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職人技を盗む話。

さて、ピカーンと閃いたといっても、なにも斬新な方法を思いついたわけではありません。それまで翻訳家の方々から「自分だけの辞書を作成している」というお話をうかがうたびに、エクセルでマイディクショナリーを作りはじめては尻切れとんぼ──というパターンを繰り返していたんですが、新しいシートに、気になるところの下訳上訳対照表を作成してみようと思ったのです。あとで検索をかけられるように原文つきで。それなら辞書としても使える。一石二鳥!というわけです。

さっそく担当した後半部分から、一文ずつピックアップしてはエクセルに書き込む作業を開始。するとある文章にたどりついた瞬間、目から鱗がぼたぼたぼたと落ちてきました。

ダニエル・コール著『人形は指をさす』(以下すべて同書)の525ページ。主人公のロンドン警視庁刑事ウルフが、セント・アン病院に入院していた頃の回想部分の描写です。

【原文】He could barely stand and was helped out into the corridor to use the phone at the nurses’ station.

【下訳】ウルフはどうにか立ち上がると、人の手を借りて廊下に出て、電話を使うためにナース・ステーションに行った。

【上訳】ウルフはどうにか立ち上がり、人の手を借りて廊下に出ると、電話を使うためにナース・ステーションに向かった。

以前ならば、たぶんこの一文を見直そうとは思わなかったでしょう。下訳でも誤りではないし、特にわかりにくいわけでもないからです。でも、細かい技術に着目して注意深く見てみると、驚くべき配慮がなされていることに気づきました。

ポイントは「~すると」の位置の移動です。「~すると、」は、「。」ほどではありませんが「、」の中では強めの区切りを示す語句です。

図にしてみるとわかりやすいでしょうか。

下訳では、ウルフの動作の拠点が、まず「ベッドのそば」に作られます。次に廊下、それからナースステーションへと続く。ちょうど3台のカメラで3つのカットを撮影してつなげたような感じです。

【下訳】ウルフはどうにか立ち上がると、人の手を借りて廊下に出て、電話を使うためにナース・ステーションに行った。

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ところが、上訳では「~すると、」の位置をずらすことで、最初の動作の拠点を、部屋の中ではなく「廊下」に設定しなおしています。さらに「行った(=終点に重点を置いた表現)」を「向かった(=起点に重点を置いた表現)」に置き換えることで、ウルフを追う視点の位置を「廊下」というひとつの地点に集約しているのです。

【上訳】ウルフはどうにか立ち上がり、人の手を借りて廊下に出ると、電話を使うためにナース・ステーションに向かった。

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これが第一線で活躍しつづけてきたプロの技……。

圧倒され、しばらくぼう然としてしまいました。一文だけなら大きな差ではなかったとしても、その差が何百ページ分も積みあがったとしたら……? 

もちろん、常に長回しの1カットで撮るのがいいというわけではなく、何台ものカメラで追ったほうが効果的な場合もあるでしょう。でも、ここはなるべく読者に負担をかけずに情報を出すほうが望ましい場面だと思いました。


さて、しばらく見直しをつづけるうちに、一文ずつではなく、一段落ずつピックアップしたほうが、師匠の技が見えてきやすいと気づきました。以下は、529ページのロンドン警視庁刑事部屋の場面です。

【原文】Saunders came strutting up to Baxter’s desk. She left her earphones in and continued working, hoping that he would get the message and go away, but it was apparent, when he waved his hand in front of her face, that he needed telling out loud.
‘Piss off, Saunders,’ she snapped.

【下訳】ソーンダースがもったいぶった足取りでバクスターの机に近づいた。バクスターはイヤホンをはめたまま作業を続けていた。相手をする気がないことがソーンダースに伝わり、立ち去ってくれることを期待して。しかし、顔のまえで手まで振られたとき、ソーンダースには口に出して言わなければ伝わらないのだとバクスターは悟った。
「とっとと消えな、ソーンダース」と彼女はぴしゃりと言った。

【上訳】ソーンダースがもったいぶった足取りでバクスターの机に近づいてきた。バクスターはイヤフォンをはめたまま作業を続けた。そうすることで、相手をする気がないことがソーンダースに伝わり、立ち去ってくれることを期待して。しかし、顔のまえで手まで振られ、この男にははっきりと口に出して言わなければ伝わらないのだと悟ると、ぴしゃりと言った。
「とっとと消えて、ソーンダース」

下訳では最初の二つの文が「ソーンダース視点寄り」だったのに対し、上訳では「バクスター視点寄り」に変化しているのが、おわかりでしょうか? 

この章ではさまざまな人物の行動が描写されていますが、この段落はバクスターについての話です。この部分は提出前に自分で気づいて直しておくべきでしたね。こういうところが「うーん評価」につながったのでしょう。また「ソーンダースには→この男には」の訂正にも、バクスターに視点を寄せる効果があります。


あと2ヵ所挙げてみます。537~538ページ。ウルフがひとりで勝手に犯人の隠れ家を調べているときに、同僚の武装警官たちがやってきて慌てる場面。

【原文】He threw himself against it in desperation. The lock splintered away from the wood, and he fell into the empty room just as the officers reached the top of the stairs. He pushed the door to. Seconds later, there were heavy thuds against Masse’s door.

【下訳】ウルフはやぶれかぶれになってドアに体当たりした。錠がドアからはずれ、空き室に倒れ込んだとき、警官たちが階段の上にたどり着いた。ウルフはドアを押して閉めようとした。その数秒後、警官たちの重い足音がマッシの部屋のドアまで到達した

【上訳】ウルフは必死になってドアに体あたりした。錠がドアからはずれた。ウルフが空き部屋に倒れ込んだのと警官たちが階段をのぼりきったのが同時だった。ウルフはドアを押して閉めた。その数秒後、警官たちがマッシの部屋のドアまでたどり着いたのがその重たい足音からわかった。

前半は just as をはっきり強調して緊迫感を出した表現に。最後の一文は、空き部屋の中で耳をそばだてているウルフの様子が臨場感たっぷりに伝わる表現に変更されています。

ちなみに、下訳の「押して閉めようとした」というのは、副詞の to の誤訳ですね。ジーニアス英和大辞典には、「 The door slammed [went, banged] to. ドアはバタンと閉まった《◆「閉める」は slam [bang, push, etc.] the door to」とあります。


さて、少し戻って535ページ。ウルフが、パートナーのバクスター刑事の目に自分の行為がどう映るかを恐れる場面。

【原文】None of this mattered to him quite as much as Baxter learning of what he had done, what he still had to do.

【下訳】しかし、ウルフにとってはこうしたことも、バクスターにすべてを――彼がすでにしたことを、彼がこれからやらなければならないことを――知られることに比べれば重要ではなかった。

【上訳】ウルフにとっては、しかし、そうしたことも大したことではなかった。このあとバクスターにすべてを――彼がすでにしたことすべてを、彼がこれからやらなければならないことすべてを――知られることに比べれば

ここは、ウルフのバクスターに対する(恋愛とは別軸の)深い感情が表現されていて、全体の中でもかなり重要な描写のひとつです。下訳でもまちがいではありませんが、上訳では文意をより強く印象づけるような表現が選ばれています。「しかし、」の位置、「こうした→そうした」の訂正も注目ポイントですね。


──────とまあ、そんなふうに見直しを続け、そしてどんどん落ち込んでいきました。師匠がすごいことはよくわかった。わかったけれど、こうやってただ眺めていたって、どうにもならないじゃないの……と。

ところが、そのあと予想外のことが起こりました。当時手がけていた『ダ・フォース』の下訳の締め切りが近づいてきたので、そろそろ草稿の推敲をしようと思ったときのことでした。

自分の訳文を読みはじめたところ、なんと自然に「先生が手をいれそうなところ」に目が向くようになっていたのです。いやあ、驚きましたね。ただ色つきの比較表を眺めていただけなのに、まさか直接的な効果が生まれようとは……!

そうやって仕上げた下訳を提出すると、先生からひと言、「慣れてきたね」と返ってきました。あのときはほんとうに嬉しかったです。『グラーグ57』では、「ゴール前に立ってたらたまたまボールが足に当たってはいっちゃった」的なゴールでしたが、今回はちゃんと意識して蹴って枠の中にいれたゴールでしたから。華麗に決まったシュートではなかったにしても。

それが進退を真剣に考え始めた1年後、2017年秋のことでした。振り返ってみると、この『ダ・フォース』の下訳を機に、少しずつ道が拓けてきたように感じます。そして10年という区切りが過ぎた今も、幸いまだ撤退にはいたっていません。この先どうなるかはわかりませんが、少しでも長く続けていけたらなと思っています。


※画像は、フリー画像素材サイトPixabayさんから bgs_digital_creatorさんのイラストをお借りしました。


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