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第18回 水内貴英 「海の向こうのシルエット」

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7年前の春、結婚をきっかけにして、埼玉から房総半島の海辺の町に引っ越してきた。
海のすぐそばの、漁港の裏に中古の家を買った。
ほどなくして子どもが二人産まれた。
毎朝四時に出港する漁船の大音響のエンジン音にも、最近は目を覚まさなくなった。
のどかな田舎での生活は概ね快適だ。

東京湾に面した家の裏からは、海の向こうに東京タワーや臨海部のビル群、東にスカイツリー、西に横浜ランドマークが見える。
ほんの少しの間だが東京近郊に暮らし、池袋の会社に通っていた私には、そのビル群の中での生活は理想的なものではなかったけれど、
東京湾の対岸から見るその街は好きだ。
春は霞にけむり、夏の夜はホタルのように明かりが明滅している。
空気が澄んでくる秋から冬にかけては手に取るような解像度で街並みを見渡せる。
海には巨大なタンカーが忙しく行きかい、空港へ向かう旅客機がひっきりなしに降下していく。
うんざりしていた喧噪や人ごみも、ここからなら好ましく思える。
距離がイメージを浄化する。

大都市の対岸で暮らし、そのシルエットを見ながら成長するふたりの息子たちは、いつかその場所で暮らすことを夢見るのだろうか。
はるかに見えるシルエットと比較するに、自宅周辺は寂しい漁村に見えるのかもしれない。
まあそれはそれ、好きにすればよいと思っていた。

だが、この場所での7年目の春、コロナウイルスが蔓延し始め、東京での感染拡大のニュースが報じられて、海の向こうのシルエットを見る目がすこしづつ変わっていった。
活気にあふれる都会のイメージの中に、外出自粛の息苦しいイメージが存在感を増してくる。
高密度で人やモノが集まっている場所で「距離をとるように努力する」ということがいかに気苦労の多いことか、という風に思ってしまう。
でもまあこれも、一時的なものだろうと、何となく思っていたのだが。

それから数か月たち、一度は下火になったかに思えたコロナウイルスも、最近になって東京ではまた感染者が増え始めている。
いったい、いつになったら収束するのだろう。
もしかしたら、流行の終わりはないのかもしれない。
これから先、海の向こうのシルエットは、息子たちの目にどのように映るようになっていくのだろう。
距離の意味が変わってしまった。


思えば昔から、物理的な意味でも、精神的な意味でも、距離が近いのは苦手なほうだったと思う。
小学校から大学まで、友達は多いほうではなかったし、グループワークは苦痛だった。
人と人、人とモノとの関係をテーマにした作品を作ることも多いが、たいていは、それらの間にどのような距離を作るか、ということを考えてしまう。
ワークショップをやるときは、参加者と直接交流するよりは、仕掛けを作った上で、遠くで見ているほうが好きだ。

だから、こんな場所に住んでいるのかなと思う。
今風に言えば、私は、ソーシャル・ディスタンスを求めてここにやってきたのかもしれない。
物理的距離が近い都会でも、関係の距離が近い田舎でも、そのどちらでもないようなこの辺りは、いい意味でさまざまなものどうしが距離をとることが許されているように思える。

物が集まり、人が集まり、常に活気があり、多くの関係が生まれる場。
距離の近さ、密度。
そのような、今まで良いとされてきたものを避けなければならない状況は、
そういう場所に、どうにも馴染めなかった人間にとっては、不謹慎ではあるが、ちょっとほっとする状況だと感じている。

密と疎の価値が逆転してしまったコロナ下の世界で、疎の価値について私はどのように考えれば良いだろうか、ということが最近頭の隅にずっとある。
それは単にウイルスに感染しにくい、というだけのことではないということは、よく分かっている。
じゃあ何だろう、言葉にしてみようか。

ソーシャル・ディスタンス上等。
私にとっては今が、疎の価値について掘り下げてみるのに良いタイミングなのだろうと思う。

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水内貴英
美術家。1979年岡山県生まれ。もの、ひと、状況など、作品が関わる場所の諸要素どうしの関係を調節したり変化させたりする作品を国内外で発表している。
また、ワークショップによって起こる出来事や現れる空間もまた作品であるという考えのもと、大規模なワークショップも多く手掛けている。

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