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第13回 大西みつぐ 「NEWCOAST-東京の波打ち際から-」

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 江戸川区の臨海部に移ったのは、ちょうどバブルの最中。奇しくも対岸のディズニーランドが開園して数年後。当時、ウォーターフロントブームもあって、東京の新しい観光地として多くの人たちが近くの広い公園にも集まってきた。強風吹きすさぶ人工なぎさで一日中「BBQ」をする家族、テレビのトレンディドラマの主人公になりきって慣れない手つきでワインを開けるカップルなど、シニカルな思いも込め至近距離で写真を撮ってきた。やがて90年代に入り儚い泡ははじけたが、造成された埋立地の風景はその後独り立ちし、ささやかな「自然」へと変貌していった。

 さらにいつ頃からか、近隣の町にインド人たちが自然に集まりインド料理店などいくつかできたこともあるが、ここ数年人工なぎさには日本人だけでなく、外国人たちが多く目につくようになった。日本に暮らす人たちのみならず、去年の夏に出会ったカップルはサハリンから新婚旅行で日本に来た二人だったりした。ネットを通じた東京のコアな情報が行き届いているのか、このあたりも一気に「グローバリゼーション」に包まれていく。
 チュニジアから友人を頼りに日本に来た若者も、まるで婚活中のようなインド人のグループも等しく波打ち際で子どものようにはしゃいでいる姿は微笑ましく、拙い会話をしながら写真を撮らせてもらうこともしばしばだった。海外にあまり出かけていない私にとって、世界そのものとの距離を少し縮めていくアクションの一つにもなっていたようだ。一方で同じようにここで憩う日本人の家族や若者たちは、こうした外国人と触れ合うということもほとんどなく、例の「おもてなし」という造り言葉の虚しさだけが浮いていた。

 そして今年のコロナ禍。人工なぎさは閉鎖され、外国人の姿はもちろん全く見えない。緊急事態宣言後の「密閉、密集、密接」を避けられる場所だからということか、土日の公園には遠方から車で訪れた多くの家族が簡易テントのまわりで遊んでいる。ディズニーに行くわけでもないのでこれも「自粛」だと答えるだろう。一定の距離を保って水際の芝生にテントも並ぶ。「社会的距離」がここではとてもわかりやすい。よくよく考えると、この距離感は去年あたりまで見かけたこの人工なぎさでの外国人との距離そのものだ。「関わらないでいる」ことで透明性を保ち、個に徹することで気ぜわしさから退避している。「社会的距離」の「距離」よりも「社会」にあえて臨まない。「簡易テント」に籠ってしまえばそこは「自宅」なのだ。こうした感覚は今に始まったわけでもなく、都市における申し合わせの一つとして昭和時代の終焉とともに押し寄せてきた波でもある。
 すれ違う他者を必要以上に警戒し監視する時代を経て、コロナ禍以後、グローバリゼーションも大きく変容しているはずだ。人工なぎさに外国人が戻ってくる時、日本人は相変わらず「自宅」のお持ち帰りを続けているしかないのだろうか。

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写真上:2018年8月撮影 / 写真下:2020年4月撮影


大西みつぐ (MITSUGU OHNISHI )
1952年東京深川生まれ。東京綜合写真専門学校 卒業。1970年代より東京下町や湾岸の人と風景、 日本の懐かしい町を撮り続けている。写真集・ 著書に「下町純情カメラ」、「遠い夏」、「 wonderland」、「川の流れる町で」など。個展、 企画展多数。1985年「河口の町」で第22回太 陽賞。1993年「遠い夏」ほかにより第18回木 村伊兵衛写真賞。江戸川区文化奨励賞。2017年 日本写真協会賞作家賞。2017年自主映画監督作 品「小名木川物語」を公開。現在、日本写真家協会会員、日本写真協会会員、ニッコールクラブ顧問 

HP https://newcoast16.jimdofree.com


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