学の教授であった。
ポーランドは当時事実上ロシアに併合されており、国内の知識人は圧迫されていた。
マリーの父も厳しく弾圧され職を失うことに。母も体調を崩し悲惨な状況に。1876年に姉が、その2年後に母が亡くなる。

16歳でギムナジウム(基礎教育を担当する)を卒業。そこから家族を助けるため住み込みの家庭教師の職につく。

24歳の時、パリに移り住み、ソルボンヌ大学で本格的に勉強を開始する。困窮していたため昼は大学、夜はチューターとして働く日々。苦学を重ね2年後には物理の学士を得る。

仕事の関係で知り合った物理学者、ピエール・キュリーと結婚。子供も授かる。子育てを続けながら実験を進める。

放射性物質・元素についての研究で博士号を取得。夫妻の研究が脚光を浴び、1903年、夫婦揃ってノーベル物理学賞を受賞する。
しかしその3年後ピエールが交通事故で死亡。悲嘆に暮れた彼女だったが、夫の志を継ぐことを誓う。

マスコミから注目され、人間関係のしがらみにも巻き込まれたマリー。
しかし渦中にあっても自分を見失わず、1911年ノーベル化学賞を受賞した。

第一次世界大戦が起きるとポーランド出身の彼女はパリへ疎開する。ここでも研究に打ち込み、レントゲン設備の拡大などを通して負傷者の支援にも貢献した。

後輩の育成にも尽力しており、アインシュタインに大学職の推薦状を書いたことでも知られている。

「キュリー夫人はあらゆる知名人の中で名誉に依って害はれなかった唯一の人である」(アインシュタイン)

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