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第9回 東野雄樹 「ニューヨークでの一日」

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午後7時。不気味なほど静かなニューヨークの街は毎日この時間に数分だけ活気付く。町中で何万人もの人達が窓から拍手をし、鍋を叩き楽器を鳴らす。教会の鐘も鳴るし数少ない車はクラクションを鳴らす。医療スタッフ、郵便配達人、警察官、スーパーの従業員といった疫病の最中に危険を冒しながらも仕事を続けている、いわゆるエッセンシャルワーカー達に達に喝采を送っているのだ 。

巨大都市でありアートの中心地でもあるニューヨークが完全に機能停止している。そんな時期にここに滞在するのは不思議な体験だ。

僕は一月からニューヨークにレジデンシーできている。アトリエとアパートを支給してもらえるという好条件で、一年近く前から楽しみにしていた。実際三月初めまではとても楽しく忙しい日々だった。それだけに外出制限令はショックだった。僕だけではなくて皆そうだったと思う。制限は徐々に課されたのではなく本当に急ブレーキだった。数日前まではレストランも空いていたしコンサートにも行けた。それがある日突然一斉に止まったのだ。当然アトリエも閉まっているのでマンハッタンのアパートで待機状態だ。

制限令がでてからまだ一月にもならない。しかしもうとても長い時間がたったような、それでいて毎日が一瞬ですぎるような不思議な感覚だ。日々にほとんど変化がないからだろう。僕の1日もほぼ同じパターンを繰り返している。

朝は10時半ごろに起きる。人と会うことが全く無くなったので早起きする理由がなく、すっかり夜型になってしまった。朝食を食べながらニューヨーク州知事アンドリュー・クオモの記者会見を見るのが日課だ。彼のパワーポイントを使いながら事実を包み隠さずはっきりと伝える会見は、嘘ばかりでなんの助けにもならない大統領の会見とは対照的で、アメリカ中から注目されている。悪いニュースが続くがそれをはっきりと伝えてもらえることに少し安心感をおぼえる。

昼食まで制作する。僕の絵画はサイズが小さくアクリル絵具を使うので家でも作業できるのが幸いだ。正直制作していないと不安でニュースを一日中見てしまうので絵画に打ち込めるのはありがたい。今の精神状態では本もまともに読めない。

昼食後スウェーデンの実家に疎開している彼女とWhatsAppで話す。三月後半にこちらに来る予定だったのだが、彼女の到着日のちょうど一週間前にヨーロッパからの旅行者に渡航制限がかかった。残念だが現状では北欧の田舎にいるのが一番安全だろう。

晴れていれば日課の散歩にでかける。集団行動しない限り運動や犬の散歩などのための外出は許可されている。疎らだが人はいる。しかし車がほとんど走っていないのは異様でどうしても慣れない。何が驚きかというとこれほどの大都市なのにほとんどの人が自発的に外出制限に従っており、警察官が強要しないといけないケースは比較的稀だということだ。実際、ニューヨークの状況は専門家が予測したよりもずっと早いスピードで改善しているという。この街は近年9.11、ハリケーン・サンディなどの災害に見舞われているので住民の覚悟ができているのだろうか?

午後は夕食まで制作を続ける。7時には僕も医療スタッフへ窓から拍手を送る。夕食後に日本の両親と話す。日本の状況は政府にやる気があるとは思えないので、60代後半の両親の事が心配だ。住んでいるのは兵庫の田舎なので多分大丈夫だとは思うが不安は拭えない。

その後、日によってはスマホを通して友人と飲む。お互い自宅を一歩も出ない究極の宅飲みだ。彼は「アーティストは普段から一人で作業するのに慣れている。それはこの日の為の準備だったんだ」などと軽口を叩く。彼も三月末にオープンする筈だったLAでの個展が無期限延期になってダメージを受けているはずなのにそんな事は微塵も感じさせない。見習いたいものだ。

就寝。明日も全く同じ一日だろう。こんな状況がいつまで続くのかと思いながらも、これもある意味得難い経験だとも感じている。

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東野雄樹
1984年静岡県生まれ。2010年フランクフルトのシュテーデル美術大学卒業。ウィーン在住。チューリッヒのLast Tango、レイキャビクのThe Living Art Museum、ブルノのGallery G99、ウィーン近代美術館などで展示。ArtForum、Texte zur Kunstなどの雑誌で執筆も行なっている。

www.yukihigashino.com

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