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第10回 谷山恭子 「ポストコロナ-相互扶助の社会は可能か」

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今朝、自転車置き場の地面に薄ピンクの花びらが散らばっていることに気が付いて見上げたら、知らない間に満開を過ぎてもうほとんど散ってしまった桜があった。ああ、この木は桜だったんだっけ、マスクの中で呟いた。外出していない間に満開を見逃してしまった。2017年の暮れから住み始めたベルリンのコロナウィルスによる外出規制は、他国の外出禁止令よりは緩やかだ。家族または同居の2人以内での健康維持のためのジョギング・散歩、個人のスポーツは許されている。でも私はスーパーへの買い出し以外では外に出ないことにしている。咳は8M飛散しウィルスは3時間空中で生きると聞いた日から、スーパー周辺を人々が行き交う穏やかな春の風景に神経質になった。今日(4/15)のベルリンの感染者は昨日より54人増えて4722人、都市人口の1.2%強だが基本再生産数(1人から感染する人数)は2.2~3.28。罹ったらうつしてしまう。だからスーパーへの買い物も週に1度かそれ以下、粘れるだけ粘る。

買い物を終えて帰宅すると、消毒液を含ませたキッチンペーパーで、ミルク、卵、水などのパッケージを拭き、野菜は全部よく洗って冷蔵庫にしまう。割引セールのキノコや少し古くなってきた野菜は切って干す。乾燥させておくと更に2~3週間は食べられるし、乾燥野菜はとても美味しく調理できる。そのうえ時短料理が可能でいいことだらけだ。備蓄を兼ねて乾燥野菜を始めたのは正解だった。朝から微妙な緊張感と共に意気込んでスーパーに行ってからの野菜処理までの作業は、結構な仕事量なのでちょっと疲れる。ウィルスを持ち込みたくないから一気にやってしまわないといけない。

朝は毎日日の出を見ている。子供の頃、年寄りは早起きで日の出とか見るのが好き、と思っていたが、気付いたら私がそれをやっている。朝日を見て今日も地球が回っているのを確認して感心する。そういえば数日前から朝の音が少し変わってきた。早朝に飛ぶ飛行機も出てきて、電車や車の音も前より活発だ。3月の日の出はもっと静かでシンプルだった。そろそろ世間は動き出したくてうずうずしてるのかもしれない。でも私の願うポストコロナの社会は、このひと月ほどのきれいな空気と静寂に満たされていてほしい。私はベーシックインカムに賛成だ。私の活動ではなかなか安定収入が得られないのが問題なのだが、少しでも基本生活への心配がなくなれば、収入には繋がらないアートプロジェクトに自分の力を出し切っても疲弊し過ぎないで済みそうだ。それにある程度平等化された社会では、人は欲にまみれず思いやりを持って他者との良い距離を保つことが出来、創り出されるものは良心と愛に溢れて美しく、自然を破壊しない世界が可能なのではないだろうか。こんなことを書くと、なんとナイーブで浮世離れしていて覇気がない、と叩かれそうな気もするが。…そう言えば幼稚園児だった頃、将来の夢を聞かれ、日向でほっこりしている自分の猫を思い浮かべて「猫になりたい」と答えたら、覇気の無い子だ、と先生に睨まれたっけ。

なんだかんだコンペティティブな日常の中、このパンデミックがもたらした世界的な一時停止は私の思考に余裕を与えてくれた。と、言っても実はこの余裕は、ベルリン州が早急にフリーランサーへの助成金を支給してくれたお陰なのだが。4月のアメリカでの展示のためにすでに持ち出していた金額への補填に、日本からの助成金を待っていたタイミングでのコロナウィルス。当然その助成金も保留になっていたので心底救われている。

そう、相互扶助の社会は競争からは生まれない。半信半疑だった州からの思いもかけぬサポートを実際に受け、私が社会に還元できる事に考えを巡らせている。恩を返せるよう、その時まで健康に生き延びよう。

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谷山恭子                                 場所特有の文化、歴史、日常風景からインスピレーションを得て、彫刻、写真、映像を使ったマルチメディア・インスタレーションを制作。場所と人の相互関係やアイデンティティーを多層な解釈から表現する。リサーチベースのアートプロジェクト、パブリックアートも展開。2012年ACCの助成にてNY滞在、2018年文化庁新進芸術家海外派遣制度にてベルリン滞在。www.kyocotaniyama.com

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