見出し画像

第4回 三田村光土里 「憶いとの距離」

画像1

   この2ヶ月余り、物理的にも精神的にも、これまでになかった密接さで肉親と過ごしている。得意な料理は魚の煮付けだと言えるようになった。
 年明けに、母が末期の胃がんと診断された。90歳を目の前に、いつでも浄土へ還る心持ちではいたのだが、歳に似合わない若々しさで活発だった母は、老いによる緩やかな衰えの末の旅立ちを思い描いていたおかげで、このところ検診を怠っていたのだ。
 私はしばらく実家に留まり、緩和ケアで自宅療養する母に寄り添うことにした。(それについては自身のnoteに綴った。https://note.com/midorium/n/n65f158283d85 )
 
 名古屋の郊外に生まれ育ち、親元を離れて上京してから30年以上が経つ。その大半は一人で暮らしてきた。20世紀の終わり頃から美術家を名乗り、毎年、数週間から数ヶ月を海外で過ごしてきた。
 
 奇しくもコロナ禍の社会的隔離は、慣れ親しんだコミュニティを遠ざける代わりに、家族とのあらゆる距離を極端に縮めた。久しぶりに家庭というユニットに収まってみると、そこから巣立って以来、広げたり縮めたりしてきた様々な単位の距離が意識される。
 テクノロジーは物理的距離をスピードで縮め、豊かさとは、遠くへ出かけて、遠くのものを手に入れて、世界が身近になることのように映った。水も食べ物も遠くから運ばれてくる。生きるために必要なものが作られる場所との距離はどんどん遠くなる。必ず運ばれ、それが滞らないという前提のもとに。
 
 昨年の後半はウィーンに滞在し、冠水したベニスも訪れたのち、帰国後は茨城の常陸太田で過ごした。年の瀬のせいか、寂れた景色に望郷と感傷が不意に意識の深いところから呼び覚まされ、夕暮れどきの思いがけない郷愁に戸惑う。その感覚が新鮮で愛おしく、必ずや母のもとで年越しをしようと決めた。

 母は兄と二人暮らし。父は8年前に他界し、最近は姉の息子が東京から移り住んで居候している。
 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」とはよく言い得たものだ。近くにいると、そのありがたみが薄れるのである。実家に暮らし始めて一ヶ月半が過ぎたある朝、視界がぐるぐると回転して起き上がれなくなった。ストレスによる頭位めまい症とのこと。肉親であれ「ひと」の側に居すぎたのだ。
 
 初めての国に出向いて人間関係を開拓しようとも、理不尽な出来事に頭を悩まそうとも、あらゆるチャレンジにおいて、私はこれまで神経が鈍感だったのである。アートで人とのコミュニケーションを謳いながら、家族との距離がアキレス腱だったとは、なんとも情けないザマだ。
 
 少しの間、近くにあるのに見えていなかった過去との距離を、手探りで縮めてみよう。手を伸ばせばそこに在った入れ物としての肉体は、いつまでもそこにはない。それでも憶いとの距離は自在で可変だ。
 暖かな日差しのもと、急激に足が衰えた母に腕を貸し、生まれ育った家の外周を歩いてみた。ゆっくりとゆっくりと、わずかな距離を旅のように感じる。
 道端に咲き誇る野花や草や緑が光に滲み、春の訪れに気がついた。


三田村 光土里(みたむら みどり)
愛知県生まれ。東京在住。
写真や映像、日用品等を多様に構成し、私小説的な追憶や感傷を想起させる空間作品を国内外で発表。鑑賞者と朝食を共にする滞在型プロジェクト“Art & Breakfast”では、フィールドワークから浮かび上がる日常の気づきを、ユーモアと批評的な眼差しを持ったインスタレーションで俯瞰させ、文化的差異を越えた価値観を探る。www.midorimitamura.com


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?