頭の重い英語、お尻の重い日本語

文章の巧拙を判断できるほど英語に精通してはいませんが、日本語に「訳しやすい英文」と「訳しにくい英文」というのは確かにあります。


大昔、ゼミの先輩から「ローレンス・ブロックの文章はそのまま訳せばいいからやりやすいね」と言われたときに、「…………(ええええ!? やりやすいってどういうこと? 超難しくて四苦八苦してるんですけど???)」という会話(?)をしたことがあります。ゼミの課題がブロックさんの短編だったときのことでした。

でも、今ならばその先輩が言わんとした意味がわかります(T先輩、お元気でしょうか……)

「訳しやすい」≠「訳が簡単」「スラスラ訳せる」
「訳しやすい」=「文章と文章のつながりが自然だ」

なのですよね。


英語は最初に主語と述語がきて、そのあと細かい情報をいくらでも追加していける言語です。

さらに、鯉のぼりのように、頭を串刺し(?)にして並べていっても、意外といける。

頭だけそろえておけば、どれだけ尻尾が長く伸びても意外といけてしまう英語

日本語でおしゃべりするとき、わたしはよくそういうしゃべりかたをします。

「昨日、お醤油買いにスーパーに行ったんだけどさ、そこで○○さんに会ってね、すごい久しぶりだったから最初全然気づかなくてびっくりしちゃった、それでそのとき彼女から聞いたんだけど、△△さんち引っ越すんだって!!」

みたいな感じですね。

そのあと、△△さんに話題が移れば問題ないのですが、次の文で「お醤油」の話に戻ってしまうと困り果てます。しかも、このパターンが非常によくある。特にノンフィクションでは。


わたしにとって「訳しやすい原文」とは、「筆の動きが見えるような書」のような原文のことです。

書き順が目に浮かぶような書体=訳しやすい原文(字はアレですが)

行間の流れが見える───筆先が宙に浮いているときの筆の動きが見えるような文章ですね。「立派な書」とか、「くねくねと蛇行しながら流れる清流」のイメージ。

日本語は述語が最後にきて、お尻が重くなる言語なので、尻尾がなが~く続いてからどっしりと着地した直後に、全然ちがう「頭(主語)」を持ってくると、どうしても読みにくくなる。

ところが、「訳しやすい英文を書かれる方々」は、どういうわけか、日本語にそのまま訳しても自然につながるんです。

これ、ほんとに不思議です。その謎は、わたしにはまだ解けていません。ただ最近、ひとつだけ糸口を見つけたので、次はそれについて書いてみようと思います。

※イラストは、「かわいいフリー素材集 いらすとや」さまからお借りしました。

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