目じりの皺と頬のあざ

みんなが笑えるのなら、ちょっとくらい話を盛ったっていいじゃない。
私はそういう人間だ。

そのくせ、注目されそうになると隠れてしまう。
ひどく面倒な大人になってしまった。

***

祖母がなくなり、数年が経った。

当時は上手く書き残すことができずやっと今まとめらたので、
今回は祖母について書き記していこうと思う。

***

母の実家は、私が住む田舎から離れており、
祖父と祖母に会えるのは年に一度程度。
夏休みの恒例行事だった。

高速道路を走って7~8時間程度。
後部座席にいる兄と私は幽遊白書の単行本で
退屈な時間をつぶしていた。

「あんたたち、気持ち悪くなんないの?」

と、母はよく呆れてれていたが、
退屈すぎてそれどころじゃなかった。

浦飯幽助が放つ霊丸はマンガの中の敵と
幼少期の退屈さも吹っ飛ばしてくれたのだ。

母は父が運転する隣で大きな地図を熟読している。
当時はカーナビが無かったからね。

てか、今考えるとマンガと地図でそんなに変わらないじゃんね。

***

母の実家は山の中にあって、今でも最寄りのコンビニまで8km。
縁側から見える景色は子どもの頃からまったく変わっていない。
数年前までGoogleストリートビューにも出てこなかったほどだ。

祖母の葬式で母の実家に泊まった際に右頬が虫に食われて大きく腫れた。
半年ほどそのあざは残ったほどだ。恐ろしい。

***

「わたしゃ、いいよいいよ。お爺さんの相手して」

なんて、お婆さんは笑いながら、よくそんなことを言っていた。
それはお爺さんがいつも会話の中心にいたからだと思う。

その気持ちはよく分かる。
自分が会話の中心になるよりも、
その場が笑顔になればいい。

なんせ、うちのお爺さんは話題に事欠かない。
せわしなく農作業や庭の手入れをしている。

「あの人は若いよね~」なんて言われながら
いつも家族の中心にいる。

確かに異常に若い。
毛量なんて私の父と遜色がない。

「膝の調子が悪い」と言って原因を聞くと
ボーリングにハマって、
5ゲーム連続やってっからだ。当たり前じゃん。

お爺さんがそんなもんだから、
お婆さんは半歩下がっていたのかもしれない。

うちのお爺さんはいつも話題の中心にいた。
そして、お婆さんはその輪から少し離れた台所によくいた。

***

お婆さんはよく笑う人だった。

いつも引込み思案な私でも
お婆さんの前では少しだけ陽気に話せた。

ちょっとした冗談でも話せて、
「おっかしいねぇ~」と笑ってくれた。

調子にのってどんどん話せた。
もともと自分がお調子者なのは、後に自覚する。

自分が話す内容に笑ってくれることが
嬉しいと分かったのは、あの日が初めてかもしれない。

***

その祖母が亡くなった。

最後は施設に入ったけれど、
そこでは案外陽気にすごしていたようだ。

「よく話の中心になっていますよ」
施設の人がそう言ってくれていたらしい。

周りは意外な反応を示していたが、
なんとなく納得した自分がいた。

***

うちの母は祖母と顔が似ていて、
祖父と性格が似ている。

そして私は母に似ている。
つまり祖母とも似ている。

私が物心ついたときには
しわがあったから気付かなかったけれど。

深い目じりにしわがあって、
よく笑ってきた顔なんだよく分かる。

***

葬式の後、母の実家で刺された右頬のあざは
もう見えないけれど、この目元は祖母由来。

もう私も40をとうにすぎ、ご陽気にすごすことの難しさは、
そんなに簡単じゃないことも分かっている。

そうだとしても、この目じりにしわを刻んでいきたい。

どんな環境でも周囲を照らし、
笑顔を広めてきた祖母のように。

きっとできると信じたい。
この目元には祖母の証がある。

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