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ウォーラーシュタインの世界資本主義システム論について


近代市民社会を「中心」とすれば、同時に「辺境」が成立したとウォーラーシュタインは言う。セットで世界資本主義システムと呼ばれる。同時にこれを社会学として植民地社会の変容を扱ったのがポスト・コロニアリズムとなる。

大航海時代の開始は、レコンキスタが終わり、中世ヨーロッパにとって先進文化だったイスラムをイベリア半島から追い出したところから始まる。「コロンブスの航海記」の序文には、カトリックの王たるスペイン国王に忠誠を誓い、イスラム教徒を追い出して、ユダヤ人を追放して、カトリックを布教すると書いてある。カトリックというのは、もともと「普遍」という意味だから、「普遍」とは「覇権」となる。おもしろいのは、1492年のコロンブスのアメリカ発見とユダヤ教徒が追いだされるか改宗を迫られた年が同じであること。

多くはオランダのアムステルダム(スペインの支配)に逃れる。イスラムよりはユダヤ教への弾圧の方が強かったのは、地中海のカトリック国での異端審査が中世よりも近代において激しくなることでも分かる。

カトリックというのはユダヤ教に脅かされるほどに当時は腐敗したものだった。ましてやギリシア哲学を基礎に踏まえたイスラム科学・哲学に適うわけがない。仏教も洗練されていた。

未開と野蛮の新大陸をカトリック化するということは、つまり新大陸を抱え込むということは、ヨーロッパ世界のキリスト教/文明/科学の優位性を証明するものだった。

ルネサンスというものが緩やかに始まり、文化的な意味でイスラムからギリシア文明を取り戻すのは、文化的なオリジナリティやアイデンティティをヨーロッパ人が必要としたから。それほどに当時のキリスト教というのは文化的な香りがない。世界観としては貧弱なものだった。だから、長くギリシア哲学などを内包する「オリエント」に対する憧れが強かった。

ユリアヌス帝がキリスト教を弾圧するのは、「新約聖書」があまりにもお粗末で、キリスト教徒の文化が粗野だったからだ。というのも彼はギリシア語で古典の教育を受けていた。

キリスト教が洗練されるのは、新大陸への布教の過程でのこと(ラス・カサスは、現代ラテンアメリカの貧困問題に取り組んだ「解放の神学」の基礎ともなっている)。

大航海の競争にオランダ、イギリスとプロテスタントが後に続くのは、金銀の収奪よりも重商主義的な貿易に関心があったからだろう。

カリブと南米ではスペインのエンコミエンダ制(メキシコ、ペルー等)が形成されつつあるので、スペインが軍事的に衰えても、簡単に奪うことはできなかった。実際、イギリスは何度もブエノスアイレスなどに攻めてきては負けている。

エンコミエンダというのは「委託」の意味で、スペイン人の山師の軍人が広大な先住民の土地をスペイン国王に寄進する。国王が、それを軍人たちにキリスト教を先住民に布教する代わりに彼らを労働さても良いという約束で、土地と先住民を「委託」する。

ラス・カサスは、これが実際には「奴隷」労働であることを告発した。カトリックがやった先住民支配と、プロテスタントがやったアフリカの奴隷の三角貿易と、どちらが過酷かは分からないが、カトリック教徒化するということは、人間として認める(婚姻による家族形成はカトリックの基本)ということでもあるから、「思想としては」カトリックの方がマシかもしれない。

19世紀世紀末、「キリスト教/文明/科学」の内、キリスト教は、アメリカのセアドア・ルーズベルトの時代から「民主主義」「自由主義」に代わり、アメリカが帝国としての中心を形成する。そうすると、それに伴い植民地・辺境も変容する。民族的ブルジョワジーが力を持つようになり、「開発」の時代となる。

ただ、このようなポスト・コロニアリズム、その経済学的な表現であるウォーラーシュタインの「中心と辺境」理論には大きな欠陥があると考える。これでは欧米の国民国家の形成や意義は説明できても、とくに日本などの遅れた国民国家形成を説明できない。ましてや、途上国の国民運動を過小評価する。世界は、変化のない辺境に組み込まれたままであるというのはおかしい。オスマン・トルコも中国の清朝も日本も、帝国として域内に君臨した訳で、これを辺境とは呼べないのだ。

つまり、インターナショナルなものを説明しようとするあまり、ナショナルなもの(国民国家的なもの)の意義を過小評価しているのではないか。

この辺に姜尚中先生と小熊英二先生との違いがある。あるいは、丸山真男から始まる、「近代」に対する見方の違いがある。特に、コリアン・ジャパニーズや韓国人の歴史家に、日本帝国主義を批判するあまり、ポスト・コロニアリズムの立場から、日本は日清戦争から新興帝国主義国として、朝鮮半島・中国に進出すると共に、日本国民そのものを「自己植民地化」するという説明がある。

しかし、遅れた資本主義日本は、日韓併合や満州国を作らなくとも、国内において日本人小作人の収奪と労働者の無権利状態を作りあげていた。それは独占資本主義としてのナショナルな問題で、台湾・半島を植民地化する手法が、内地人に適用されたわけではない。

ここには明らかに国家論が欠落している。つまり、なぜ明治において、朝鮮・中国・ベトナム等の留学生を迎えた日本が、昭和に入り、彼らを見下していくのかの文化的変容も分からない。どうも、中国や韓国は、日本を特殊で凶暴な欧米の植民地主義とは違う、つまり近代市民社会とは異なる帝国主義として描きたいようだ。

これは欧米の植民地主義は「中心」としての市民社会を作ったが、日本は植民地主義でも「辺境」であり違うという「アジア停滞論」でもある。

でも、そこには時間軸のズレしかないと考える。いずれにしろ、新大陸をヨーロッパが内在化する。つまり「中心と辺境」という世界システムを形する過程が、近代市民社会を形成する過程であるということ。

出発は、新大陸の先住民をめぐるラス・カサスのカトリック論争として始まり、その考え方はカトリックの「普遍」化に貢献して、ヨーロッパ人の市民概念・人権概念を作り上げる基礎ともなる。それは、300年の後にマルクスによる近代市民(ブルジョワジー)批判に終わる/あるいは終わらないわけだ。

ウォーラーシュタインはマルクスを継承するが、同時にその大雑把さも共有している。

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