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大切な「同志」のこと。

「ひまわり娘」。
黄色のアンサンブルニットを着ていた私を、
初めて会ったとき、彼はそう呼んだ。
20年前の春の初めのことだった。
彼は、才能あふれるコピーライターだったから、
言葉のセンスが、それはそれは素敵だった。
私も、言葉にはすごくこだわりがあったし、
文章を書くのが子どもの頃から好きだったというのもあって、
私達はものすごく気が合った。
特に、私が彼に書く手紙を、彼は絶賛してくれた。
のちに、
「あっこが書く手紙は相手の心を打つから、
手紙を書きたい人にアドバイスをしたり、
一緒に文章を考えてあげたりする仕事をしたら?
名づけて『てがみにすと』」
って、微笑んでた。
もう長いこと入院していて、
私は、彼のところに会いに行くたびに
たくさんの癒しや学びを与えてもらってた。
薬の副作用で手が震えてしまうから、
ご両親へのお手紙とか、
彼が書きたいいろんなことを、
私が口述筆記してあげて。
腎臓の調子が悪くて、
食事がずっとお粥とペースト状のおかずだったのが、
普通の食事に戻って初めてのとき。
ハンバーグをひとくち食べた彼に
「お味はいかが?」と訊いたら、
「美味しい」って。
それを聞いた私は、自分のことのようにうれしくて、
無意識に「よかった」って言った。
「よかったね」じゃなくて、「よかった」。
「ね」がつくかつかないかだけで、
ニュアンスが微妙に違ってくるんだね、
って、私達は一緒に発見した。
言ってみれば、
「よかったね」は、「他人事」。
「よかった」は、「自分事」。
あるとき、面会にいったら、
彼はとても調子が悪くて、
なんにもしゃべってくれなくて。
一緒に飲もうと思って買っていった
カフェオレとミルクティーを見せて、
「どっちがいい?こっち?それともこっち?」
って訊いたら、うなずきだけで返事をしてくれて。
たったそれだけのコミュニケーションでも、
私はとってもとってもうれしくて、
家までの遠い道のりも、苦じゃなかった。
またあるときは、作業療法の書道を
一緒にやらせてもらって、
彼が、私の名前の「淳」っていう字を書いてくれて、
それを病棟に持って帰って看護師さん達に見せていて、
「あら~、最高のラブレターじゃない!」
そんなふうに、看護師さん達に見守られながら、
私達はキラキラした時間を共有していった。
数えあげたらキリがないほど、
たくさんのたくさんの想い出。

その彼が…。
一昨日、亡くなった。
私の胸は、悲しみでいっぱいで、壊れちゃいそうだった。
だけど、私は決めた。
彼の分まで、精一杯、生き抜く。

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