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接続詞ナビゲーションシステム

さて、「訳しやすい英文の謎」の糸口(仮説)について書いてみます。


以前、とあるノンフィクション作品の下訳チームに参加したとき、先生から「『だが』が多い」と叱られたことがありました。読み返してみたら、ほんとに多くて自分でもびっくり! 「but」を機械的に「だが」に変換していたせいとわかりました。

それ以来、「逆接の接続詞」の訳語が単調にならないように腐心しているのですが、これが実に難しい。

とくにノンフィクションの翻訳をしているときに強く感じるのが、英語と日本語では、(とりわけ逆接の)接続詞の「重さ」にちがいがあるのではないか?───ということです。

どうも英語のほうが「軽く」て、日本語のほうが「重い」気がする。英語のほうが、なんだかやけに気軽に「but」や「yet」を使っているように感じる。

どうしてなんだろう?

ずっと考えていて、最近、ある仮説にたどり着きました。

英語の「but」は「ウィンカー」だけれど、日本語の「しかし」は「道路標識」だからではないか?

つまり、英語では「ウィンカー(接続詞)」を出した直後に「角を曲がる(動詞)」けれど、日本語では「道路標識(接続詞)」を見てから「角を曲がる(動詞)」までに時間が空く。

しかも、ウィンカーは「右左折」だけでなく、「車線変更(逆接の意味が弱め)」のときにも使う。

だから、「but」をすべて機械的に「だが」に置き換えると「『だが』が多い!」ということになるのでは……?


日本語は文章が始まってから、動詞の着地までに時間がかかるからこそ、接続詞である程度の道筋を示しておき、どこに連れていかれるのかわからない「先行きの不安」を和らげているのかもしれません。

「この先、500メートル先を左に曲がります」

よし、左に曲がる心づもりをしておけばいいのね……といった具合に。

それが車線変更のたびに「カーナビ」や「道路標識」がしゃしゃり出てきたら、うるさいことこの上ないですよね。なんというか、100円の物を買うのに、毎回1万円を出しているような「やりすぎ感」というか。


逆に英語の場合は、「ウィンカー」と同じで、すぐに行動を終えてしまうので、頻出してもさほど気にならないのかもしれません。


もちろん、日本語にも車線変更はあります。そんなときにはどうするのがいいんだろう……と考えていて、師匠がよく使うフレーズを思い出しました。

「~した。が、~だった」

ようやく、なぜ師匠が「だが」が好きではないのか、「が、~だった」をよく使うのか、わかった気がしました。

「だが」は音が重く、目立つから多用は避けたい。
その代わり、車線変更でウィンカーを出すときには「が、~だった」を使う。

そして日本語の文章は、道路標識のような親切さでもって「前後の文章のつながり」の軽重に注目したさまざまな接続詞でつなげたほうが読みやすくなる……ということなのでは?

もしかしたら、「訳しやすい英文」では接続詞をここぞというときに温存していて、自然な流れで車線変更をしているのかもしれません。だから、原文のままに「but」を「しかし」に置き換えるだけでも、流れのいい訳文ができあがる。

うーむ。まだ仮説ですが、ありうるかも?

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