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第3回 白濱雅也 「来るべき日のために理想を描く」

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絶妙なる神の采配ー
今日の状況は不謹慎を承知でこのような感慨を覚えてしまう。最終戦争や世界恐慌、気象の大変動などは想像していても、こんな形で経済活動や人の交流を止めてしまう事態があるとは全く予想もしていなかった。行きすぎた経済活動を止めて足元をよく見つめよと言われているように感じるのは私だけではないだろう。
今日のような事態は9年前にもあった。震災時も自分たちの生活を見直すきっかけになったのであるが、あのときは切迫していて、いかに支援するか、いかにサバイバルするかに重心があった。

消費密度、欲望密度が飽和する東京で、私たちはコストという圧迫に息が詰まって行き詰まり、北海道に移住した。一変した環境での生活で、新たな価値観が生まれてきた。
その一つは静けさである。それまでどれだけ騒音の中に住んでいたのかを思い知らされた。物理的な静寂だけではない。ゆったりとした時間のもたらす心の静けさ。それまでの私たちは〜したい、〜しなければならないという欲望、義務、義理、競争、利益に追い立てられ、それを失っていた。今は静けさの中で心の声、小さな命の蠢き、大地の営みなどを察知できるように感じる。センサー感度が上がったのだろう。

一方、震災以後、移住と前後して私と妻は震災に美術はいかに向き合うのかを問い、活動し続けてきた。POST3.11という展示企画を軸に、考える事、身の丈を超える事、自身の扉を開くという事などにトライし続けた。震災以後の新しい世界の糸口は何かという答えのない問いを探る中で、この実践自体が答えなのではないかと思うようになった。
真のアーティストは常に答えのない世界に向かっている。直感と実践力がある。開拓者のように、先遣隊のように未知なる森へ手探りで入っていく。それが現代の芸術家の役割の一つなのではないだろうか。

今、仄暗い時代の入り口に立っている。ウイルスの脅威の後には、不況の嵐が来るかもしれない。それでも私はその行く先が暗黒とは思っていない。
欲望と競争に根ざした市場至上主義は揺らぐだろう。金の支配が揺らぐならば私たちの出番だ。金の支配する世界が簡単に消えるはずはないが、そうではない新しい場を生み出す余地ができる。そこには小さくとも愛、連帯、共有などに根差した何かが生まれるはずだ。

アーティストはその洞察力とイマジネーションを駆使して、理想を思い描くことができる。
「何もしない」というこの貴重な機会を生かして、センサー感度を上げて、理想と使命をフォーカスしてみる。結像しなくても良い。ささやかで小さな実践をゆっくりと静かに始めるのだ。私たちもここに小さな理想郷を作り始めた。来るべき日のために。


白濱雅也
1961年岩手県釜石市生まれ、1988年多摩美術大学美術学部卒業。90年代より不条理な物語的絵画や立体を発表、故郷の被災を機に、鎮魂と再生の意を込めた木彫神像に力をいれる。震災と美術の関係を問うPOST3.11展を企画、東京都美術館、原爆の図丸木美術館、札幌彫刻美術館で開催、好評を博す。その後メキシコ、中国などでも開催。2014年より十勝在住、自主ギャラリーArtLabo北舟/NorthenArk開設、主宰。

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