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『体育教師を志す若者たちへ』      第1章 体育授業の難しさと醍醐味 

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にして校内に飾れます。これは部活動と同じ、教師の趣味の世界と考えてきました。

 あなたは中学校、高校時代にどんな体育の授業を受けてきましたか? 男女別でしたか?、男女一緒でしたか? 体育教師は生徒たちの男女差、技能差を前にして、「みんな違ってみんないい」ととらえるか、「違いすぎて一緒は無理」ととらえるか・・・。 あなたが体育教師になったらどうしますか?
  『体育教師を志す若者たちへ』  今回は「第1章、体育授業の難しさと醍醐味」です。 


第1章 体育授業の難しさと醍醐味
◇体育授業の学習集団

 読者が中学、高校時代に受けてきた体育の授業を振り返ってほしい。どんな集団で体育の授業を受けてきただろうか。かつてはどの中学校でも男女別に体育の授業が行われていた。序章で述べたように、学年の2学級が同時に体育の授業を行うよう時間割が組まれ、それを2人の体育教師が担当し、一人の教師は男子を、もう一方の教師が女子を担当していた。かつては武道(当時の名称は格技)とダンスは必修ではなかったので、男子が武道、女子がダンスを選択して行うようにしていたのである。
 この男女別の授業は体育科としての考えだけでなく、技術・家庭科の男女別授業に合わせて時間割が組まれていたことにもよる。1992年迄は、学習指導要領で男子は技術科、女子は家庭科という差別的な教育が行われていた。そのために技術家庭科の時間は、同学年2クラスが同時に授業を行うよう時間割を組み、そのうちの男子が技術科、女子が家庭科の授業を受けるようにしていた。男女が異なる学習内容の授業を受けることが当たり前と考えられていた時代、体育も男子が武道、女子がダンスの授業を受けることも当然のように考えられていたのだろう。
 しかし、1985年に日本の国会でも男女差別撤廃条約が批准されたことから、その後の学習指導要領の技術家庭科では、必修として男子も女子も同じ内容を学習しなければならなくなった。授業は学級単位で男女一緒に受けるようになった。しかし当時の体育においては、まだ武道とダンスは生徒が選択すればよいことになっていたため、多くは男子が武道、女子がダンスを選択するだろうとして、2学級を同じ時間割にした男女別の授業スタイルが続いてきてしまった。しかし、実際にはわずかだが女子生徒が武道を選択したり、男子生徒がダンスを選択したりする状況かみられるようになってきた。その後、2010年告示の学習指導要領からはようやくダンスも武道も必修となり、男子も女子も同じ内容を学習する時代になった。
 しかしながら、今までの風習にとらわれていたり、男女の体格、体力、技能の違いもあることから、現在でも男女別の体育を行っている中学校がある。あるいは同学年2クラスが同時に体育の授業を行い、種目によって男女別にしたり、男女合同にしたりしている。小規模校で1学年1学級しかないために、男女一緒に体育の授業を行うことは以前から当たり前だったという中学校もある。現在では、中規模以上の学校であっても、体育を含めた全ての教科を男女共習の学級単位で行う学校が増えつつある。

◇性差よりも技能差の問題
 読者は中学校の男女一緒の体育をどう考え、自分が体育教師になったらどうしたいだろうか。序章では小学校高学年の体育授業の大変な事例を述べた。運動の得意な男子児童がボールを占有して勝手に振る舞う一方で、ほとんどボールに触れずに見ているだけの女子児童がでてきてしまう。チームゲームでは思い通りに動いてくれない児童がいるといじめの対象になる可能性さえ出てくる。現代ではありがちな授業風景だ。
 こういう状態であれば、小学校の高学年段階から男女別にした方がよいのではないかという考え方も出てくるだろう。しかし、男女別にしたところでそれぞれの中での技能差は大きい。中学生になれば運動部の活動に参加する生徒もたくさんいる。バスケットボール部に所属している女子が、運動部に入っていない男子生徒よりも上手だということは当たり前のように起きている。そう考えると体育では男女の問題よりも技能差の問題をどうとらえるのかということがより重要になってくる。そしてその解決のためにこそ、実は男女一緒の学級単位で体育授業を進めた方が、可能性としてはやりやすいのだということが見えてくる。学級単位で体育の授業を進めていけば、そこから出てくる問題は学級担任にも相談できるし、学級の問題として解決していくことができる。
 しかし、男女混合で技能差の大きな学級集団で体育の授業を進めることは簡単にできることではなく、周到な準備を必要とする。だから私は序章の冒頭で、「体育教師は授業で勝負し、そのことで給料をいただいている。その仕事は部活動指導に熱を注ぎながら片手間でやっていられるような仕事ではない」と述べたのである。

◇共生・共習の時代
 男女間の問題だけでなく、現代では、人種、言語、宗教、障がい、趣向等の様々な違いを認め合い、どう共生していくかが求められている。性的少数者のことも考えれば、男女で分けることはなるべくしたくない。男子も女子も、運動の得意な子も苦手な子も、同じ学習集団の中で一緒に授業に参加し、共生の資質能力、志向性を高めていきたい。
 そのことから、現在の中学校学習指導要領では次の文言が新しく入ってきている。「⑴ 体力や技能の程度,性別や障害の有無等に関わらず,運動の多様な楽しみ方を共有することができるよう留意すること」(「内容の扱い」の項)とある。これまで男女別の体育を当たり前のように進めてきた体育教師は、この文言をどう受け止めているだろうか。
 私は教師生活の3分の2以上の体育を男女一緒の学級単位で行ってきた。新しい中学校に転任する度にそれらの学校では男女別の授業が行われていたため、数年かけて男女混合の学級単位の体育授業に切り替えてきた。それはこれまでのやり方に固執する体育教師たちとの闘いでもあった。そして教師生活最後の数年間は、中学3年生に対して卒業の前に、中学校で受けてきた男女混合の体育授業を振り返り、記述式で意見を聞いている。圧倒的多数の生徒たちが男女一緒の授業に賛成している。ある女子生徒は次のように書いてきた。
〇「私は運動をあまりしないし、体育も苦手でバレーボールを男女別でやらないなんておかしいと思っていたのですが、1年生の時、2年生の時、だんだん学年が上がって行くにつれてバレーボールって楽しいな、と思うようになりました。初めはオーバーハンドパスさえも全然できなかったのに、今では三段攻撃やカバーができるようになってきて、協力していくことの大切さ、喜びを知れる、とてもいい学習だったと思っています。男女一緒にやるからこそ、男女の壁もなくできて良かったと思っています。また練習時や試合本番もそうなのですが、誰かがアタックをした時には『〇〇ナイス!』や『いけ~!』などの言葉、誰かがミスした時は『しかたない!』『大丈夫、大丈夫!』などの励ましの言葉。これ男女関係なく飛び交う姿は男女混合でやっていることや、みんながこの通常ルールに近い〇〇中学校式バレーボールに熱中していることがとてもよく分かり、すごくよいチームワークだなと感じました。この中学校3年間のバレーボール学習では、とても悔しかったとき、喜んだとき、いろんなことがありましたが、とても楽しかった学習だと感じています。」
 ここに至るまでのバレーボールの指導法については第2章でとりあげるが、落とさず、はじき、そして三段攻撃を楽しんでいくバレーボールの指導は簡単ではない。
 長野県では、かつてどの中学校でも1年生から3年生までバレーボールの学習があり、学習のまとめとして、1日かけたクラスマッチが行われていた。私が新卒で赴任した中学校でも同様だった。しかし、当時は男女別であり、男子は2年生になると積極的に三段攻撃を楽しむようになっていくものの、女子は3年生になっても、アンダーハンドパスで、とにかく「返せ!」「返せ!」の連続で、落とさずに相手コートへ返すことが精一杯だった。サーブだけで試合が進むことも多かった。
 うまくつないでいるように見える男子の中でも、苦手な生徒のミスは責められる。当日のクラスマッチを欠席する生徒も出てくる悲しい状況もあった。これではいけない。男子のような三段攻撃を男女みんなで、バレーの得意な生徒も苦手な生徒も一緒に楽しむ1日にできないものかと思った。それが現在では、1年生からの男女共習学習を進めることで、苦手な女子生徒でも三段攻撃を楽しめるようになってきている。

◇通常の指導法では通用しない 
 授業の中で練習方法を生徒に提示したり、生徒たちに自ら練習方法を考えさせたりする時、私が生徒たちによく言うことがある。それは、部活動でやっているような練習方法をそのまま持ってきても授業では通用しないということ。なぜなら、部活動では何百、何千時間という長時間をかけて上手くなろうとしているのに対して、授業の中で長くても15時間程度で上手くなり、そのスポーツを楽しめるようにしなければならない。しかも練習しているだけではつまらないので、試合をできるだけ入れていきたい。できれば毎時間のように練習と試合を入れたい。そうなると50分間の授業の中で練習する時間は15分から20分程度しかとれない。それで上手くなるには特別な練習方法を考え出さなければならない。 そして部活動と体育授業との決定的な違いは、部活動では同じ志をもった仲間が、しかも男女別に参加しているのに対して、体育の授業は男女一緒で、運動が好きな生徒もいれば、やる気のない生徒もいる。技能的に見ても、部活動で練習を何千何万時間もやってうまくなってきた生徒と、全く初めてで動けない生徒がいる。そうした集団が、みんなでその運動を楽しみながら上手くなっていくためにはどうしたらいいのだろうか。

 私が39年間の教師生活を終える日、職員送別会で代表の年配の先生から次のメッセージ文をいただいた。
〇「・・・、私は本校に来て、体育科の学習や体育委員会の考え方を学びました。ここにいらっしゃる全ての先生方はご存知のことですが、スポーツは男女共同で関わることを通して学び、楽しみ、生涯続けていくものです。私は、バスケットボールクラスマッチを男女一緒にやる学校を本校以外で知りません。卒業させたクラスが最後全員、運動が苦手な子がいっぱいいたのにもかかわらず、全員がシュートし、得点を入れたことを忘れることができません。・・・・」

 こうした体育の授業を創造していくためには、どんな勉強が必要なのだろうか。男女別に行われていた球技やクラスマッチを何とかしたいと私が考え始めた30代の初め頃、まず私は戦後から現在までの体育授業の指導法を徹底的に調べてみた。体育指導法の本や雑誌だけでなく、地元大学の附属中学校へ行き、書庫にある戦後の研究紀要を全てあさった。そして、信濃教育会(長野県の伝統的教育団体)の会館へも行き、戦後の県内の教育雑誌に書かれている体育の研究ページを調べた。そして生徒たちの声を聞いた。 若い頃、他校の授業参観に行って一番勉強になったのは、山間地の小規模の中学校の体育授業だった。各学年1クラスしかなく、体育教師も一人。選択制ができないので男女一緒の学級単位の授業にせざるを得ない。山間地の純朴な生徒たちであったからかもしれないが、男女が自然に関わり合い、笑顔で協力し合って学習を進める姿があった。男女で組みあっている柔道の授業を参観したこともあった。これが私の求めている体育授業の姿であり、雰囲気だと感じた。心が洗われる思いだったことを今でも覚えている。

◇技術指導に関わる授業研究の空白
 体育専攻学生なら「楽しい体育論」や「プレイ論的体育論」を聞いたことがあるだろう。1960年代からの高度成長期に、体力向上・技術の注入に走りがちだった体育に対して、運動(プレイ)の内在的価値(楽しさ体験)を重視し、運動を手段として学習することを否定する体育論が出てきた。これが1977年、1990年の学習指導要領やその解説書、指導資料に色濃く反映されていった。
 私はこの「楽しい体育論・プレイ論」が学校現場に嵐のように吹き荒れていった時期に長野県の体育教師になった。今では信じられないと思われるかもしれないが、「技術を教えることが体育嫌いにさせた」、「技術を教えてはいけない」と言われ、研究会でも「技術」とか「教える・指導」という言葉がタブーとされて議論さえできなかった。長野県はその変貌がすさまじく、新卒の若造だった私が「上手くなることを教えなくてどうして楽しめるのか?」と発言しても「その考え方は古い」と古参から一蹴された。
 他校の研究授業を参観に行くと、どの学習指導案も「ねらい1(今ある力で楽しむ)、ねらい2(新しい力で楽しむ)」、という形式で作成され、「指導」ということばは「支援」に置き換えられていた。うまくさせなくてどうして楽しめるようになるのか。私が長野県内の戦後の教育雑誌等を調べ始めたのはこうした事情からも来ている。今の体育授業研究の流れを何とかしたい。これでは勉強にならない。そのためには、「たのしい体育」、「プレイ論」が登場する以前の長野県内の授業研究を調べる必要があると考えた。
 読者が念願叶って教員になった時に気をつけて見て欲しいことがある。それは教育研究の方向とか、授業スタイルとか校風とかが、地域によって、特に都道府県によってかなり違うということだ。それは都道府県内単位で教員の人事異動が行われていることも影響している。「井の中の蛙大海を知らず」であり、他県の先生方と話をしてみて初めて自分の見解の狭さに気づくことがある。私は教員になった時から学校体育研究同志会という全国規模の研究会に参加していたので、そのことに気づくことができた。日教組の全国教研集会にも何度か参加させていただいた。県外の先生方と交流することはとても大事なことで発想を豊かにすることができる。
 次章からは体育授業のために自主的に研究することの面白さが感じられる事例で、どの学校の体育授業でも行われてているであろう7つの運動種目について紹介する。この内容は私が退職する数年前から、学校体育研究同志会長野支部のニュースに「体育教師の愉しみ」として連載した内容をもとにしている。

 次回は、第2章 授業研究の面白さ ~体育実技編~
    1 水泳 ~人体の浮力と水泳への活用~ です。



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