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第6回 土谷享 「Self-distance」(1)

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 暖かな午後1時。
 タンザニアコーヒーをミルでひき、娘のマグカップを拝借してドリップする。珈琲は淹れたての一口目が一番美味しいなあと今日も思って、いつもよりひとサイズ小さなマグカップを片手に庭へ出る。
 今年の小鳥は活発な気がする。早々に南のどこかの島から我が家に戻ってきたツバメたちが器用に修理した巣の下は既に糞だらけになってるからAmazonのダンボールで糞受けを作らないとならない。既に花は散り新緑が芽吹きはじめた庭の桜の木の下、真っ白な大理石のテーブルの上に梢の影が優しく揺らめいている。その上のMac bookの液晶画面を見つめる目は、真っ白なテーブルの反射光で眩しすぎ、私は顔の眉間を最大限に強張らせている。もし私の顔を見る人が居るならば、私が怒っているように映るだろう。全くそんなは事なくて、むしろ今の気分はとても良い。最高に近い。少なくとも、いま、この空間、この日差し、この風、そしてタンザニアコーヒーと大理石の反射光に浸っている間は(その光で眉間にシワが出来ているとしても)。
 あゝ、家に一歩入れば、作業途中の確定申告で散らかっている。昨年は働きすぎてしまったけれども数字に現れる収入を目にすると心が折れそうになるし、コロナの影響で少なくとも夏までは予定していた企画もなくなり主だった収入が入らなくなったことはわかっている。先日政府が示したフリーランスへの保証など、その条件の厳しさに腹立たしさを覚え、そこに示された厳しい収入で生きている人はそもそも居るのかと大きな疑問を抱いたが、実は自分がそうだった。そうか私はこの様な騒動の中だからということに限らず、貨幣経済の世界では厳しい生活の者なのだ。でも全然そう感じないのはなぜ?否、家族は気が気ではない無いのかもしれないが。

 4年前、東京からこの場所に引っ越してきた。平家の落人の子孫や関ヶ原の合戦で逃げてきた武将の子孫達が開いた部落の中にある元商店だった家だ。広い盆地の向こう側に見える大きくて険しい山の頂きには壇ノ浦の合戦から逃げて生き延びていたとされる安徳天皇の陵墓があり、大家さんはそこの墓守を800年やっている。高知はかつて移民、難民、そして流刑の地だったという側面もある。
 この地に来て、近所の老人に最初に言われた言葉を思い出す。
 「おまえは東京から来たのか。最初に言っておくが、ここは東京が大地震にあおうが、大恐慌になろうが、大空襲にあおうが、ここは一切関係ない。」
   実際そうだったのだろう、今までは。私もこの地のこの性格に居心地の良さを感じていた。しかし今はどうだろう。3分ほど前に(そう、このテキストを書きはじめた直後)娘の小学校の教頭先生から着信があった。となり町でコロナウィルス感染症者が出たので、2週間臨時休校にします、という内容だった。この知らせは、正直、嬉しかった。先月の長い臨時休校の間、子どもたちと家で過した時間はとても楽しかったからだ。一年のうち多くの時間を県外のアートプロジェクトを飛び回る自分にとっては、夏までのほぼ全ての仕事が消えた事によって現れたこの時間は、自分の心の奥底に”問い合わせ”してみると「正直うれしいよ」という返事がくる。実際に、やることが無い子どもたちと向き合い、過ごし方や使い方を考え、計画し、寄り添うことがとても楽しかった。子どもたちも普段より自主的に生活していたし、自分の心でやりたいことを立ち上げて取り組めていたと思う。家事を含め、やれることが格段に増えた。精神面でのバランスも良かったし、インターネットも使いながら関心の高い教材へもアクセスでき、学習へも前向きになった。もう、うちの子には学校なんて要らないのではとさえ思った。だから、春休みが開けて通常通りの学校が始まった時は寂しかった。

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土谷享(美術家、KOSUGE1-16代表)                   2001年より土谷享と車田智志乃の美術家ユニットとして活動を開始。現在はこれまでの活動コンセプトを引継ぎ、土谷が代表として活動している。KOSUGE1-16の活動は、ある土地や人々の関係に内在されているハビトゥスの形骸化に注目し再起動させる試みを行っている。作品を通じて「もちつもたれつ」という関係をつくりだす。

HP : kosuge1-16.com

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